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chapter2

step.19-3 マグと嫉妬

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 陶芸教室の隣はカフェになっていて、僕らは軽くお茶をして帰ることにした。

 そのカフェの、木目調の壁に沿うように並べられたテーブルには、教室の生徒さんが作ったのだというお皿や、カップが飾られていた。

 高い天井ではゆっくりと大きなプロペラが回り、静かな店内に流れるヒーリングミュージックがとてもマッチしている。

 僕らは席につくとオーガニックの飲み物とパウンドケーキを頼んだ。

「楽しかったね。はまっちゃう人の気持ちがわかったかも」

 帝人さんがお水で喉を潤すと口を開いた。

「ええ。あの土の触り心地、クセになりそうです。今度はニャン太さんと類さんも一緒に来ましょう」

「そうだね。ふたりとも絶対好きな気がするよ。はまっちゃって家で始めるかもしれないね」

「確かに」

 ふたりで笑い合う。
 と、帝人さんは辺りを興味深そうに見渡すソウさんにクスリと苦笑をこぼした。

「ソウも楽しかったみたいだね」

「ああ……」

「お待たせ致しました」

 その時、とてつもなく無愛想な……どことなく機嫌の悪そうな店員さんが、飲み物とケーキを運んでやって来た。
 店員さんは短くメニューを述べてお皿を置くと、さっさと去っていく。

 僕と帝人さんは呆気に取られてその店員さんの後ろ姿を見送った。

 イヤなことでもあったんだろうか。そんな中、お仕事お疲れ様です……

 心の中で、店員さんの平穏を願う。

 ソウさんは気にした様子もなく顔の前で手を合わせると、「いただきます」と言ってフォークを手に取った。

 と、何がおかしかったのか帝人さんが盛大に噴き出した。

「どうかしましたか?」

「ああ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出しちゃって」

 ひとしきり笑った後、彼はブラックコーヒーに口を付けた。

「高校の文化祭でね、俺たちメイドカフェをやったんだよ」

「メイドカフェ?」

「うん、女子の希望でさ。それでニャン太とソウもメイド服を着たんだけど、今の店員さん見てたら、フフ、ソウの接客そっくりで。思い出し笑いしちゃった」

「そ、ソウさんがメイド服を……」

「家に写真あるよ。見たい?」

「見たいです!!」

 僕は食い気味で頷く。

「見てどうするつもりだ?」

 淡々とパウンドケーキを口に運びながら、ソウさんが首を傾げた。

「ど、どうするってことはないですけど……」

「なら、なんで見たい?」

「単純に興味があると言いますか……」

「ふぅん」

 ソウさんが訝しげに眉根を寄せる。

 彼のメイド服をめちゃくちゃ見たいと言うわけではなくて、高校時代のみんなの姿に興味があった。
 いや、単刀直入に言えば高校生の類さんを見たい。
 文化祭の写真があるということは、彼の写真もあるはずだ。

