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03 S級廃棄物
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俺が帰ってくると玄関の鍵がハッキングされた形跡があった。
何かが起こった、など言われずとも気を引き締めなければならない。
誰よりも強くて丈夫なヘルゼルが留守番をしているから安心、などという訳がないのだ。この世界じゃ何が起こってどう悲しみに暮れるかなんて誰にも予想できない。
カードキーを当てる必要は無さそうだった。
ドアノブに手をかけた時、全身の毛が尖って逆立つような嫌な予感が全身を駆け巡る。
ドアを少しだけ引いた時、かすかな笑い声のようなものが耳に入ってくる。
思い切って腕を引きドアを全開にした時、そこに地獄が広がっている。
壁にもたれかかって座ったように倒れているヘルゼル。傷口は無いのに服や壁は血まみれで、俺はとうとうヘルゼルが死ぬより酷い目に遭ってしまった事を悟った。
その目の前に1人の男が立っている。後ろ向きなので誰なのかは分からない。だが、そいつはずっと笑っている。肩を揺らし、哀れなヘルゼルを見下ろして、くつくつ、くつくつと。キツツキが古い木を叩くような音。
「おい」
俺は威嚇するつもりでそいつに声をかけた。だが、悲しいかな声は震えていた。原始的な恐怖。そしてヘルゼルがこんな目に遭っていることより生じる苦しみ。それらが俺をすくませる。
男は振り向こうともしなかった。
「おい、お前」
今度は少しマシな声だった。だが、まだか細い。それでも男はようやくこちらを見やり、退屈そうに一言、
「随分脆かったよ、この子」
とだけ言ってヘルゼルの腹部を踏みにじった。
反応は無かった。人形みたいだった。
俺は怒りで気が動転してそこに立っているクソ野郎がヨミであることすら気づかなかった。
ただ、こいつを今ここで殺さないと一生後悔するし、何より俺の気が収まらないという風な気がした。
その衝動は俺を急いた。
走り寄り、殴りかかる。触れれば灰にできる。それだけでいい。
だが、ヘルゼルがかなわなかった相手にそもそも俺が太刀打ちできるはずもなく。
ヘルゼルを踏んでいた足を軽く振り上げ、回し蹴り。たったその程度の動きで、回避と攻撃を同時にこなす風のような身のこなし。
俺は蹴りをまともに下っ腹に喰らい、無様に咳き込んでぶっ倒れた。
「まあまあ青年。ここはひとつ、話し合おうじゃないか」
耳を疑う言葉だ。
「話し合う……? イカれてんのか、この状況で……」
痛む体を抑え込み、俺が必死で吐き出した言葉をこいつは無視した。
「僕はヨミ。君たち掃除屋が追っている人間だと聞く。君は炎使いのデシレ、そこにいるのは君の相棒のヘルゼルだね?」
状況を理解するのに手間取っている。軽い自己紹介と相手の個人情報の確認。今この状況で、そんなことになんの意味があるのか。
「訳が分からないと言った様子だね。気づかないのかい? 僕がこの家に入ったのがただの偶然でないことに」
「……どこで、調べた」
「友達に聞いて……そうだね、口の軽い情報屋は、意外と長生きするんだ。覚えておくといい」
バレル!
信用していた人間に裏切られた怒りが脳内をぐちゃぐちゃに引き裂く。俺たちはいくらで売られたんだろう。
「そうだな。とりあえず、このままではヘルゼルくんは死んでしまう。それは分かるね?」
「お前が……お前がやったんだろうが……!」
「まあまあそれは置いといて。君が帰ってくる前に、僕は救急車を呼んだんだ。できる大人だからね」
ふざけた冗談の羅列に頭がショートしそうだ。誰かこのイカれ廃棄物を黙らせてくれ。
――俺達の、代わりに。
「今から起こる交通事故による渋滞を差し引きに入れて、ここに着くまであと10分といったところかな? それまでお喋りをしたいんだ、僕は」
「……お前が起こす、んじゃないのか……その交通事故とやらをよ」
「僕の友達には運転が荒い奴が多くてね。酒を飲んだり、薬をやったりしてからハンドルを握るんだ。困ったものだよ」
一流のフィクサーにかかれば制御された都市の交通網を操ることすら思いのまま、というわけか。
そもそも救急車を呼んだというのも事実なのか? ヘルゼルは、そして俺は、このままここで死んでいくんじゃないのか?
