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第四章
意地悪
しおりを挟む「お待ちしておりました、リーン様」
「お待たせして申し訳ありません」
ラテの助言があったからと言って流石に直ぐに向かうとなると迷惑になると思い、事前に赴くことを連絡をしていた。
ディアブロの件を置いておいたとしてもこのまま逃げていても良い訳ではない事は分かっているが、どうも二の足を踏んでしまって予定していた時間よりも遅くの到着になってしまった。
「先日はご挨拶も出来ず申し訳ありませんでした、アーデルハイド伯爵様」
「美しき叡智の女神よ。そんな風に仰らないで下さい。我々がご挨拶させて頂かないといけませんのに」
「此方がお世話になる身ですので…」
「誠心誠意、おもてなしさせて頂きます」
伯爵を戸惑わせないようにと幼女の姿で赴いたが、お陰で伯爵は視線を合わせる為に膝を突き、終いにはお互い謙遜の言葉を並べて続けている。
繰り返していても仕方がない、と切り上げたリーンは父と共に膝を突き、そのまま頭を下げ続けているリヒトに目を向ける。
その視線にすぐ気が付き、ニッコリと微笑みを返してくるのはいつも通りで少し肩の力が抜ける。
「リーン様」
「お変わりありませんか?」
「お陰様で御座います」
だが、久しぶりの再会でもないのに、出てくるのは当たり障りのない言葉ばかりで、気の利いた言葉の一つも出てこない。
いつも連絡を取っていたサンミッシェルやお調子者でお喋りなマリンでさえ、壁際に控えて頭を下げたまま一向に近づいてこない。
「皆さんもお元気そうで何よりです」
「「「「「お気遣い痛み入ります」」」」」
少し居た堪れない気持ちになってリーンは立ち尽くす。この後どうしたらいいのかも分からない。此処では嫌でなければ、いつも何をするにもリヒトに提案された物をそのまま受け入れていた。
いや、それは今までも同じだったか。
ディアブロという目的以外には後は全て人任せにしていた。
「あ…えっと…」
だから、言葉に詰まってしまうのは当然のことで早くも此処に来たことを後悔し始めていた。
次の言葉を考えあぐねていると、そっと差し伸べられた手に思わず手を重ねる。
まるで王子様のような優雅でしなやかな動き。その容姿はまるで花でも眺めているような幸福感を人々に与え、耳が蕩けてしまうような甘い声で囁く。
相手がリーンでなければ勘違いさせてしまうほどに艶めかしい。
「リーン様」
「はい」
「宜しければ、これまでの旅のお話しをお聞かせ頂きたく思います」
「…はい」
上手いこと誘導されたようだ。やはり、何を持っていたとしても彼には敵わないのだとリーンは思わされる。
それにわざと焦らされている。
多分、一瞬身体を小さく揺らしたのにも彼は気付いている。リーンが何を求めているのか、何を期待していたのか、分かっていて敢えてそれをしない。
「…お茶を頂いても?」
「ご用意したします」
「では、こちらのお部屋へ」
意地を張るのも良くはないのだろうが、今この場には伯爵もいる。立場上出来ない事もあるだろうと、リーンは開きかけた口を固く結ぶ。
案内された部屋はポール達とも良く使っていた応接室だった。皆んなが難しい顔をして並んで座っていたあの時と何も変わっておらず、そんな昔のことではないのに何故かとても安心した。
「実はリーン様が旅に出られた後に当家に新しく製菓担当の料理人を入れたのです。お口に合えば良いのですが」
「とても甘く、バターの香ばしい香りがしますね」
「女神様、紹介させて頂きます。私の妻のナロニアです」
「ご挨拶遅れて申し訳ありません、叡智の女神様。妻のナロニアで御座います」
「…リーンです」
「マロウにはもうお会い頂いとか。他にベロニカという娘がおります」
「父上、母上。その辺で」
穏やかながらも、よく通る声。
二人は少し驚きながらも、失礼します、と頭を下げて椅子に腰掛ける。確かに伯爵夫人には会ったことが無かった、と今更ながら気が付いた。神示で何度もその顔を見ていたから初めてな感じがしない。
「リーン様は叡智の神、知識の神。お二人の事は私よりも良くご存じなのです」
ーーートクンッ
