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chapter2

step.11-6 餃子と眼差し

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* * *

 せっかく類さんが帰ってきたのに、翌日も僕は自室からほとんど出られなかった。
 夕方になってもベッドに横になり、携帯で包丁に関する記事を読み漁る。

『包丁は料理人の魂』

 そんな風に書かれたものをいくつも見つけて、血の気が引いた。

 もし、落としたソウさんの包丁の刃が欠けていたら?
 弁償したとしても彼の包丁が戻ってくるわけじゃない。ソウさんの包丁は、彼が大事に使ってきた歴史と共にあるのだ。

 僕は、取り返しのつかないことをしてしまった。

 本日、何度目かのため息が溢れる。
 謝って、謝って……それから? 僕はどうすればいいんだろう……?
 彼と仲良くしようと思うことすら許されないのでは……

 鬱々とした気持ちで身体を丸める。その時、部屋の扉が鳴った。

「おい、いるか?」

 この声はソウさんだ。

「は、はい! 何かご用でしょうか……っ!?」

「話がある」

 僕はベッドから飛び降りると扉に駆け寄った。

「ソウさん、あの……包丁っ……! もしかして、欠けてたりーー」

「それはいい」

「良くないです! 本当にすみませんでした。
 何年かかっても必ず弁償します……!」

 僕はガバッと頭を下げる。
 すると、小さな溜息が落ちた。

「……しつこい。いいって言ってる」

「は、はい、すみませ……」

「それより、時間はあるか?」

 僕は恐る恐る顔を上げる。

「あ……あります。どうかしたんですか?」

 問えば、彼はいつもの無表情でチラリと台所を目で示した。

「……餃子、作るぞ」

「は……ぎ、餃子?」

「材料はもう用意した。早く来い」

 告げるや否や踵を返してしまう。

 ……なんで餃子?

 反省文を書く的な意味で餃子を作れということだろうか。
 それとも家族みんなで作るという企画……?

 僕はわけがわからないまま、先日類さんから貰ったエプロンを引っ掴むと、台所に急いだ。

* * *

 家族みんなで作るという予測は外れた。
 キッチンには、僕とソウさんのふたりしかいなかった。

「……夕飯に、餃子と卵スープを作る」

 袖をまくり手を洗うと、ソウさんは言った。

「は、はい」

「タネは、もう寝かせておいた」

 彼はひき肉とニラなどが練られたものが入った銀ボールをドンッと作業場に置いた。
 次いでテキパキと餃子の皮と、小皿に入った水と大きめの空の皿を用意した。

「……これを包んでいく」

「わ、わかりました」

「やり方は……」

 ぶっきらぼうながらも丁寧に教えてくれたことに従い、僕は指先につけた水を、手にした皮の上半分の端っこに塗った。続いてタネを真ん中に置き、包む。
 皮は予想外に厚くて、中身がぶにゅっとはみ出た。

「……あまり多く入れない方が綺麗にできる」

「は、はい……」

 次は中身を減らして包む。ちょっと少ない気がするが、今度は端がピタリとくっついた。

「そう……それくらいが、ちょうどいい」

「はい」

「底は、平らにすると……焼きやすい」

「わかりました」

 僕らは黙々と餃子を量産していった。
 僕がひとつ包むうちに、ソウさんは3つも包んだ。ひとつひとつが、まるで売り物みたいにキレイだ。

「ソウさん、さすがですね」

 お店のものみたいです、と続けようとして慌てて口を噤む。
 仕事で料理を作っている相手に言うことではないだろう。

「別に……」

 ソウさんはボソリと呟くと、押し黙った。

 その後は、僕は無駄口を叩かず必死に手を動かした。
 ラーメン屋さんで食べる餃子を頭の中に思い浮かべ作業をするが、全く思い通りにならない。膨らんだフグみたいな形の餃子を大量生産していく。
 しかし、20個を超える頃になると、なんとなくさまにはなってきた。

「ちょっとできてきたような気がします」

「……うん」

 ソウさんが頷いてくれる。
 知れず頬が綻んで、僕は慌てて口を引き結ぶ。
 と――

「待て」

「はいっ!?」

 彼は慌てたように僕の方を向いた。
 何かやらかしてしまったかとビクつけば、彼は戸惑ったように口を開いた。

「違う、間違えた。『うん』じゃ、ない」

「ええと……それって、できてないってことですか?」

「いや……上手くなったと、思う。そう言いたかった。……少しだけど」

 わざわざ、彼は言い直してくれたようだ。

「あ、ありがとうございます」

 僕はソウさんに、少しだけ上手と言わしめた餃子を眺める。
 確かに、今までで一番いい出来だ。自分は壊滅的に不器用だと思っていたが、ただの不器用くらいなのかもしれない。

「……楽しいか?」

「は、はい。楽しいですよ」

「そうか」

 ……あ。笑った。

 僕は目を瞬かせる。
 頷いたソウさんは、一瞬だけフッと花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 なんだかよく分からないが、餃子が相当好きなのだろうか。ちょっと違うような気がしないでもないが……

 彼は僕の視線に気付くと、ちょっと恥ずかしそうにして手元に目線を戻した。
 それから、ボソリと言った。

「包丁の刃は問題ない。……本当に気にしなくていい」

「だとしても、僕のせいで……」

「お前のせいじゃない。……鞄の留め具、壊れてたし」

「え……」

 餃子を包みながら告げられた思わぬ言葉に、僕はソウさんを見た。

「修理、出そうと思ってて。外に出してあった」

「そ、そうだったんですか……」

「あと」

「は、はい」

「俺は、お前のこと……嫌いじゃない、から」

 手から餃子が滑り落ちそうになる。
 僕はまじまじとソウさんを見つめた。
 彼は作り終えたそれを皿の上に置いてから、僕に向き直る。

「なに?」

 小首を傾げた彼のうなじ辺りで、尻尾みたいな黒髪がぴょんと揺れた。
 僕はあたふたと俯く。

「あ、いえ……その……」

 ありがとうございます、というのはなんか違うし。
 かと言って、僕もです、というのも違うだろう。
 ああでも、違くは……ないのか。
 言わないと伝わらないこともある。僕はソウさんに嫌いじゃないと言って貰えて、こんなに安堵している。

「ぼ、僕はソウさんのこと好きですよ」

 思いきって告げた。
 すると彼の手から餃子が滑り落ちた。

「あ、あの……?」

 ソウさんは、いつものあの険しい眼差しで餃子を見下ろしていた。
 え? あれ? もしかして、言葉の選択……間違ったか?
 僕は、また無意識に何か気に障ることを……

 ハラハラしながら反応を待てば、やがて彼は手から落ちた餃子を取り上げた。それから、ものすごく申し訳なさそうに眉根を下げた。

「俺は……類が好きだから……」

 ごめん、と告げられる。
 今度は僕の手から餃子が落ちた。
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