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第四章

過去の記憶

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「これ以上は我慢できません」

「…我慢をしていたのですか?」

「…先程の私の話しを聞いたましたか?」

「はい。聞いてましたよ?」
 
 我慢、というのはして欲しかったこっちが言うことで、お預けしていたリヒト側の言葉ではないはずだけども、と思うリーンであったが更に焦ったような表情を向けるリヒトにリーンは何か間違えたのだろうか、と困惑する。

「私はリーン様が他で作った思い出を聞くのが苦痛でした」

「えっ?」

「リーン様が私以外の者の膝の上にいるのを見るのも嫌でした」

「…はい」

「リーン様が他の者にお菓子を催促するあの表情は私しか見てなかったはずなのに…」

「…」

 これはどう言う意味なのだろうか。
 いや、どういう風に捉えたらいいのだろうか。好意は受け取っていた。リーンにとってもリヒトは特別な存在だ。
 だが、レスターやラテと同じで特別だからと言ってその後の事を見据えていた訳ではない。
 今この時はとても幸せだが、自分が人ではないと、人ならざる者だと分かってしまった。気付いてしまった。
 同じ時間ときを生きる事は叶わないし、当然自ら死を選ぶ事も出来ない。そんな苦しさに耐え切る覚悟はまだ出来ていない。いや、今後も出来ないだろう。

 今のままなら適切な距離感を保ち、友人として、親友として彼らが生きる時を隣で守り、共に寄り添い生きて行くだけ。それでも多分とても辛い事だと覚悟している。
 一度、何もかも無くした経験がリーンにブレーキをかけさせているのだ。
 だから、彼らがそれ以上を望み、今以上に心の内側に入ろうとし、リーンがそれを受け入れるのならば、それは色んなものを覚悟をしないといけないと言うことだ。
 でも、そんな勇気はない。
 それが出来ないから彼らが生きていくこの世界を少しでも良くしようと、一分一秒でも長く生きて貰おうと、ディアブロの魔の手から逃そうと、紆余曲折はありながらもここまで進んできた。

「リーン様、申し訳ありません。そんなに考え込まないでください。そんな不安そうな顔をしないでください。少し焦って先走り過ぎただけですから。私もレスターと同じようにきちんとリーン様のお立場をよく理解しております。だから、我儘を言うつもりはありません」

 見慣れた黒と銀色で統一された落ち着いた雰囲気の部屋に入る。そのまま自分に言い聞かせるかのようにリヒトはソファーに腰掛けて、自身の膝の上にリーンを乗せる。

 我儘を通した、と言うのは屋敷に泊まるように誘導したり、仕事中も抱きかかえたままだったりした事を言っているのだろう。そんなことはどうでも良い。あの時は寧ろ求められることに喜んでさえいた。

「別に我儘とは思っていませんでした」

「はい。今までも散々我儘を通して来ましたが、これからもこのくらいは変わらずにお許しください。私はただ、リーン様に知って欲しかっただけなのです」

「私が知らない事は…」

「そうですね…。でも、これ以上気付かないふりをされるのはとても耐え難いのです。私はリーン様のおそばにいたいと思っているのだと心に留めて置いて頂きたかったんです」

「それは…」

「分かっています。リーン様が私達の前からいなくなったのは私の立場を重んじ、身の安全を確保する為だったという事は。でも、私が何より一番苦しんだのは自分が傷つく事よりもリーン様と会えなくなる事です」

「…やらなくてはならない事が沢山あったのです」

 リーンはリヒトの言葉に一拍置いてから返す。言い訳のように聞こえらかもしれないが、これは嘘ではなく本当のことだ。ただ少し言葉は足りないだけで。

「リーン様の御心はとても複雑です」

「複雑…ですか」

「私もレスターのように願っておけば良かったのでしょうか?そうすればずっとお側にいれたのでしょうか?」

 自分にとってリヒトと言う存在が大切になるかも知れないと気付いてしまった時には既に離れる事ばかり優先していて、いずれ離れるならと思い出などを重ねる努力もしないが、誘われればそれを断ることも出来なかった。
 バザールやパン屋へのお出かけはもちろん、執務室での仕事もお泊まりも、着せ替え人形も、食事やお茶ような些細な時間だって楽しかった。