胸が騒めく。
ただこの身体はとても便利なようでそれを隠すのもとても得意のようだ。
今回ばかりはそれに感謝しなければならない。
しかし、リヒトは何故こうも分かってくれるのだろうか。自分自身でも気付かない程些細な不安や心配を悉く取り除いてくれる。
女神だと思われるのはいい。現状その立場を受け入れてるし、大いに利用している。でも、それはリーンの望んだ事ではなくて、必要だからそうしているだけ。
崇めるのも、敬うのも、その人の自由だし、勝手だが、それを押し付けられることには未だに抵抗を感じずにはいられない。
だけど、夫妻の反応は正しい。何も悪い所はない。寧ろこの世界ではそれが正解で当然の事だから、わざわざ糺すようなことはしないし、リヒトのような人の方が少ないだろうと理解もしている。
だから、そのせめてもの細やかな抵抗が名を名乗ることだった。
でも、女神だと知って近づいて来た人達の中にそれに気付いて名前を呼んでくれるものは一人もいなかった。
でも、リヒトは出会った初めからリーンを女神だと知りながらリーンと名乗ったその時からリーンと呼び続けている。
それはただリーンが気付いて居なかったから考慮していたのかもしれない。でも、そうだとしても自分自身を見てもらえているようでいつも心地良かったのだ。
「とんだ、失礼を」
「そ、そうね。リヒトの言う通りだわ。女神様、失礼致しました」
「いえ、お気になさらず」
そう、彼の側はとにかく心地よいのだ。
ただ、実のところそう言う存在は他にもいる。
それまで出会って来た【賢者】【勇者】【大魔法師】【錬金王】【神子】も近くにいるだけでとても落ち着く。
それは多分彼らも同じで、だからこそ彼らは神に惹きつけられるように居場所もわかるのだろう。
でも、リヒトは違う。何の変哲もない只人だ。
決して嫌な事を忘れる訳じゃないし、厄介事が減る訳でもない。現実はいつも別にあって、いつでも簡単に崩れ落ちそうだ。
それでもこうして隣に座っているだけで心が穏やかになってくるのだ。何も変わらなくても、不安があっても、穏やかになれる。
「リーン様、冷めないうちにどうぞ」
「ミシェル、ありがとうございます」
「勿体無いお言葉です」
だから、ついこんな事を言ってしまったのだと思う。
「リヒト様は上手く着替えられるようになりましたか?」
なんて。
驚いたのはサンミッシェルだけじゃない。当然、アーデルハイド伯爵も婦人も同じく目を見開いている。
そして、このリーンの発言は冗談を言って和ませようとしたのか、それとも本気で言ったのか、その意図が読めず言葉が出てこない。
「リーン様。最近は一人で着替えてますよ」
「そうでしたか」
だが、相変わらずリヒトはいつも通りで、そのリヒトの姿を見て冗談を言ったのだと思った夫妻はお上品に笑う。
意図せずやってしまった事だが、その場が静まり返るよりいいとリーンはお茶を啜る。
「いつも私を見守って下さりありがとうございます」
「「えっ…」」
「前にミシェルが私とマロウの着替えが大変だと言ったのですよ。だから、リーン様を見習ってほしいと」
「そりゃ、そうですよ。坊ちゃん方はお嬢様の着替えと同じくらい時間がかかってましたから」
そして冗談を言った訳では無かったのだと、またしても面を食らった夫妻は困ったような表情を浮かべて紅茶を口に運ぶ。
「お菓子もどうぞ。お腹が空きましたらリーン様のお好きなパンもご用意しておきました」
リヒトはそれを少し可笑そうに微笑みながら、それを隠すようにわざとらしくリーンに話題を振る。
その意地悪な微笑みすら、彼らしくて安心する。
でも、やはりいつもなら無理矢理にでも口元に運ばれてくるお菓子はまだ皿の上に乗ったまま。
「少し大きいですね」
「確かに、リーン様のお口に大き過ぎますね。此方の小さい方にされては?」
「手が届きません」
「それは失礼致しました、ミシェル」
「はい」
分かってる。ここまでリヒトが頑ななのは多分怒っているからなのだろう。だから、リーンがハッキリとして欲しいと言わない限りはこうやって最後まで傍観するつもりなのだ。
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