不安とは呼べない、不信感とも全然違う、心臓のあたりで渦巻く謎めいた負の感情が、脳にまで届いて目眩を起こしそうだ。
「10分かぁ……ヘルゼルくんは持つかなぁ? どう思う? 死ぬのと生きるのとどっちに賭ける?」
「殺す……!」
怒りに満ちた眼差しで、俺はこのクズを睨みつけた。もう目線でしかこの獣に対抗できなかった。
だが意外なことに、その獣は懐から取り出した小さな拳銃を、俺に向かって放り投げたのだ。
「いいよ」
「――は?」
「僕を殺してもいいんだよ、その銃で。でもそうすると、君の大事な人は助からない」
「何を言っている……?」
ヨミはニヤニヤと笑い、窓の外を眺めながら言った。
「ああ、あの光は救急車だね。間に合ったんだぁ。さすが僕の社員は優秀だ」
「お前の社員……まさか!?」
「そうだよ。僕が呼んだ救急車は、僕の部下が運営する病院のものさ。当然、患者の生死なんて、ね。簡単だよ」
ヨミはかがみ込んで俺の瞳を覗き込み、目を細めてにたぁっと口元を歪めた。
「ましてや経営者を殺した人間なんてねぇ。助けてもらえる訳がないさ」
今更俺がまともな病院に電話したところで、ヘルゼルは持たないし、『渋滞』がさらに追い打ちをかけるだろう。
完全な詰み。
「さあ、デシレ。僕を殺せるかい?」
2分後、救急隊員が速やかに部屋へ駆け込み、ボロボロのヘルゼルとわずかに負傷した俺を搬送した。
後ろから悠々と、ヨミが乗る青い車が付いてくるのを俺は救急車の窓から苦々しい思いで睨みつけていた。
何かが起こった、など言われずとも気を引き締めなければならない。
誰よりも強くて丈夫なヘルゼルが留守番をしているから安心、などという訳がないのだ。この世界じゃ何が起こってどう悲しみに暮れるかなんて誰にも予想できない。
カードキーを当てる必要は無さそうだった。
ドアノブに手をかけた時、全身の毛が尖って逆立つような嫌な予感が全身を駆け巡る。
ドアを少しだけ引いた時、かすかな笑い声のようなものが耳に入ってくる。
思い切って腕を引きドアを全開にした時、そこに地獄が広がっている。
壁にもたれかかって座ったように倒れているヘルゼル。傷口は無いのに服や壁は血まみれで、俺はとうとうヘルゼルが死ぬより酷い目に遭ってしまった事を悟った。
その目の前に1人の男が立っている。後ろ向きなので誰なのかは分からない。だが、そいつはずっと笑っている。肩を揺らし、哀れなヘルゼルを見下ろして、くつくつ、くつくつと。キツツキが古い木を叩くような音。
「おい」
俺は威嚇するつもりでそいつに声をかけた。だが、悲しいかな声は震えていた。原始的な恐怖。そしてヘルゼルがこんな目に遭っていることより生じる苦しみ。それらが俺をすくませる。
男は振り向こうともしなかった。
「おい、お前」
今度は少しマシな声だった。だが、まだか細い。それでも男はようやくこちらを見やり、退屈そうに一言、
「随分脆かったよ、この子」
とだけ言ってヘルゼルの腹部を踏みにじった。
反応は無かった。人形みたいだった。
俺は怒りで気が動転してそこに立っているクソ野郎がヨミであることすら気づかなかった。
ただ、こいつを今ここで殺さないと一生後悔するし、何より俺の気が収まらないという風な気がした。
その衝動は俺を急いた。
走り寄り、殴りかかる。触れれば灰にできる。それだけでいい。
だが、ヘルゼルがかなわなかった相手にそもそも俺が太刀打ちできるはずもなく。
ヘルゼルを踏んでいた足を軽く振り上げ、回し蹴り。たったその程度の動きで、回避と攻撃を同時にこなす風のような身のこなし。
俺は蹴りをまともに下っ腹に喰らい、無様に咳き込んでぶっ倒れた。
「まあまあ青年。ここはひとつ、話し合おうじゃないか」
耳を疑う言葉だ。
「話し合う……? イカれてんのか、この状況で……」
痛む体を抑え込み、俺が必死で吐き出した言葉をこいつは無視した。
「僕はヨミ。君たち掃除屋が追っている人間だと聞く。君は炎使いのデシレ、そこにいるのは君の相棒のヘルゼルだね?」
状況を理解するのに手間取っている。軽い自己紹介と相手の個人情報の確認。今この状況で、そんなことになんの意味があるのか。
「訳が分からないと言った様子だね。気づかないのかい? 僕がこの家に入ったのがただの偶然でないことに」
「……どこで、調べた」
「友達に聞いて……そうだね、口の軽い情報屋は、意外と長生きするんだ。覚えておくといい」
バレル!