「それで、あの、類さんは着なかったんですか……?」

 類さんはノリがいいし、たぶん女子にお願いされたら断らなさそうだと思った。
 ニャン太さんもいたなら、ふたりで悪ノリしただろう。

「類は着なかったね」

 けれど、僕の予想は外れてしまった。

「そうですか……」

「ははは、そんなにガッカリする?」

 帝人さんが目を瞬かせる。

「ええ、まあ……はい……」

「メイド服じゃなくて、体育祭の時の短ラン姿ならあるけど」

「帝人さん……!」

 しょんぼりと俯きかけていた僕はババッと勢いよく顔を上げれた。彼はますます笑った。
 笑いすぎて目尻にたまった涙を、彼は人差し指の腹で拭う。

「ふ、はは……君、本当、類のこと好きなんだね」

「す……すみません……」

 顔に熱が集まるのを感じる。
 所在なく俯き髪を掻けば、ややあってから帝人さんはしみじみと口を開いた。

「……伝くんって、本当、不思議だなぁ」

「ふ、不思議……? それは、どういう……」

「なんだか君も、高校の頃からいたみたいな感覚があってね、ついつい身内ネタ話しちゃったんだ。でも、もし、疎外感とか感じさせちゃってたらごめんね」

「感じませんよ。大丈夫です」

 確かに疎外感というか、寂しく思った時もあった。引っ越してきたばかりの頃とか……みんなの中に共通点をひとつひとつ見つけては、苦しくなっていた。

「むしろ……もっとして欲しいくらいで」

 類さんも、ニャン太さんもソウさんも高校の頃の話はしなかったから、僕としては大歓迎だ。

「やっぱり変わってる。……でも、そうだね。変わってないとこんな関係じゃい続けられないか」

 帝人さんは穏やかな表情でカップに口を付けた。
 その横で、ソウさんが無愛想な店員さんにほうじ茶を追加で頼んだ。

「伝くんって、嫉妬とかしないの?」

「嫉妬?」

 パウンドケーキを食べていると、突然、帝人さんに問いかけられた。

「類のこと独り占めできないの、つらくないのかなって」

 僕はゆっくり口の中のものを飲み下すと、うん、と唸った。
 ケーキの控えめな甘さに舌鼓を打ちつつ、言葉を探す。

「一緒に暮らす前は、独占できないことで苦しくなるんだろうな、って考えてました。でも……」

 僕は皿にフォークを置いた。

「ニャン太さんや帝人さん、ソウさんが相手だと平気みたいです。なんで?とは思うけど、理由はうまく説明できません」

「俺たちだと平気……」

「帝人さんは嫉妬するんですか?」

 僕は問いを返した。
 正確にはある種の確信ーー彼なら否、と応えるだろうと思っていた。けれど。

「するよ。凄く」

 彼はとても穏やかに頷いた。
 その表情はあまりに優しかったから、僕は聞き間違えたかと思った。

「え……」

「嫉妬しちゃうんだよ。俺じゃないことが、どうしようもなく苦しく思うことがある。でも、だからって何か変えられるわけじゃないからね」

「そ、そうだったんですか……」

 込み上げてくる謝罪の言葉を僕は飲み込む。

 つまり……僕の存在は帝人さんを傷つけているということだ。
 いつも優しくしてもらっていたから、わからなかった。彼もニャン太さんと同じなのかと思い込んでいた。

「ああ、ごめん」と、ハッした彼は慌てたように付け加えた。

「君を責めたかったわけじゃないんだよ。ただ、なんだろう、君は同志というか、同じ立場だから。つい、ぽろっと本音が漏れちゃったというか」

「そ、そんな、帝人さんが謝ることじゃないですって。むしろ、その、僕の方こそ全然思いやりが足りず……」

「いやいや、君は何も悪くないって。本当、俺の問題だから……」

 ふたりして言葉を探し、カップを見下ろす。
 やがて沈黙に耐えかねたのか、帝人さんはソウさんに話を振った。

「ねえ、ソウ。ソウは嫉妬とか……しないか」

「嫉妬?」

 パウンドケーキを平らげたソウさんが不思議そうに小首を傾げる。

「類が伝くんとキスしてる時、胸の辺りがモヤモヤしたりすることだよ」

「俺はしない。類が幸せならそれでいい」

 ソウさんの応えに、帝人さんは肩を竦めた。

「君みたいにシンプルに考えられたら良かったんだけどなぁ」

 それから彼はフフフと笑い、会話の内容は本日の陶芸教室のことに移っていった。

 僕はパウンドケーキをさっきよりもかなり小さめに切り分けた。そうして、他愛もない会話の合間に口に運んだ。

 胸に広がる罪悪感がチクチクと痛む。
 今、1番類さんと過ごしているのはたぶん僕だからだ。

 僕は彼の手袋のはまった手をチラリと見た。

 ーー彼の手袋の理由。
 ニャン太さんは、彼のことを触れるのが好きではないタイプだと言っていたけれど、本当にそうなんだろうか?
 もしも……理由があって、触れないのだとしたら…?