「リーン様をここまで頑なにしてしまったのは何なのでしょう?」

「…」

 リヒトの問いに言葉が出てこない。
 此方にきてから思い出さないようにしていた。だから、余計に鮮明に思い出されてしまって、今言葉を発すればその思い出と一緒に感情も全て吐き出してしまいそうで怖かった。

 こんな気分になるのは初めて“ベンジャミンの大冒険”を読んだ時、彼の境遇が自分に似ていて思わず涙が出そうになったあの日以来だ。

 リーンがまだ凛として生きていた頃。
 彼女の家は父、母、弟の四人家族でごく一般的な家庭だった。

ーーーお父さん!今日は何の日か忘れたの!?
ーーー凛、ごめんな。忘れた訳じゃないんだ。大切なお仕事が入ってしまって…
ーーーお父さんなんて嫌い!!!

 彼女の10歳の誕生日の日、お祝いをする予定だったのだが、警察官だった父親に事件が入ってしまい、その日は帰って来れなかった。
 その事を彼女は強く責めた。歳の離れた幼い弟の事は大好きだったが、幼い故に弟の方が優先されていると分かっていて、その寂しさが膨れ上がり思っていたよりも強く言ってしまったのだ。
 とても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。その事をとても後悔して謝ろうとおもっていた。しかし…。

ーーー君のお父さんは小さな子を守って…
ーーーとても立派な人だった
ーーー残念だ…

 仕事中に事件に父が巻き込まれて殉職した。ある日突然、父がいなくなったのだ。
 何が起こったのか暫く理解が出来なかった。
 後悔と悲しみで狂ったように泣き続ける私を母は抱きしめただけだった。
 そんな母親は持ち前の明るさと頑固さをフルに発揮し、色んな仕事をかけ持ちながらも家事や掃除もこなして二人の子供を何の不自由もなく育ててくれた。
 しかし、再びやっと平和になった家庭に亀裂が入る。

ーーーお母さん、晴斗か帰って来ないの
ーーーあら、どうしたのかしらね…
ーーー部活も終わっているはずだし、ミーティングも無いはずなんだけど…。学校に電話してみるね

 母親がなかなか家に帰ってこれない事もあり、姉弟仲はとても良かった。その日もいつも通り弟の帰りを待っていたのだが、夜10時を回っても帰ってこない。

ーーーもしもし、桜田ですが…
ーーー桜田さん!今お電話するところだったんです!
ーーーえ?
ーーーいますぐ、〇〇病院へ向かって下さい!!!

 流石に心配になり学校に連絡して知らされた。弟が交通事故で亡くなった、と。それがリーンが20歳の時だった。

 父との別れと弟との別れ。
 それが凛を大きく変えてた。母と娘だけになってしまった事から、母との二人の時間を異様に大切にするようになった。それと同時に悲しみから逃げる為に狂ったようにバイトや勉強に励み、暇な時間や一人でいる時間を作ることを避けた。
 それは社会人になってからも変わらず、万年目の下に深いクマを作らせていた。

ーーー凛。ごめんなさいね。
ーーー何?突然…
ーーーお母さん、癌になっちゃったみたいなの。
ーーーみたい…って…今は医療も発展してるし…大丈夫だよね?治るんだよね?

 その質問に母がゆっくりと首を振る。
 凛はそれを受け入れる事が出来ず、兎に角今出来る治療の全てを行い、全ての時間を母のために使った。何より一人になる夜の時間を恐れた凛はそれ以外の時間は現実逃避をするように更に仕事の量を増やし身体を壊していった。

 そして、母が亡くなった後、その後を追うようにして凛も過労により命を落とした。

 
 
 
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