学生探偵事務所

鈴江直央

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「起きろ」
 突然頭を叩かれて起きた。目の前には不機嫌そうな渚の顔。
「もっと優しく起こしてくれないかな…」
 頭をさすりながら言うと渚はふんっと鼻を鳴らして行ってしまった。なんとも態度が悪い。しかし、そんな渚がここまで近寄ってくれるようになったのも最近だ。


   ー3年前ー

 渚が小学1年生になる少し前に僕は初めて彼女に出会った。全く何も話さない。無愛想。可愛げがない。そんな印象だった。彼女を紹介してくれたのは僕の両親が親しくしていた両親の友人だった。僕もお世話になっていた。
「渚ちゃんって言うの。その…、訳があって、あなたには知らされていなかったのだけど、あなたの妹よ。」
 おばさんから放たれたその言葉を理解する間もなく、僕は渚と二人で暮らすことを強いられた。16年間も秘密にしていた理由が分からない。というか、妹がいた記憶もない。ただただ混乱している僕におばさんは言った。
 「…ご両親のこと本当に、残念だわ。この子はその場にいたのよ。優しくしてあげてね。」
 言葉が出なかった。いろんな疑問が頭の中をかけめぐって何から聞けばいいのかもわからない。呆然とする僕に渚を預けておばさんは去って行った。
「えーと、僕は湊、よろしくね?」
 とりあえず挨拶してみた。が、無視。
「僕の妹ってほんとに?君今何歳?」
 めげずにきいてみた。反応がない。諦めようと思ったその時、渚はカバンから茶封筒を取り出し僕に突きつけた。そしてそのまま部屋の端っこで蹲って動かなくなった。僕は渡された封筒を開けた。そこには戸籍表や両親の財産受取人の書類などがあった。なるほど、僕と渚は本当に血の通った兄妹らしい。大半の内容が頭からすり抜けつつ、最後のページに母の字と思われる手紙が挟まっていた。

 『湊へ
 お父さんとお母さんの研究がもうすぐ終わるの。大成功よ。でもその分沢山の人からの理不尽な恨みや妬みが絶えないのもあなたは知ってるわね。貴方を高校生の時から独り暮らしさせたのはあなたに被害がないようにするため、1年ごとに部屋を変えさせたのもそのためなの。
 その頃からあなたの妹、渚を私達のもとに引き戻したの。昔あなたが事故にあって数年アメリカにいた時、産まれた子。出来心だったの。こんなに効果があるとは思わなくて…。渚に私達の研究結果を試したの。生まれてすぐの渚に少しだけね。でも赤ちゃんの成長を見くびっていたのかしら、思った以上に効果が出てしまって、生後六ヶ月で色んなことが出来るようになってしまった。それが嬉しくて同じ研究者達に自慢したの。そうしたら、渚の命まで危険にさらしてしまって、暫く遠い親戚にお世話になってたの。
 こんな形でしかあなたに伝えられなくてごめんなさい。渚を私達のもとに呼び寄せてからまた昔の研究者達が、どこから嗅ぎつけたのか騒ぎ出してしまった。3年間渚は私達のことを沢山手伝って沢山協力してくれた。その成果もあって研究は終わりそうよ。
 だけど、何か、私達に何かあった時には、渚をどうかよろしくね。あなたの事、心から愛してる。』

 情報が多いのか少ないのか。これだけじゃ何がなんだかさっぱりだ。……いや。僕は両親が何を研究していたか知ってる。遺伝子やバイオテクノロジーなど、生物に関係する進化をもっとできないか、僕たち人間をより強力なものとするための研究だ。より豊かに、かつ賢く。そのためのワクチンや薬を両親は日頃から作ろうとしていた。それを、、渚に?
「オレは父さん母さんの研究を受け継ぐ。いや、それ以上のものを作ってみせる。そしてあいつらを絶対に許さない。」
 低く呟かれた渚の言葉には、憎しみと悲しみが色深く出ていた。自分の小さな手を見つめ、何か決意したように手を握る。その様子を見て僕がすべき事が分かった。両親が僕に託したこと。両親は常に死と隣合わせの研究に励んできた。だから覚悟は相当出来ていたのだろう。
でも渚は違う。両親が死ぬなんて思ってもいなかっただろう。
「一人で抱え込まないで。僕は絶対にいなくならないから。」
 小さな彼女の手を包み込みながら目をしっかり見て言った。僕は渚が泣いた姿を見たのはこの時が最初で最後だった。

