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chapter2
step.13-4 海と月
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「類さん……!」
水を蹴り、歩みを進める。
海面が思ったよりも早く胸元まで到達した。
波は穏やかながらも力強く、浴衣とともにまとわりつき足がもつれる。
頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
衝撃。困惑。それから、もしも彼を失ってしまったら、という恐怖。
去来する最悪の考えに奥歯が鳴る。
嫌だ。嫌だ。嫌だーー
「類さんっ……類さんっ!!」
声の限りに僕は叫んだ。
「わぶっ……」
口の中に海水が入ってむせた。それでも前に手を伸ばして、彼の影を探す。
水面から顔を出した類さんは、ハッとしたようにこちらを振り向き、目をまん丸に見開いた。
「類さーー」
腕を伸ばしたのと、足元から地面が消えたのは同時だった。
マズい。
前のめりになって、僕は海の中に沈んだ。
手が空しく水を掻く。
苦しい。息ができない。
足場を探さないと。いや、それよりも類さんを……
類さんを……どうするって?
もがきながら冷静なもうひとりの自分が問いかけてきた。
そうだ。なんで僕は飛び込んでいるんだ。
助けを呼ぶべきだった。泳げない僕にできることなんてないというのに。
後悔しても遅い。
意識が遠のいてきた。
僕は……どうして……
どうして、いつも……いつも、いつも……っ!
その時だった。
肺に空気が滑り込んできて、視界に夜空が広がる。――引っ張り上げられたのだ。
「何してんだ、お前……!」
怒ったような、戸惑ったような類さんの声。
抱きかかえられた僕は砂浜につくと膝をついた。
「ゲホッ……ゴホッ……!」
咳き込み、飲み込んだ海水を吐く。
「大丈夫か?」
薄い波が寄せては引いて、手をついた浅瀬に跡を描いた。
僕は何度もえずきながら類さんを見上げた。……彼はどこか他人事のように訝しげに口を開いた。
「あんた……一体、何してんだよ」
「な、なにって……あなたこそ、何してるんですか!!」
緊張が緩んだせいか、涙で視界が歪んだ。
死ぬかと思った。
類さんを失うかと思った。
心臓が壊れたみたいにバクバクいっている。
「なんか、悩みとかあるなら……話してくださいよ! 何のために、恋人が4人もいるんですかっ!?」
「は?」
類さんが目を瞬かせる。
「ぼ、僕は確かに役に立ちませんけど、でも、話くらいなら聞けるしっ、あなたのためなら……なんだってするつもり、ですし……っ、うっ……お願いです、早まらないで……くださっ……」
嗚咽が溢れ、止めどもなく涙がこぼれた。
息を引き攣らせて類さんの足に縋り付き、僕は子供みたいに泣いた。
「伝。……伝、落ち着け」
類さんが僕の肩を優しく掴む。
それを振り払うように、僕は彼の裸足に額を擦り付けた。
「つらいこととかっ、悲しいことがあるなら、僕が……僕が、なんとかっ、ぅ、しますからっ……支えます、からっ……」
「聞けよ、伝。誤解だ」
「誤解? どうしてこの期に及んで隠すんですか。そんなに僕は頼りになりませんかっ……!?」
「や、泳いでただけなんだ」
「……」
僕は押し黙る。
しゃがみ込んだ類さんが、指先で僕の涙を拭った。
ボヤボヤした視界に、申し訳なさそうな彼の顔が映る。
「……ほ、本当に? 本当に泳いでいただけ……?」
唖然とする僕に、彼は頷いた。
確かに、彼は……水着姿だった。
普通に考えれば、上半身裸のサーフパンツでなんて入水はしないだろう。だが、しかし……
僕は唇を引き結ぶと、首を振った。
「う、嘘つかないだくださいよ。こんな夜にひとりで泳ぐなんて……そもそもあなたは、泳げないんじゃなかったんですか?」
「誰からそんなこと聞いた? 俺、泳げるぞ。溺れかけたあんたのこと、ここまで引っ張ってきたし」
僕は無意味に唇をパクパクと動かす。
……本当に?
本当に彼は……泳いでいただけ?