 ふと去来した疑惑に、つ、と冷たい汗が背中を流れた。

* * *

「お帰り」

 マンションに帰ると、類さんが玄関まで小走りでやって来てくれた。
 今朝見たときよりも、顔色がいい。ちゃんと少しは寝てくれたみたいだ。

「どうだった、陶芸?」

「楽しかったですよ」

「うん、なかなか興味深い体験だったよ。ね、ソウ?」

 帝人さんが問いかけるのに、ソウさんがコクリと頷く。

「お、その顔は渾身の作が出来たと見た」

「それは見てからのお楽しみかな」

 他愛もない話をしながら、僕らは靴を脱いで玄関に上がる。

「いつ届くんだっけ?」と類さん。

「ひと月後だって聞きました」

「マジか。遠いなぁ」

「すぐだよ、ひと月なんて。締切のこと考えてみたら?」

「う、確かにな……」

 それぞれ自室に鞄を放り、僕らはリビングに再集合した。

「そうだ、締切と言えば……類は仕事の進みどう?」

「なんとか終わりが見えてきたよ」

「それは頑張ったね」

「お疲れ様です」

 帝人さんは、お土産に買ってきたパウンドケーキを冷蔵庫にしまうと、そのままコーヒーの準備を始めた。マグを食器棚から取り出すのを見て、僕は慌てて手伝うべくソファを立つ。と、

「伝」

 類さんに腕を引かれて、彼の胸に倒れ込んだ。

「わ……る、類さんっ……」

「ただいまのチューは?」

 ニッと微笑んで、彼は自身の唇を指先で示

「えっ!?あ、いや、そのっ……」

 僕は思わずキッチンで作業をする帝人さんへと目を向けた。
 お湯を沸かしていた彼はすがこちらに気付く。僕は慌てて類さんを押しやる。

「……伝?どした?」

「き、キスは、ちょっと……」

 さりげなく類さんから距離を取り、僕は曖昧に笑った。
 帝人さんから嫉妬の話を聞きながら、彼の前でイチャつくなんてできない。

「帝人。何かあった?」

 類さんは拗ねたように唇を尖らせて帝人さんを、振り仰いだ。

「俺って実は嫉妬深いんだよ、って話をしたんだよ」

 帝人さんはドリップを用意していた手を止めて、言った。

「だから伝くん、遠慮してくれてるんだ」

「嫉妬?お前が?」

「うん」と、帝人さんがニコニコと頷く。

 類さんは奇妙な顔をした。
 顎に手をやり、「嫉妬……?」と唸る。

 そんな意外そうにしたら帝人さんが傷付くのではないか……
 僕はハラハラして身体を縮こまらせた。

「お前、俺とキスしたかったのか……?」

 ややあってから、類さんが問う。

 すると、帝人さんはブフッ!っと、いつになく盛大に噴き出して、お腹を抱えて笑い出した。

「あはっ、あははははっ、いや、もうっ、全然……! したくないよ……っ!」

「だよなぁ」

「?????」

 僕は呆気に取られて帝人さんを見る。

「ふ、ふふ……伝くん、言った通り俺は別に類とキスしたいとはこれっぽっちも思ってないから。そこは遠慮しなくて平気だよ。ふ、ふふっ……」

「え、で、でも」

 帝人さんは肩を振るわせながらコーヒーの作業に戻る。

 と、類さんが驚いたように呟いた。

「……なんだ、アイツ。やけに機嫌いいじゃん」

 僕は目を瞬いた。

「き、機嫌いいんですか?」

 類さんは、僕の質問をそのままテレビにリモコンを向けていたソウさんにパスした。

「めちゃくちゃいいよな?」

「うん」

 ソウさんは間髪を置かず頷いた。

 改めてキッチンに意識を向ければ、軽やかな鼻歌が聞こえてくる。

 確かに……帝人さんはとても機嫌がいいみたいだ。
 鼻歌なんて、4か月一緒にいて初めて耳にした。

 僕はうんと唸った。

 彼の嫉妬の話は冗談とかではないと思う。
 でも、好きな人が自分以外とキスしたりすることで胸がモヤモヤしないのだとしたら、彼は一体何に嫉妬するっていうんだろう……?

 しばらく帝人さんを観察してみても、何度、彼の言葉をなぞっても、ちっともわからなかった。

『俺じゃないことを、どうしようもなく苦しく思うことがある。でも、だからって何か変えられるわけじゃないからね』

 帝人さんはこちらの視線に気付くと、まるで「暴いてごらん?」というように優しく目を細めた。

 ……なんだか手のひらの上で転がされているような気がする。

 帝人さんは、ソウさんよりもずっと謎めいた人なのかもしれない。僕は今更ながらにそんな事実に辿り着いたのだった。



step.19「マグと嫉妬」 おしまい
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