信用していた人間に裏切られた怒りが脳内をぐちゃぐちゃに引き裂く。俺たちはいくらで売られたんだろう。
「そうだな。とりあえず、このままではヘルゼルくんは死んでしまう。それは分かるね?」
「お前が……お前がやったんだろうが……!」
「まあまあそれは置いといて。君が帰ってくる前に、僕は救急車を呼んだんだ。できる大人だからね」
ふざけた冗談の羅列に頭がショートしそうだ。誰かこのイカれ廃棄物を黙らせてくれ。
――俺達の、代わりに。
「今から起こる交通事故による渋滞を差し引きに入れて、ここに着くまであと10分といったところかな? それまでお喋りをしたいんだ、僕は」
「……お前が起こす、んじゃないのか……その交通事故とやらをよ」
「僕の友達には運転が荒い奴が多くてね。酒を飲んだり、薬をやったりしてからハンドルを握るんだ。困ったものだよ」
一流のフィクサーにかかれば制御された都市の交通網を操ることすら思いのまま、というわけか。
そもそも救急車を呼んだというのも事実なのか? ヘルゼルは、そして俺は、このままここで死んでいくんじゃないのか?
不安とは呼べない、不信感とも全然違う、心臓のあたりで渦巻く謎めいた負の感情が、脳にまで届いて目眩を起こしそうだ。
「10分かぁ……ヘルゼルくんは持つかなぁ? どう思う? 死ぬのと生きるのとどっちに賭ける?」
「殺す……!」
怒りに満ちた眼差しで、俺はこのクズを睨みつけた。もう目線でしかこの獣に対抗できなかった。
だが意外なことに、その獣は懐から取り出した小さな拳銃を、俺に向かって放り投げたのだ。
「いいよ」
「――は?」
「僕を殺してもいいんだよ、その銃で。でもそうすると、君の大事な人は助からない」
「何を言っている……?」
ヨミはニヤニヤと笑い、窓の外を眺めながら言った。
「ああ、あの光は救急車だね。間に合ったんだぁ。さすが僕の社員は優秀だ」
「お前の社員……まさか!?」
「そうだよ。僕が呼んだ救急車は、僕の部下が運営する病院のものさ。当然、患者の生死なんて、ね。簡単だよ」
ヨミはかがみ込んで俺の瞳を覗き込み、目を細めてにたぁっと口元を歪めた。
「ましてや経営者を殺した人間なんてねぇ。助けてもらえる訳がないさ」
今更俺がまともな病院に電話したところで、ヘルゼルは持たないし、『渋滞』がさらに追い打ちをかけるだろう。
完全な詰み。
「さあ、デシレ。僕を殺せるかい?」
2分後、救急隊員が速やかに部屋へ駆け込み、ボロボロのヘルゼルとわずかに負傷した俺を搬送した。
後ろから悠々と、ヨミが乗る青い車が付いてくるのを俺は救急車の窓から苦々しい思いで睨みつけていた。
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