 それから半年後。渚はひたすら研究室にこもり、僕は両親が残したものの後片付けや渚とのコミュニケーションにあけくれていた。渚の口癖は「許さない」で、両親を殺したやつを殺すことしか頭に無かったし、僕はそんな渚を引き留めようにも何をすればいいか分からなかった。僕だって、許せない訳じゃない。だけど、復讐は何も生まない。争いは争いを呼ぶ。父さんのその言葉が頭を占領して渚みたいに素直に表に出せなかった。なにより渚を支えなければという使命にかられて怒ったり悲しむ暇がなかった。
「渚。ごはんだよ。少し食べないと。」
 半年も二人で過ごしていると大体どういうふうにすればいいか理解できた。研究にのめり込む渚は周りが見えなくなりご飯さえろくに食べなくなる。なので無理矢理にでも食べさせたり、食べやすいおにぎりやサンドイッチを常に用意した。
「渚。お風呂入らないと汗まみれだよ。」
 声をかけても大抵は無視された。だけど分かったことがもう一つ。
「…美味しいケーキがあるんだけどなぁ。」
 僕の声に渚は早く言えと睨みつけた。無類の甘いもの好きな渚のこの顔を見るときだけは、渚が年相応の女の子に見えた。大人びてる、という言葉ではあらわせないほど、渚は大人だったし、僕より"でき"が良かった。
 だから僕はそのままの渚を受け止めて可愛がって甘やかすしかなかった。両親が渚に試したワクチンは能の発達を促進させるもので、渚は生後半年にして3歳。実際3歳になる頃には10歳程の脳の働きに達していたらしい。脳は働いても身体の成長は周りと同じでできる事は限られているため、渚はそれがもどかしいようだった。
「ね。気分転換に外出ない?」
 渚はケーキを頬張りながら首を振る。そんな事をしている時間はないと言っているのだ。僕の家に来てから渚は全く外に出ていない。両親が残した資料やら何やらを手当り次第に頭に叩き込んでいるし、時々何かを作っている。
 無理もないと思う。僕はしばらく経ってから両親が殺されたことを知らされた。実際に両親と暮らしていたのは中学生まででその後の関わりは少なかったから現実味が無かったのも事実だ。だけど渚は違う。目の前で、無残に、冷酷に、今まで笑い合っていた人達が豹変するのを見た。賢い渚はすぐに理解しただろう。

 こいつらは両親を"殺した"

「ケーキ、もう無いの?」
 渚の声に我に帰った。無いよ。と笑って優しく頭をなでる。賢すぎて悲しめなかったと思う。理解出来すぎて泣けなかっただろうと思う。負の感情はすべて復讐心に変わった。だから僕は、兄として。一番近い存在としてこの子がいつか笑えるように、泣けるように悲しめるようにしたいと思った。



    ‐現在‐

「買い物行くよ。渚。」
 小さく頷く渚に笑いかける。小学2年生になる頃から頑張って学校に通えるようになった。今では普通に出歩く事もできる。小学4年生にしてはありえない落ち着きと、生まれ持った端正な顔立ちで近所で少し話題になった。
渚を狙う研究者は山ほどいる。だけど渚自身が、渚に近づくことを許さない。その方法は様々だが、絶対に人を殺してはいけないと入念に、丁寧に教えてきたおかげか、未だ渚の手は汚れていない。実際、機械を触ったりして常に泥だらけではあるが。
「…湊はどうして探偵事務所なんか作ったんだ?」
 ふとそんな質問をされた。この事務所を作ってからまだ2年程しか経っていないが、なぜかと言われたらそれは、
「渚の能力を活かせると思ったからだよ。あと、渚は人と話したがらなかったから、周りの人間と関わりを持たせるため。引きこもりだし。」
「…父さんと母さんのためだ。」
「僕に守れるものは今渚しかいないよ。確かに、余りにも急で僕もどうしたらいいか分からなかったけど、今側にいる渚を放っておくのは違うからね。」
 渚はそれを聞くと少し怒ったようにそっぽを向いた。
照れているのだと、最近になって分かった。幼少期はよく笑って朗らかで場を和ます存在だったとおばさんから聞いたが、両親の事があってからは鉄でも飲んだのかと言うくらい表情が動かない。本当に微妙な変化も良く見ていないと気が付かない。前髪が伸びて顔の右半分が隠れているのもあり、余計だ。
「ねぇ、やっぱり前髪切らない?」
「嫌だ。」
「顔、見えてるほうが可愛いのに。」
 さっと手で髪の毛をかきあげるとこれでもかというほど整った顔が僕を見上げる。少し猫目で大きな瞳。きりっと引き締めた頬と唇。今は少し焦ったように瞳が揺れた。
「やめろ。こっちの方が、かっこいいだろ。」
 僕の手を払い除けて歩いて行ってしまった。僕が人前に出ない理由と大差なくて、やはり兄妹なのかと笑ってしまう。何笑ってるんだ早くしろ。と呼ばれて外へと急いだ。

