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第十二章
第686話
しおりを挟む数ヶ月前に、掃除のために妖精専用の扉の設置が認められていたそうだ。
「たしかに、小さいから妖精以外には入れないね」
「だからといって、会議中に入ってくるな」
《 掃除のジャマ! 》
《 外に捨てるよ! 》
《 ……片付けられたい? 》
「スミマセン」
シーズルが窓から捨てられたのをみた全員は今、空中に浮かんでいる。掃除のジャマということで、水の妖精たちに上げられたのだ。妖精たちは小さな雑巾で丁寧かつ素早い清掃で会議室を磨いていく。
「どうだった?」
《 別の会議室に魔石が設置されてたよ 》
《 設置したバカは規則に則って処断した 》
妖精たちが一斉に指を差した先には、一般家庭の屋根の上に乗ってデッキブラシで掃除している作業服姿の女性。
「覗き? 盗聴? スパイ?」
《 横恋慕 》
《 懲りないヘンタイ 》
妖精たちの言葉にダイバたちから苦笑が漏れる。妖精たちの言葉の意味や事情の何かを知っているのだろう。
ちらりと隣に座るダイバを見る。顔をそらして小さく笑いを漏らしているダイバは、私の視線に気がついていない。
「教えてくれないなら、あとでやっつけてやる。シーズルを」
「ぅをい!」
私の呟きにシーズルが青くなる。それは私の言葉に対してではなく、妖精たちの無言の圧力を受けてのこと。ずずずいっと眉間に皺を寄せて顔を近付ける妖精たちにシーズルは「まてっ! お前ら、落ち着け、な?」と焦っている。
「教えて? シーズルお・義・兄・ちゃん?」
「こう言うときだけ甘えるな!」
「……シエラお姉ちゃんに言いつけるよ? みんなの前で旦那さんがいじめたって」
「うをぉぉぉい!」
「…………入り婿」
ピクッとシーズルの肩が揺れる。
《 仕事に逃げたバカモノ 》
ギクゥッと全身を震わせるシーズル。
これらはシエラの出産後に、シーズルが悪阻や妊娠・出産を甘く見ていたことを知ったシーズルの兄たちが口々に罵った言葉だ。さすがに「妊娠したら自然に出産する」と思い込んでいたことを知ったときには妖精たちの逆鱗に触れ、1時間ごとに少しずつお腹が膨れていく罰を受けて悲鳴をあげた。
《 少しずつお腹が大きくなる恐怖が分かったか!!! 》
「わかった……分かりました。だから許して……」
《 ダメ! このまま出産の痛みも知るがいい! 》
「イタイイタイイタイイタイ……!!!」
痛みから膨れたお腹を抱えて食堂の床を転がるシーズル。本当に出産するわけではない。ただシエラの破水から出産までの痛みを何時間も疑似体験させられたのだ。
波のように寄せては返す痛みを体験したシーズルと、その様子を青ざめながら見守っていた男たちは全員がフェミニストに転換した。シーズルの受けた痛みを母親が実際に体験し、それを乗り越えた先に自分たちが存在していると理解したからだ。
「母親じゃなく父親が出産してたりして」
今もなお、元国王たちが出産している事実があるため表情が青くなる。シーズルは心配そうに自身の母親を見やる。シューメリさんが含み笑いで返すとシーズルの表情が引き攣らせた。
「男って痛みに弱いから、出産の痛みに耐えられないんだってね」
外周部の男娼館で妊娠と出産を繰り返す元国王たちは、出産の痛みでのたうち回っている。何度繰り返しても慣れるものではない。シエラたちはピピンやリリンの協力があり、無痛分娩に近い出産だった。妖精たちがシーズルに与えた出産の痛みはシエラの痛みではなくシューメリさんがシーズルを出産するときの痛みらしい。
《 自分が産まれるときにシューメリがどれだけ大変だったか体験すれば良いんだ 》
《 そうだ! 男どもは一度体験すればいいんだよ 》
ある妖精の提案によって、独身の男性と子供がいない夫婦の男性が疑似体験をすることが決まった。
「「「シーズルのバカぁぁぁ!!!」」」
「…………すまん」
「夫の風上にも置けない」
「そこまでは言われていないぞ!」
「言ってたよね、ダイバ」
「……言ってたな、じーさんたちが」
ダイバの肯定にシーズルの表情筋が固まった。ギギギッと錆びた鉄のような音を立てて、シーズルの首が横を向いて私をみる。
「こっわ!」
「…………エミリア。あの職員なあ……狙いはエミリアだ。それもなあ……恋愛感情だぞ」
「女でしょ?」
「ああ、女だ」
私の問いかけに答えたのはダイバ。シーズルは妖精たちに襲われている。口を封じようとしているのだろう……窒息という形で。
「恋愛?」
「本人の告白では」
「私に恋人がいるの知ってて?」
「いや、知らない」
「『恋人になれば色々もらえる』って私欲?」
「たぶんな」
ダイバの言葉にコクコクと頷く職員が数名。どうやらそこら辺の事情を知っているようだ。
すでに魅力の女神から詳しく話をしてもらっている。私は別の世界から来たため、この世界の人とは身体のつくりが違う。だから妊娠はできないそうだ。
「そうだと思った」
「気付いていたの?」
そうじゃなければ、すでに聖女様の子孫が存在していただろう。その場合、王家が聖女様の血を継いでいてもおかしくはない。
しかし世界全集や世界大全集でも聖女様の血が入った記載はない。それは……そういうことだろう。
「それでエミリア。彼はなんて言ったの?」
「……それでもいい、と。『エミリアの代わりはいない』と言ってくれました」
顔が火照る。
一度失った私という存在。再会しても他人行儀だった私。事情を知った彼は私の前に立ち「あなたの記憶がなくてもかまわない」と言った。
「記憶と共に自分を好きだという思いが消えているのでしたら、もう一度好きになっていただけるよう全身全霊で努力しましょう」
「私はたぶん……妊娠しませんよ」
「それはよかったです」
「……へ?」
思ってもみない言葉が返ってきて、私は二の句が継げず代わりに素っ頓狂な声をあげた。そんな私に彼は優しく微笑んで、私の右手に触れるとその場で片膝をついて見上げてきた。
「私はあなただけを愛し続けることを許されたのですから。エアさんには誓いましたが今度はエミリアさんに誓いを。『私は死を以ってこの世を去ろうと、来世でもあなたを見つけだし、誰よりも深く愛すことをここに誓います』」
彼のこの言葉は恋人が愛を捧ぐ誓い。それは転生したときに『永遠の愛』と呼ばれる愛の鎖で強く結ばれるもの。それは彼だけの誓いであり、私は別の人物と恋に落ちているかも知れない。
……もしも誓いを破った場合、彼の魂は消滅してしまう。
誓った相手に恋焦がれて、魂をすり減らしてしまうから。
「私より先に死なれたら…………イヤです。死なないでください」
私のしぼりだした小さな声に、彼は嬉しそうに微笑んだ。
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