上 下
79 / 211
chapter2

step.17-7 バカと恋わずらい

しおりを挟む
* * *

 翌日、バイトを終えるとニャン太さんから連絡が入っていた。
 どうやら類さんとイサミさんのお店で飲むらしい。一緒にどうかというお誘いだった。
 僕はふたつ返事をして、お店に向かった。

「あっ、デンデーン! こっちこっち!! バイトお疲れ~!」

 賑わうお店に入りいつものカウンター席を見やれば、こちらに気付いたニャン太さんが大きく手を振った。
 足早に向かえば、ニャン太さんは席をひとつ右にズレてくれる。
 ふたりの間に腰を下ろせば、彼らは僕との距離を縮めるように身体を寄せた。

「何飲む?」と、類さん。

「空きっ腹なので軽めのお願いします」

「フードもどう? サービスしちゃうわよ~」

 イサミさんがお酒を作りながら言う。

「じゃあ、マルゲリータのピザください」

「マルゲリータね。わかったわ」

 イサミさんは僕にグラスを差し出してから、裏方のスタッフさんに注文を飛ばした。

「それじゃデンデンも来たし、またまたカンパーイ!」

 ニャン太さんが、半分飲みかけたグラスを掲げ、僕のお酒に軽くぶつける。

「後でソウちゃんも来るって」

「帝人さんは?」

「朝まで仕事」

 類さんがツマミのナッツを口に放りながら答える。
 そんな他愛もない話をしていると、イサミさんが不思議そうに言った。

「なんだかふたりとも、伝ちゃんにベッタリじゃないですか?」

 確かに、いつもよりも距離が近い気がする。
 と、類さんがフッと吐息をこぼした。

「マーキングしてるんだよ」

「ねー」

 ニャン太さんが楽しそうに同意する。

「あら。何かあったんですか?」

「んー? デンデンモテるからさ。変な虫付かないようにってだけ」

「全く心当たりないんですけど……」

「気付いていないだけじゃなくて?」

 イサミさんが問いを重ねるのに、僕は肩をすくめた。

「なにもありませんよ。いつも通りです」

 相変わらず大学でもバイトでも、友人らしい友人もいないし、モテからは程遠い。会話と言えば、事務連絡だけだ。
 かろうじて変化と言えば昨日、将臣と食事をしたくらいでそれこそモテとは対極にある時間だった。ニャン太さんたちがなんでモテるなんて言うのか謎過ぎる。