           ・

 お前も変わりなかったのか。と、渚の目が語っている。感情が表に出ない渚が今は怒りと悲しみで目を見開いている。
「研究者達の間ではお前達は希少価値のあるサンプルなんだ。大人しく我々の言うことを聞いておけ。死なせはせん。」
 穏やかそうに見えてとんでもない事を口にする目の前の人間。渚にとって最大の敵で憎むべきもので消し去りたいもの。何より、渚にとって"この人"に復讐を遂げるべきなのかは思う事があるだろう。
「湊くんと渚くんにはとても世話になった。息子も助けて頂いて大変感謝している。いい関係を築いて来れたのも良かった。こんな形で暴露してしまうのは心苦しいが、、しかし、私達の研究に、君達が必要なんだよ。」
 彼の息子、清田悠真は数年前に彼を殺害する目的で作られたロボットに間違って殺されかけ、助けたのは僕らだった。その父清田博士はノーベル賞や様々な研究で賞を取り、世間的に名前を知らない者は殆どいないと言っても過言ではない。その彼とは研究でも、事件でも、お世話になっていたし、何より悠真の父であったので全くのノーマークだった。まさか両親の事を知っていて近づいて、ゆるゆると野望を燃やしていたとは…。
 そんな彼の息子悠真は渚に寄り添い、彼女の心を少しずつ確実に広げていった。今でも分かりにくい渚の顔も、悠真の前では少し緩む。僕には出来なかった事を、悠真は渚に行った。
「さぁ。もう逃げ道は残されていないだろう?お前達の親だってそれを望んでいるさ。息子がお前達になびいたのは予想外だったが、いい仕事をしてくれた。」
 もう、話すな。と思った。誰も傷つけないでくれ。と思った。僕が両親を手伝わなかったのは、人間は欲に飲まれると自我を失うと、父に教わったからだ。お前は私達のあとに着いてくるなと、自由に生きなさいと。おかげで僕は自由に生きた分、両親に返せることはやって来た。勉強、スポーツ、資格を取ること、何でもやって学んできた。人の優しさや愛に触れて僕は優しくなれた。怒られることや泣かせてしまう事が自分への関心である事も知った。だから、渚に優しくできた。
 それをこいつらはいとも簡単に、容易く、粉々にしようとする。
「ねぇ渚。よく聞いて。悠真と逃げて、生きるんだ。僕は死なないから。必ずまた迎えに行くから、悠真と待ってて。」
「な、んで、そんなこと…」
「僕も、父さんと母さんの子だからね。」
 意味が分からない、と言うように渚は首を振る。僕は笑ってみせる。ここ数年でよく渚に言われた笑顔。そんな顔で笑うなと言われた笑顔。僕に埋め込まれた笑顔。
「オレ、知ってるよ。湊は湊だけど、湊じゃ無いって。」
「じゃあ問題ないね。悲しむこともない。必ずまた会えるから。ね?」
「でも、!!」
「言うことを聞いて。死んじゃだめだ。生きるんだよ。悠真!」
 悠真は僕の声に黙って頷き、渚を抱えて走って行った。聞いたこともない渚の大きな声が遠ざかる。
 にんまりと薄気味悪い笑顔を浮かべた研究者はとても嬉しそうに言った。
「正直、脳を活性化させた妹より君の方が興味深くてねぇ。君は何人目だい?あぁ、一度交通事故でバラバラになってるはずだし、高層ビルから落ちたこともあった。だけど君は死ななかった。もとい、死んだけど元に戻った。何人目、とは適切ではないのかな?」
 妹の渚だけが両親のワクチンを受けていた訳じゃない。僕も生まれてすぐに試されていた事がある。僕は人よりも"体の回復力が高い"。流石に切り刻まれたら駄目だろうけど、ある程度の形のまま、手足首を切断されても元に戻るし、脳を3分の2切ったとしても再生する。それも異様な早さで。
 それを知っている研究者は少ないが、両親と親しくしていた者や、僕の事故を知っている人達は僕の体質を知っている。
「切り傷は一瞬で治るし、ウイルスにも感染しない。髪の毛や爪の伸びるスピードがやたら早い。あぁ、どんなワクチンを取り込んだらそんなことになるんだろうね。」
 うるさい。と怒鳴りたかった。僕は両親の研究を応援するでもなく、否定するでもなく、ただ傍観していただけだ。自分がこんな体質なのは当たり前だと思って生きてきた。両親が話しているのを聞いてしまった時でさえ、そういうものなんだと受け入れた。僕がこの体質で悩まなかったのは、両親が上手に僕を逃してくれたからだったし、僕もそれが当たり前だった。だからこそ感謝もしている。だから、渚が狙われているのを今度は僕が救う番だ。渚からはもう、何も奪わせない。僕が、こんな世界に終わりを。僕達の幸せのために。


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