「……どうして昼間に泳がなかったんですか」
「人が多かったからだよ。今回は泳がねぇで帰ろうかとも思ったんだけど、せっかく海まで来たのに勿体ないなって。あとは仕事から解放されたテンションっつーか」
「て、テンション…………」
僕は愕然と類さんを見上げ、ズビビと鼻水をすする。
それから辛うじて顔に引っかかっていた眼鏡を掛け直すと、深く息を吸った。
「ま……紛らわしいことしないでください!!」
「うおっ!?」
唐突に大きな声で叫んだ僕に、類さんが背を仰け反らせる。
僕は荒々しい気持ちのまま続けた。
「そもそも夜にひとりで泳ぐなんてダメでしょう!? もし何かあっても誰も気付けないんですよ!?」
「……そうだな。俺が悪かった。ごめん」
類さんは素直に頭を下げた。
だから渦巻いていた激しい感情が行き場をなくしてしまう。
何か言いたいのに、言うべきなのに、言葉が見つからない。
僕は肩で息をしながら、ただただ泣いた。
涙腺がバカになっていた。
「ほ、本当に心配したんですからね……死んじゃうんじゃないかって……」
両手で顔を覆う。
なんだかもう、何もかもが恥ずかしい。
早とちりしたことも。
感情的になって声を荒げていることも。
ベソベソと子供みたいに泣いていることも。
自分は泳げもしないのに海に飛び込んでしまった浅慮も。
しかも更に格好悪いことに、助けようとした類さんに助けて貰うという体たらく……
「マジで、悪かったよ」
両手をどかされる。
僕は類さんの視線を避けて俯く。
「ごめんな、伝……」
類さんの手が、僕の濡れた髪を撫でた。許しを請うように頬に触れた。
ややあってから、僕はおずおずと顔を持ち上げた。
頬に唇が押し付けられ、舌で涙を拭われる。
ふたりの間に、波の静寂がたゆたっていた。
彼は僕の額に額で触れた。
僕は目を閉じた。
もういいです、謝らないでくださいと告げるみたいに、彼の鼻先に自分の鼻先を擦り付ける。
まだショックから立ち直れないのか、涙は止まる気配がない。
それがまた情けない。
「ホント、ごめん……」
類さんはしつこいくらいに僕の頬に口付けた。
くすぐったい……
僕はされるがまま全てを受け止める。
「ん……」
やがて、唇に唇が触れた。
ついばむようなキス。角度を変えて何度も優しく触れ、気がつけば砂浜に背を引かれるようにして、僕らは重なった。
薄らとした波が寄せては引いていく。
潮声。それから、たくさんの星と白い月。
ポタリと類さんの前髪から水滴が滴り落ちて、僕の頬を滑り落ちていった。
僕は彼の背に手を回した。
水を蹴り、歩みを進める。
海面が思ったよりも早く胸元まで到達した。
波は穏やかながらも力強く、浴衣とともにまとわりつき足がもつれる。
頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
衝撃。困惑。それから、もしも彼を失ってしまったら、という恐怖。
去来する最悪の考えに奥歯が鳴る。
嫌だ。嫌だ。嫌だーー
「類さんっ……類さんっ!!」
声の限りに僕は叫んだ。
「わぶっ……」
口の中に海水が入ってむせた。それでも前に手を伸ばして、彼の影を探す。
水面から顔を出した類さんは、ハッとしたようにこちらを振り向き、目をまん丸に見開いた。
「類さーー」
腕を伸ばしたのと、足元から地面が消えたのは同時だった。
マズい。
前のめりになって、僕は海の中に沈んだ。
手が空しく水を掻く。
苦しい。息ができない。
足場を探さないと。いや、それよりも類さんを……
類さんを……どうするって?
もがきながら冷静なもうひとりの自分が問いかけてきた。
そうだ。なんで僕は飛び込んでいるんだ。
助けを呼ぶべきだった。泳げない僕にできることなんてないというのに。
後悔しても遅い。
意識が遠のいてきた。
僕は……どうして……
どうして、いつも……いつも、いつも……っ!