「そうなの? 伝ちゃんちょっと雰囲気変わったから、モテ期きたのかと思ったけど」

「変わりました、僕?」

「変わったわよ~。表情が明るくなったし。お肌もプリプリしてる」

 そこで一旦、言葉を切ってからイサミさんはウフフと笑った。

「毎晩、可愛がってもらってるのね~って」

「まっ、毎晩じゃないですからっ!」

 飲みかけてたお酒を噴きそうになる。
 すると彼は長いマツゲをバシバシと瞬いた。

「ンマッ、可愛がって貰ってるのは否定しないのね」

 僕は一文字に唇を引き結んだ。
 その時、類さんに脇腹をくすぐられたて「ひゃひっ」と変な声が漏れ出た。

「る、る、類さっ……」

「事実だもんな?」と類さんが顔を覗き込んできて、

「事実だもんね」と、ニャン太さんが腕に絡みついてくる。

 僕は何も言えなくなって視線をグラスに落とした。

「というか、まさに今モテモテじゃないのよ」

「た、確かに……」

 イサミさんの指摘に僕は頷いた。
 まぁ、ニャン太さんが好きなのは類さんだけど……

 イサミさんが別のお客さんに呼ばれて、姿を消してもふたりはくっついたままだった。

 僕はだんだん落ち着かない気持ちになってくる。
 ニャン太さんはいつも通りだとして、類さんは少し様子が変だ。やっぱり昨日のことが原因なのだろうか。

 ちらりと類さんを見れば、思ったよりも整った顔が近くにあった。
 長い睫が影を落とし、薄茶色の瞳をかげらせている。

 僕はボッと顔が熱くなるのを感じた。

 ふいに昨晩のことが脳裏を過ったからだ。
 羞恥心を思い出して、転げまわりたい衝動に駆られた。

「どうした、伝?」

 類さんが小首を傾げ、グラスに触れていた手を移動させて僕の前髪を意味ありげに持ち上げた。

「な、何もないです……」

 どきまぎしながら否定すれば、彼は挑発的に目を細めた。

「ふぅん?」

 束の間、沈黙が落ちる。
 と、類さんは僕の頭を抱き寄せた。かと思うと、

「…………昨日、気持ち良かったよな?」

 突然そんなことを囁いて、ふぅっと耳朶に吐息を吹きかけてきた。

「……っ!」

 僕は咄嗟に席を立ち上がった。

 まずい。
 まずい、まずい、まずい……!

「……す、すみません。ちょっとお手洗いに行って来ます」

 作り笑いを貼り付け、トイレに駆け込む。

 僕はどうかしている。……本当に、どうかしている。
 吐息が耳を掠めただけで下半身が反応してしまうだなんて……!

□ ■ □

 前屈み気味に席を立った伝の背を見送りながら、寧太は口を開いた。

「あんまりデンデン困らせちゃダメだよ」

 それに類はクスクス笑いながら、お酒を仰ぐ。

「分かってんだけどさ。つい、な……ホント、可愛くて」

「気持ちはわかるけどねー」

 寧太はナッツをつまんで口に放った。

 会話の合間を縫うように、店内のBGMが変わる。
 ふたりはなんとなしに、ユーロビート系の曲に耳を傾ける。

 それから、ふたりはチラリと背後を振り返った。
 少し離れた席に、昨日、伝と食事をしていた『オトモダチ』が座っている。
 彼は先ほどからチラチラと類たちを見ていた。

