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八章

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 姫様の熱は、なかなか下がらない。昨日の夜、俺が謝りに行っている間からずっと眠っている。たまにうなされているようなのが辛い。水で濡らしたタオルを額に乗せ、20分おきに取り換えていく。夜通し看病して、ようやく少し熱が下がった。……時計を見ると、午前4時36分。


「……結構経ったな」


 ポツリと呟いて小さくあくびをする。でも、姫様がこうなってしまったのは俺のせいだ。俺が今出来ることを、今出来るだけしておかなければ……。


「…………ルアン……」

「姫様……? 体調は、いかがですか?」


 どこかぼんやりとしている姫様は少し目を泳がせ小さく微笑んだ。


「えへへ……倒れちゃった」

「倒れちゃったじゃないですよ。……申し訳ありません姫様。私のために、スキルを使ってくださったのですね。それで、こんなことに…………」

「……あー、レオ、ルアンに話したんだ。言っちゃダメって言ってたのに…………」

「私が頼んだのですよ。……スキルを持っていなかったから、スキルに副作用があるなんて知らなかったんです。申し訳ございません」

「いいのいいの……。守りたかったんだもん、ルアンのこと。ルアンには、笑っていて欲しいんだもん……。私の、大切な友達に」


 姫様は、とても優しい。優しすぎて、いつかそれが仇になって傷ついてしまうのではないかと心配になってしまう。


「…………姫様、これを」


 俺は、自分の懐から小さな紙袋を取り出して、姫様に渡した。姫様は横になったままそれを受け取り、そっと開いた。


「あ……これ……」


 俺が姫様に渡したのは、あの、花の髪飾りだ。姫様は嬉しそうに微笑みながらも、不思議そうに俺を見る。


「……私から、姫様にプレゼントしたくて…………。
 姫様、姫様が私を護り、笑っていて欲しいように……、俺も、姫様に笑っていて欲しいんです。姫様の笑顔を、護りたいんです。だって……俺が姫様の友達なら、姫様も、俺の友達ですから」

「…………」


 急に黙りこみ、そして、髪飾りをぎゅっと胸に抱き、姫様は涙をぼろぼろと溢れさせたのだ。


「え!? ひ、姫様?!」

「ごめっ……うれ、しくなっちゃって…………っ。ありがとう……」


 涙にまみれた顔をあげて、にっこりと微笑む姫様が、とても、いとおしく感じた。

 ……その、数分後。事態は急変する。


◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈


「失礼します! 姫様、ルアンさん……やはりこちらにいらっしゃりましたか」

「あなたは確か、父さんの……どうかしましたか?」

「実は、先ほど、隣国で火山が噴火したようで。その噴石が、オートルの貯水場を破壊してしまい、大量の水が街に!」

「そんな……早く、街の人たちを助けないと……」


 よろよろと立ち上がろうとする姫様を制して、俺はなんとか冷静に頭をフル回転させる。こんな緊急事態、父さんだったら……100%人命優先だ。


「城は国の中で一番高台にある……食料も揃ってるし、ここが一番安全だ。大広間も社交場も全部開放して人をそこに! 手当てが必要な人は客間のベッドを! ……いいですね? 姫様」

「うん……私も」

「ダメです。じっとしていてください。……あの、父さんはいまどこに?」

「それが……」

「……え?」


 背筋が、いやに冷たくなる。耳の奥がキンキンうるさくて他の音が聞こえなくなる。……まさか。いや、そんなわけ無い。いくらなんでも、そんな無茶な……。自然に、人が勝てるわけないのに……。


「……レオさんは、被害があったことを聞くと、すぐに城を飛び出していきました。避難指示は息子が出してくれるだろうから問題ないと…………」

「…………」

「私たちも住民の救助にあたります。丸腰で出ていったレオさんは、たった一人でやっているわけですからね。放っておけません。ルアンさんはここにいて、姫様をお護りしていてください。それでは!」

「あっ! 待っ……」


 俺の声が聞こえなかったのか、その人はそのまま行ってしまった。……そう、俺の仕事は、姫様を護ること。それ以上でも、それ以下でもない。だから、ここにいるのが一番正しいのだ。
 でも……。


「ルアン、私……」

「ダメですよ姫様。休んでいてください。きっと大丈夫ですから」

「私、一人で大丈夫だよ」

「……姫様、しかしそれは」

「ルアン、行ってきていいよ。心配なんでしょ?」

「しかし……」

「――ルアン・サナック」

「…………!」


 正直、ドキッとした。その澄みきった瞳に、全て見透かされているようで、こんなに弱っているのに、とても強く見えて……。


「……行ってきなさい。そして、二人で帰ってきなさい。
 ――これは、命令です」


 あまりにも優しい姫様の『命令』に、俺の心はようやく決まった。元々、俺を助けてくれたのは、姫様と父さん……レオさんだ。俺は、一人でのうのうと待っていることなんて出来ない。


