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【 氷の貴婦人5】縁談

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「誰じゃ、おまえはっ!」
幽閉した当の本人の父親に、そう言われても。

八年分の垢と汚れを落とすには、風呂おけ八杯分の湯が必要だった。
あと、侍女が八人がかりで、身体をこすり、爪を磨き、引きずるほどに伸びた髪をカットして、結い上げた。
時間は、さすがに八時間、というわけではない。それでもたっぷり二時間は掛かっただろうか。
最初は恐る恐る、次にはいやいややっていた侍女たちの目が、汚れが落ちる頃には、輝き始め、メイクをしたり髪を整えたりする段になったら、こんどは、わたしがわたしが、と我先に作業をしたがった。
すべてが、終わるころ、侍女たちはこんどは、一転、陰気になって、なぜミイナさまがこんな目に、とか、あまりにも惨い、とかつぶやくので、一体何が?と聞き返したが、これは無視された。

ゼパスや、ぽかんと口を開けたままになった、シャルティン、護衛の冒険者たちに連れられて、父である現、アルセンドリック侯爵とその妻(まあこれが母親なわけだが)の前に連れて来られた時には、もうだいぶ、日は傾いていた。

で、父親の第一声が、それである。

転んでも、かまうものか。
ミイナは、前に少しだけ習った知識を総動員して、あの裾を持ち上げて、片膝をつく挨拶をやってみせた。

「おひさしゅうございます。父上。」
それから、ずいぶんと老け込んだ母親に向き直る。
「母上もご健勝なにより。」

「これが、本当にミイナなのか!」
アルセンドリック侯爵は、激昂したように、傍にひかえるゼパスを怒鳴りつけた。
日の差し込まぬ地下牢に、八年間放り込んでいたのだ。九歳の幼子を、である。
生きていのたら儲けもの。まともに歩けて話ができれば、奇跡。

だが、目の前の淑女は、年相応の美しさをもって、彼女を追放した家族のまえに戻ってきた。
口元には穏やかな笑みすらうかべて。
「侯爵閣下、間違いございません。」
シャルティンが口を出した。
「さきほどまで、地下室で、ボロをまとい、正体もわからない塵芥のなかをはい回っていたミイナさまです。」

その口調には、明らかにアルセンドリック侯爵を責めるものがあった。
それに気がつかなかったのか、気づいて無視してたのか、アルセンドリック侯爵は、立ち上がる。

「おまえに、縁談をくれてやるっ!」

縁談?
たぶん、自分はいまは17なので、たしかにそういう話があってもおかしくない時期だ。
「お姉さま方は、もう嫁がれたのですね。おめでとうございます。」
「マハラもジュリエッタもまだ、うちにいるわっ!」
「それでは、お話が。」

三女の自分はとにかく出しゃばるな、逆らうな、賢くするなと口うるさかった母を見ながら、ミイナは言った。
悪意はない。
実際に、九歳のころのミイナは、出しゃばりで、口数が多く、とにかく反抗的だった。
あげくに、姉と一緒にデビュタントの稽古をさせろとだだをこね、家出した挙句に、吸血班を首につけて帰ってきたら・・・。

「お父様の言うことを聞きなさい。」
母は、ミイナの大っ嫌いな言い回しで、そう言った。
「はい。」
その言い草を懐かしく思えるほど、ミイナは大人だ。

「お相手はどちらさまでしょう?」
「あらたに、我がアルセンドリック侯爵家が雇い入れたSクラスの冒険者だ。」
「Sクラスの冒険者!!」
ミイナは驚いて見せた。
「わたしが不在の間に、当毛に何が起きたというのでしょう?」

「それはおまえが、知らなくても良い。」

ミイナが随分と嫌った、あの、言い回しで、父は言った。八年という歳月では人は変わらないものだ。
わずかに薄くなった父親の頭頂部をまながらミイナは考える。
Sクラスの冒険者は、国に片手ほどもいるかいないかの逸材だ。場所によっては貴族として遇するところもあるが。このはそうではない。
それを、繋ぎ止めるために、姻戚という方法を、とるのだろうか。

「お話はしかと、承りました。」

「よろしい。婚姻の義は、あすの夜となる。」
これには、ゼパスやほかの家臣たちも驚いたようだった。
「閣下!いましばらくのお時間を。式の準備もございますし、ご親類、縁者への出席も依頼しませんと」
「無用だ。」
侯爵は、ミイナを追い払うように手を振った。
出ていけ、ということなのだろう。
ミイナも立ち上がった。

「明日の式まで、牢に戻せ。」
と、言われて一堂は、唖然としたが、ひとり侍女頭を勤める初老の女性が立ち上がった。

「あそこは、ゴミと汚物まみれで、ひとが暮らせるところではありません。」
「それがどうした。八年くらしていて、問題なかったのだろう? もう一晩増やしてもなんの問題がある。」
「風呂にいれて磨きあげるのに、二時間かかっております。今宵は清潔な場所で過ごさせてくださいませ。」

任せる。
それだけ言って、もう一度侯爵は手を振った。
侍女頭が、ミイナの、傍らに寄ってきたが、冒険者のひとりが、割って入った。
「そいつがまともに、人間かどうかは、まだわからねえ。」
赤毛の女冒険者は。そういつってもう一度、手と首に枷をはめた。
「こいつに寝る場所の用意を頼む。あと、喰いもんをもってきて。やってくれ!」

侍女頭は頷いた。

「寝所は外から鍵のかかる、部屋にしてくれ。」

「残虐にはなりすぎす、かといって友宜に溺れず、でしたか。」
ミイナは、赤毛の冒険者に言った。
「わたし、あなたが、気に入りました。
あらためて、お願いするわ。お友だちになってくださらない?」

冒険者はニッと笑った。

「言っておくが、逃亡などは無理だぞ。」
「ここから逃げて、どこに、いけと。」

冒険者は手を差し出した。

「冒険者パーティ“ 氷漬けのサラマンドラ”。リーダのアリシャだ。」

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