その時だった。
肺に空気が滑り込んできて、視界に夜空が広がる。――引っ張り上げられたのだ。
「何してんだ、お前……!」
怒ったような、戸惑ったような類さんの声。
抱きかかえられた僕は砂浜につくと膝をついた。
「ゲホッ……ゴホッ……!」
咳き込み、飲み込んだ海水を吐く。
「大丈夫か?」
薄い波が寄せては引いて、手をついた浅瀬に跡を描いた。
僕は何度もえずきながら類さんを見上げた。……彼はどこか他人事のように訝しげに口を開いた。
「あんた……一体、何してんだよ」
「な、なにって……あなたこそ、何してるんですか!!」
緊張が緩んだせいか、涙で視界が歪んだ。
死ぬかと思った。
類さんを失うかと思った。
心臓が壊れたみたいにバクバクいっている。
「なんか、悩みとかあるなら……話してくださいよ! 何のために、恋人が4人もいるんですかっ!?」
「は?」
類さんが目を瞬かせる。
「ぼ、僕は確かに役に立ちませんけど、でも、話くらいなら聞けるしっ、あなたのためなら……なんだってするつもり、ですし……っ、うっ……お願いです、早まらないで……くださっ……」
嗚咽が溢れ、止めどもなく涙がこぼれた。
息を引き攣らせて類さんの足に縋り付き、僕は子供みたいに泣いた。
「伝。……伝、落ち着け」
類さんが僕の肩を優しく掴む。
それを振り払うように、僕は彼の裸足に額を擦り付けた。
「つらいこととかっ、悲しいことがあるなら、僕が……僕が、なんとかっ、ぅ、しますからっ……支えます、からっ……」
「聞けよ、伝。誤解だ」
「誤解? どうしてこの期に及んで隠すんですか。そんなに僕は頼りになりませんかっ……!?」
「や、泳いでただけなんだ」
「……」
僕は押し黙る。
しゃがみ込んだ類さんが、指先で僕の涙を拭った。
ボヤボヤした視界に、申し訳なさそうな彼の顔が映る。
「……ほ、本当に? 本当に泳いでいただけ……?」
唖然とする僕に、彼は頷いた。
確かに、彼は……水着姿だった。
普通に考えれば、上半身裸のサーフパンツでなんて入水はしないだろう。だが、しかし……
僕は唇を引き結ぶと、首を振った。
「う、嘘つかないだくださいよ。こんな夜にひとりで泳ぐなんて……そもそもあなたは、泳げないんじゃなかったんですか?」
「誰からそんなこと聞いた? 俺、泳げるぞ。溺れかけたあんたのこと、ここまで引っ張ってきたし」
僕は無意味に唇をパクパクと動かす。
……本当に?
本当に彼は……泳いでいただけ?
「……どうして昼間に泳がなかったんですか」
「人が多かったからだよ。今回は泳がねぇで帰ろうかとも思ったんだけど、せっかく海まで来たのに勿体ないなって。あとは仕事から解放されたテンションっつーか」
「て、テンション…………」
僕は愕然と類さんを見上げ、ズビビと鼻水をすする。
それから辛うじて顔に引っかかっていた眼鏡を掛け直すと、深く息を吸った。
「ま……紛らわしいことしないでください!!」
「うおっ!?」
唐突に大きな声で叫んだ僕に、類さんが背を仰け反らせる。
僕は荒々しい気持ちのまま続けた。
「そもそも夜にひとりで泳ぐなんてダメでしょう!? もし何かあっても誰も気付けないんですよ!?」
「……そうだな。俺が悪かった。ごめん」
類さんは素直に頭を下げた。
だから渦巻いていた激しい感情が行き場をなくしてしまう。
何か言いたいのに、言うべきなのに、言葉が見つからない。
僕は肩で息をしながら、ただただ泣いた。
涙腺がバカになっていた。
「ほ、本当に心配したんですからね……死んじゃうんじゃないかって……」
両手で顔を覆う。
なんだかもう、何もかもが恥ずかしい。
早とちりしたことも。
感情的になって声を荒げていることも。
ベソベソと子供みたいに泣いていることも。
自分は泳げもしないのに海に飛び込んでしまった浅慮も。
しかも更に格好悪いことに、助けようとした類さんに助けて貰うという体たらく……
「マジで、悪かったよ」
両手をどかされる。
僕は類さんの視線を避けて俯く。
「ごめんな、伝……」
類さんの手が、僕の濡れた髪を撫でた。許しを請うように頬に触れた。
ややあってから、僕はおずおずと顔を持ち上げた。
頬に唇が押し付けられ、舌で涙を拭われる。
ふたりの間に、波の静寂がたゆたっていた。
彼は僕の額に額で触れた。
僕は目を閉じた。
もういいです、謝らないでくださいと告げるみたいに、彼の鼻先に自分の鼻先を擦り付ける。
まだショックから立ち直れないのか、涙は止まる気配がない。
それがまた情けない。
「ホント、ごめん……」
類さんはしつこいくらいに僕の頬に口付けた。
くすぐったい……
僕はされるがまま全てを受け止める。
「ん……」
やがて、唇に唇が触れた。
ついばむようなキス。角度を変えて何度も優しく触れ、気がつけば砂浜に背を引かれるようにして、僕らは重なった。
薄らとした波が寄せては引いていく。
潮声。それから、たくさんの星と白い月。
ポタリと類さんの前髪から水滴が滴り落ちて、僕の頬を滑り落ちていった。
僕は彼の背に手を回した。
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