「……必ず、ここに戻って来ます。なので、どうか無理をなさらずに。安静にしていてください」

「……うん」

「……それでは、私は行ってまいります」


 そっと一礼して扉へ向かう。ドアノブに手をかけた、その時だった。


「待って!」

「姫さ…………」


 姫様の声に振り向くとすぐに、体にその体温を感じた。ぎゅうっと俺にしがみついたまま、姫様は俺の胸に顔をうずめる。


「…………怖いよ」

「…………」

「絶対……絶対、帰ってきてね」


 俺は、肯定する代わりに、おずおずと手を伸ばし、それからしっかりと姫様を抱き締めた。


「……ルアン…………」

「……大丈夫です。私は、姫様の命が終わるその時まで、ずっとお側におります。ですから、ご心配なさらずに。ここで、お待ちください」

「…………」


 姫様がしっかりと頷いたのを見て、俺はそっと姫様の体から離れ、勢いよくドアを開いて外に飛び出した。昨日使っていた客間に入り、剣だけひったくり、そのまま客間の窓から外に飛び出した。
 外に出て、また一つ気づく。真っ黒い雲がこちらに向かって流れてくる。風が強いせいか、その流れはかなり速い。城下を見ると、もうすでに複数の家が水に飲まれ、倒木や瓦礫などが流されていた。


「……これで雨なんて降ったら……っくそ!」


 ……走った。ひたすら走った。父さんは一体どこに…………。


「いやぁっ!」

「っ?! どこだっ!」


 突然聞こえた悲鳴。その方向に向かって走り出す。見ると、下半身が瓦礫の下敷きになった人がもがきながら叫んでいた。15cmほどの水深。流れが緩やかではあるが、いつどうなるか分からない。早く助けなければ……。


「大丈夫ですか!? 俺のこと、分かりますか!?」

「あ……ああ…………」

「待っててください、今瓦礫どかしますから」

「倒れてくるっ! 木が倒れてくるぅっ!」

「っ?!」


 ふと振り向くと、そこにはこちらに向かって倒れてくる木が一本。……無論、俺は逃げることだって出来た。が、俺の仕事……護るために、剣を振ること!


「……頼むぞ」


 そう一言呟いて、俺はその大木に向かって剣を振るった。いくら切れ味が良いと言ったって刃渡りを越えた太さの木を切り落とすなんて出来やしない。木の幹の途中に食い込んだまま剣は動きを止めた。木を剣一本で受け止めている状態。こんな状態で、どちらが勝つか分からなかったが、俺はその剣を力任せに右から左に振るう。


「っらああああああああっ!!!」


 体の全筋肉が悲鳴をあげる。しかし、ここで止めたら俺も、この人も、死んでしまう。そんなのは……絶対に嫌だ!
 ……どおんと大きな音を立てて大木は、俺らより2、3メートル左側に倒れた。そっと近づいて剣を引き抜くと、折れるどころか、傷一つ付いていなかった。


「……強すぎ。ありがとな」


 それから、あの人のところに行って瓦礫をどかした。体を抱き上げ、少し高台に登ったところにそっと下ろす。多少の怪我はしていたけど、命に別状はなさそうだ。


「ふぅ……危なかったですね。とにかく、ここにいてはいつ水が来るか分かりません。早く城に」

「ありがとう……本当に、ありがとう……」

「…………え」

「あなたがいなかったら、きっとあのまま死んでいたわ。……本当に、ありがとう…………」

「…………いえ。城には医者もいます。すぐに連れていきま」

「ルアンさん! ルアンさんですよね!?」

「はい! どうしました?」

「いえ、姫様が怪我人がいたら連れてくるようにとおっしゃったので! その方は私が引き受けます! なのでどうか、他の人たちを!」

「……分かりました。お願いします! 姫様に無理をしないように言ってください」


 再び飛び出した俺は、未だかつて無い喜びを噛み締めていた。助けられたとか、そんなんじゃない。ただ、あの人に、俺の存在を肯定してもらったような気がして、嬉しかったのだ。
 ずっと誰にも認めてもらえなかった『俺』という存在。みんなに出来ることが出来なくて、ずっと不安を抱え続けた人生。それを肯定し、必要としてくれた姫様。それを受け入れ、息子と呼んでくれたレオさん。二人のお陰で、今の俺は成り立っている。


(……そうか)


 俺は、ようやく一つの答えを導き出した。


「――…………こんな俺でも、剣を振るう資格はあるんだ」

「――いい顔してんじゃねーか、ルアン」


 ふと横を見ると、少し傷を負った父さんが、袖で顔をぬぐいながら笑っていた。背景に映る黒い雲とは対照的に、父さんの顔は明るかった。


「……父さん…………」

「スキルを持っていないことが、直接、人生の損得に関係する訳じゃない。大切なのは考え方だ。
 人と違うことがあるのなら、あえてそれを生かしてみるのもいいだろう。目が無いのなら耳を、耳が無いのなら目を。スキルが無いのなら技を。お前の剣術は、そんじょそこらのやつとは違う。もう大丈夫だよ、お前は」

「父さん……」

「…………俺が、いなくなっても」

「え」


 一瞬だけ浮かべた父さんの悲しげな顔。俺はそれを、今でもずっと、忘れることが出来ないのだ。……忘れるなんて、出来ないのだ。
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