「……見てるねぇ」

「見てるなぁ。……あれ、ホントに友だちか?」

「少なくともデンデンにとっては友だち以下だよ。昨日、追っかけてわかったでしょ。もう全然好きとかないって」

 と、寧太が笑う。

「まあ、そうな」

 類は肩をすくめるとグラスに口を付けた。
 それから近くのスタッフにおかわりを頼むと、言葉少なにナッツをつまむ。

 そんな彼の様子に、寧太はポツリと尋ねた。

「……不安?」

 類の指からナッツが皿の上に落ちる。
 彼はゆっくりとそれをつまみ直して食べた。

「うん。あの男が、ってわけじゃなくて……全体的にさ。ほら、伝は違うだろ?」

「違う? どゆこと?」

「俺たちとは事情が違うって、初めて伝のことマンションに連れ帰った時に帝人から言われたんだよ。それ、今更ながらに理解したっつーか」

「関係ないよ。デンデンは類ちゃんにゾッコンだし」

「伝もそう言ってた」

「ほらね」

「だけどさ……怖いんだよ。失うんじゃねぇかって。こんな風に思ったことなかったから、どうしていいかわかんなくなった」

 運ばれてきたお酒のおかわりを、類は笑顔で受け取った。
 ついで、グラスの表面の水滴を指先でなぞった。

「……んで、お前らの気持ちにめちゃくちゃ、あぐらかいてたんだなって気付いたわけ」

「どこが? 類ちゃん、ボクたちのこと大事にしてくれてるじゃん」

「お前らは絶対に離れないだなんて思うのは、あぐらだろ」

「信頼でしょ」

「違うよ。離れねぇ理由があると思ってるからだ」

 類の真っ直ぐな視線に、寧太は息を飲む。

「お前は、俺に罪悪感を持ってる。……だから安心してるんだよ。俺のこと見捨てたりしないだろうって」

 類は視線をグラスに戻した。

「類ちゃん……」

「……なぁ、ニャン太。スキって、怖いな」

 新しい紙のコースターにシミができる頃、類はポツリと呟いた。

「相手の気持ちをどうこうするなんてムリだから、いちいち確認したくなる」

「ボクは……ボクらとデンデンに違いがあるとは思ってない。あのことがなくたって、ボクはずっと一緒にいたよ」

 そう言って、寧太は類のグラスを握る手に手を重ねた。

「キミをスキだから一緒にいるんだよ。他の理由なんてない。類ちゃんは違うの……?」

 類はくしゃりと顔を歪ませる。

「俺は……」

 それから深く項垂れると、呻くように言った。

「好き、だけじゃない」

 類は寧太の手を握るようにした。
 それに寧太は手をくるりとひるがえして、指を絡めるようにした。

「支配したりされたりする喜びっていうのかな。そういうほの暗い感情がある。……お前はねぇの?」

「……考えたことなかったよ」

 そう答えると、寧太は絡めた手に少しだけ力を込めた。

 どちらからともなく、ふたりは身体を寄せた。

 グラスの表面を水滴が流れ落ちる。
 溶けた氷がカラリと音を立てる。

「ごめんな、巻き込んで」

「あやまらないでよ、類ちゃん」

 寧太は弱々しく首を振った。
 何度か唇を開閉させて、それから言葉を絞り出す。

「ボクはさ……もしも時間を巻き戻せたとしても同じ事をすると思うんだ。そのせいでキミとの関係が歪になるってわかってても」

 一度、言葉を切ると彼は吐息を逃がした。
 続いて、絡めた親指を撫でるように動かす。

「ボクは……何度だってキミのこと壊すよ。その先に幸せがあるって信じてるから」

 顔を上げた寧太はパッと顔を輝かせた。

「お陰でデンデンに会えたわけだしね。……みんなで幸せになろ」

 類は目を瞬かせる。
 やがて眩いものを前にした時のように目を細めると、頷いた。

* * *

「……はぁ。やっと落ち着いてきた」

 僕はトイレの個室で扉に寄りかかり天井を見上げて溜息をついた。
 外で身体が反応するだなんて信じられないし、情けない。

 類さんと出会ってから僕は少しおかしい。
 ちょっと思い出しただけで、身体が熱くなってしまう。

 個室から出て、手を洗った。
 その時、扉が勢い良く開いた。僕は鏡越しにやってきた人物を見てギョッとする。

「伝!」

「ま、将臣……!?」

 手を拭くのも忘れて、僕は彼を振り返った。
 なんでここに?
 あ、いや、彼もこの店によく来ていたから別段不思議なことではないんだが……

 そんなことを考えていると、将臣はどこか真剣な様子で近付いてきた。

「な、なに、どうしたの」

「アイツ、さっき金髪とイチャついてた」

 開口一番、彼はそう言った。

「は?」

 言葉の意味がわからず、きょとんとすれば彼は鼻息荒く続ける。

「だから! お前、やっぱりアイツに弄ばれてたんだよ!」

 つまり彼は、類さんがニャン太さんとも仲良くしているのを見て忠告をしにきたのだろう。
 僕はうんざりして溜息をつく。

「……弄ばれてないよ」

「そう思いたいだけだって。あのふたり、ぜってーヤッてるよ!」

 ああ、ホントに……
 粗雑な言い方に、こめかみがヒクつく。
僕は努めて冷静に呼吸を繰り返すと、ポケットからハンカチを取り出して濡れた手を拭った。

「……わざわざトイレまで追いかけてきて言うことがそれって、どうかしてるんじゃないかな」

「なっ……! 俺は、お前のこと心配してわざわざ教えてやってんだろうが!」

「教えてどうするんだよ。誰も頼んでないし、僕が誰と付き合おうと将臣には関係ないことだろ」

 さっさと類さんのところに戻ろう。
 こんなところでコイツと会ったなんて知られたら、また彼をイヤな気持ちにさせてしまう。

 僕は将臣の横を通り過ぎて、トイレを出ていこうとした。
 と、腕を掴まれ引き留められた。

「……離してよ。君と話すことはないってば」

「関係なら、ある」

 唸るような声が落ちる。
 訝しげにすれば、彼は怒ったように顔を赤くした。

「俺は……お、お前のことが好きだから」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

手切れ金

のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。 貴族×貧乏貴族

僕が玩具になった理由

Me-ya
BL
🈲R指定🈯 「俺のペットにしてやるよ」 眞司は僕を見下ろしながらそう言った。 🈲R指定🔞 ※この作品はフィクションです。 実在の人物、団体等とは一切関係ありません。 ※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨 ので、ここで新しく書き直します…。 (他の場所でも、1カ所書いていますが…)

処理中です...