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chapter2

step.11-4 餃子と眼差し

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* * *

 ソウさんの朝は早い。
 仕事の日は4時にはもうマンションを出る。
 聞いた話によると、彼は有名なレストランのシェフらしい。なるほど、料理が上手なわけだ。

 しかし、今日の彼は8時を過ぎてもゆっくりしていた。
 いつものように出かける身支度を整え、リビングで朝のニュースをぼんやり見ている。
 僕はといえば、彼の近くに座って会話のチャンスを窺っていた。バイトは昼からだったから、たっぷりと時間はあった。

 リビングには珍しく僕とソウさんのふたりしかいない。

 類さんは、昨日から編集さんと取材旅行に出かけている。
 帝人さんは仕事でもうとっくに家を出た。ニャン太さんは、今日は休みとのことで未だ自室で爆睡中。

 緊張が高まって、気がつけば黙り込んでしまう。アナウンサーが読み上げる占い結果が、ふたりの間を流れる。

「ソウさんって何座なんですか?」

「……なに」

「せ、星座の話なのですが……」

「…………知らない」

 思案げにしてから、ポツリと言う。
 僕は彼の様子を伺いながら、問いを重ねた。

「あ、ええと……誕生日いつなんですか?」

「……1月29日」

「じゃあ水瓶座ですね。……あ、今日の運勢1番じゃないですか!」

「何をやっても上手くいく、チャレンジの日」なんて言われている。
 ちなみに僕の魚座は最下位だった。今日は大人しくしているべきかも……って、いやいや、運命とは自分で切り拓くものっていうだろ。

 僕は更に会話を続けようと口を開く。
 しかし、話題が思いつかず無意味に唇を開閉させた。
 ……静寂。
 ロボット掃除機のワンダが、すいーっとソファの横を通り過ぎる。

「……る、類さんいないと寂しいですよね」

 僕はテレビがCMに入るタイミングで言った。

「……今日、帰ってくる」

「長い取材じゃなくて良かったです」

 今日はちょっと自然に会話できてるんじゃないか?

 ソウさんは相変わらず無機質な感じだったけれど、ちゃんと答えてくれた。
 よし。少しずつ距離が縮まってきてる……

 なんて思っていると、ソウさんが急に立ち上がった。
 そのまま無言で玄関へ向かったかと思うと、バタンと扉の閉まる音が聞こえてくる。

 え……
 えええ……っ!?

 も、もしかして、声をかけたからか!?
 だからって、こんな、何の前ぶりもなく仕事に出かけるか!?

 い……いや、待て、落ち着け。もう出ようとしている時にたまたま僕が声をかけた可能性もあるじゃないか。
何もかもをネガティブに考えるのは、僕の悪いクセだ。うん。

 僕は深呼吸をした。
 それからキッチンに向かった。水を飲んでから自室でバイトの準備をしようと思ったのだ。

 と、キッチンでソウさんの鞄を見つけた。
 黒い革張りのショルダーバック。大きさは普通のサラリーマンが持つものより、ひと回り小さく、薄い。

 ……忘れ物?
 でも、さすがに仕事の鞄を持っていかないなんてこと、あるだろうか?

 僕は鞄を前に小さく唸った。
 彼はマンションと直で繋がっている地下鉄を利用している。今ならまだ、走って届ければ間に合うだろう。
 そして、届けられるのは自分しかいない。……間違っていたら持ち帰ればいいだけだ。

 僕はその鞄を持った。
 ズッシリと重いそれを手に、早足で玄関へ向かう。

 その時、玄関が開いた。ソウさんが戻ってきたのだ。

「あっ、ソウさん! 鞄、忘れてまーー」

 手にかかっていた負荷が、突然軽くなった。カパッと鞄が開いたのだ。
 あっと思った時には、中身がーー何本もの包丁がバラバラと外へと転がり出て、大理石の床にぶつかり甲高い音を立てた。

 痛いほどの静寂が落ちる。
 何で? 何がーーいや、それより。
 僕はやらかした。これは完全に、やらかした……!

「す、すみませんっ!」

 慌ててしゃがみ込み、落ちた包丁を拾おうと手を伸ばす。
 中には木鞘から飛び出てしまったものもあり、鋭い刃先が冷たく輝いていた。

 刃先は大丈夫だろうか。欠けていたりしたら大変だ。
 ――その時だ。

「触るなっ!」

「……っ!? は、はい……!」

 鼓膜を震わせる、険しく激しい声。
 僕は咄嗟に伸ばしていた手を引っ込める。

 ソウさんは足早に近づいてくると、しゃがみ込んだ。それから素早い動作で包丁を集め、途中で僕を見た。

「……ケガは」

「あ、ありません」

 応えると、彼は小さく嘆息した。
 それから再び包丁を鞄にしまっていく。

 沈黙。
 やがて全てを収めると、彼は鞄を両手に抱きかかえるようにして持った。

「あの……刃先、大丈夫でしたか。もしも何かあったらーー」

「余計なことするな」

 ピシャリと告げられ、押し黙る。

 彼の手にはコンビニの袋があった。先ほどは仕事に出かけたのではなくて、買い物に行っただけだったのだろう。何もかも、僕の早とちりだったわけだ。

 僕は口の中にたまった唾液を飲み込んでから、頭を下げた。

「……すみませんでした」

 ズボンに押し付けた手を握り締める。
 僕は顔を上げられなかった。
 少しでもソウさんと仲良くなりたかっただけなのに。

 ソウさんは無言でキッチンへ向かった。冷蔵庫の開閉音がした。
 それから戻ってきた彼はポツリと言った。

「……出かけてくる」

 僕が顔を上げる頃には、もう彼は踵を返していた。

「は、はい……いってらっしゃい」

 ソウさんは今度こそ玄関を出て行った。
 僕はしばらくその場で立ち尽くした。

「やらかした」。そのことはハッキリわかる。
 胃がひっくり返りそうだ……。
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