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ヘリスウィル・エステレラの章(第二王子殿下視点)

ヘリスウィル・エステレラ~領境~

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 飲み込まれる。
 身体の支配権を奪われた。

 壁越しに聞いた声のように、遠くで声が聞こえた。
 湖の底に落ちていくような感覚がした。
 光は遥かうえで、遠くの景色を見ているようだった。
 私と、ノクスが話している。
 でも、私じゃない。

『大丈夫。助けるわ』
 光る細い手が伸びてきて、私の頬をそっと包んだ。
『星と花の神がずっとフローラを通じて見守っていたのだけど、彼の神の所業はもう許せるラインを越えてしまった。星と花の神が彼をあなたから引きはがすつもりよ。辛い思いをさせてごめんなさい』
『あなたは』
『私は光の精霊よ。貴方に加護を授けた』
『ありがとうございます』
 美しい、金色に輝く女性。
『太陽の神は人族の神。顔を持たない神なの。ある時、この国の王族を見つけて外見が気に入ったからと、この国の王族に加護を与えて神子を選び、現身に利用したの。現界する手段として』

 利用?

『彼の神はこの世界の管理者ではないの。創造神からこの世界を管理者として任されたのは宵闇の神、そして月の神。古の大神は星と花の神、豊穣の神、鍛冶の神、雷の神なのよ。私達精霊は創生神から属性魔法を司る役目を与えられている。闇の精霊は特別で、宵闇の神の眷属で、負の瘴気を受け止め、昇華させているのよ。けして、貶められることはないの』
 じゃあ、やっぱり黒を不吉なものとして嫌うのは……。

『彼の神が奪えなかった月の神のことを恨んで宵闇の神の力を削ごうと画策したの。月の神の権能は奪えたから彼は太陽の神を名乗ったの』
 え、それって昼を司る神はもともと月の神?
『月の神は空を司っていたの。宵闇の神はその他の全般を』
 ……なんてことだ。
『彼の神の権能は【カリスマ】いわゆる魅了の権能。人々を先導し、支配を可能にする。人族の欲を体現した神なの。そしてもう一つ、【傀儡】と言う権能も持っているわ。そうやって、秘かに人族に干渉してたわ』
 そうか。そうだったのか。
『星と花の神と、月の神、宵闇の神が協力してくれるわ。貴方は太陽の神の加護を失うけれど、彼の神からは解放されるはずよ。それに貴方の伴侶が心配してるわ』
『私の大切な子が悲嘆にくれてるのは我慢できないの。早く幸せにしてあげて』
 突然現れた炎を纏った美しい女性。
 あなたは?
『火の精霊』
 トン、と背中を押されて光に向かって浮上する。

「セイアッド、ノクス、私をそちらに入れてくれ」
 私でない私が言う。
『ダメだ。私の支配する領域に、昼の神を入れるつもりはない』
『気が付いてたんだ? 僕のこと』
『月のに魅了を使おうと思っても無駄だ。もちろんロアールの民にも効かない。諦めて、自分の神殿へ帰れ』
『はあ? そんなの使わなくても誰もが僕に心酔するんだ。お前のような醜い闇色の存在と違って』
「ふざけんな。ノクスも宵闇の神もすごく綺麗な髪と目の色で、あんたの百倍尊いんだよ!」
 セイアッドの声が聞こえた。

『月の神の神子……そんなつまらない男なんかより僕のほうがいい。こっちへおいで。騙されてるんだよ』
 猫なで声が聞こえた。私の手が伸びる。その手の上に太陽の神の手が重なった。
「お断りだよ。殿下から出て行って。彼は俺の友達なんだから」
 セイアッド、ありがとう。
『振られたんだ。疾く帰れ』
 宵闇の神の声なのだろう。ノクスの口調より威厳があった。

「殿下! その変なの、振り払って。その変なのと、殿下の気持ちは全然違うでしょ?」

 ロシュ。
 ロシュの声が響いた。そうだ。私の気持ちはもう決まっている。太陽の神から守り続けた私の大事な気持ち。
 ロシュが私に近づく。動けない。でも一瞬は見られた。

『くそ、今回の神子は出来が悪い。ちっとも私の言葉に耳を貸さない』
 神子を傀儡にして自分の思うとおりにしたのだろうか。
 そんなことは許せない。私の中から出て行ってくれ。
『そう、追い出しましょう』
 光の精霊の声が聞こえた。
「新月鏡」
 セイアッドの手元に大きな鏡が出現した。それをこちらに向ける。鏡があるはずの部分が深い闇を湛えていた。
『なに、まさか』
 太陽の神の動揺を感じた。
『月の、手伝ってくれるのか。ありがとう』
 宵闇の神の声がした。ノクスに二重写しになっている宵闇の神は愛しそうにセイアッドを見ていた。

『あなたはまた、月の神にちょっかいを出したのね。許せません』
 フローラから神気が迸って、太陽の神が怯んだのがわかった。

 ロシュが、目の前まで来ていた。
「吸い込め!」
 セイアッドの声が響いた。
 新月鏡から闇が伸びて太陽の神の姿を絡めとる。
『ひ、やめ……』
 何かが意識から引きはがされる気がした。
「殿下!」
 ロシュの手が私に伸びる。その手を握った。手が、動いた。
 泣きそうな顔で私を見つめるロシュが私を引っ張る。
 そんな顔をさせてしまった私の不甲斐なさに唇を噛み締めた。
 ロシュに駆け寄ろうと足が動いた。
 あれほど私を拒んだ結界を身体が通り抜けた。
 身体が軽くなった。ずっと背負っていた重い荷物から、解放されたように。
 振り向くと、驚愕した顔で、私を見る私、いや、太陽の神が結界の外に取り残されていた。
『な、な……』
 その姿が揺らぐ。新月鏡に一気に取り込まれて小さい呟きを残して消えた。

 ほっとして体の力が抜けて座り込む。
 ロシュも一緒に座り込んだ。
「よかった殿下。よかった」
「心配かけてしまったな。本当にすまない」
「いいんだ。僕、守れた? 殿下を」
「ああ。ずっと守ってくれていたじゃないか。ありがとう。ロシュ」
「うん。うん」
 ロシュのポロッと零れる涙をそっと指で拭った。
「もう、大丈夫だから、泣かないで」
 額を合わせてロシュの頬を両手で包み込んだ。太陽の神の存在はもう、感じ取れない。
「殿下」
「殿下じゃなく名前でいい加減呼んでほしいのだけど」
「ヘリスウィル殿下」
「ヘリスとかウィルとか、もっと砕けた感じで。ああ、家族はヘリスと呼ぶからウィルがいいかな」
「え?」

「何が何だかわからねえが、とりあえず、屋敷に行くぞ!」

 剣聖の号令で、私達は馬車に乗り込み、ロアール伯爵の屋敷目指して出発した。

『殿下、くれぐれも節度を守ってください』
 鍛錬の時より怖い顔で言った騎士団長の言葉を思い出す。
 騎士達はあの時、神気にあてられて一歩も動けなかったそうだ。
 繰り広げられる光景を見ていることしかできず、神の前には無力なのかと歯噛みしていたようだった。
 剣聖は何度か神気に触れたことがあったそうで、立ち直りが早かったようだった。

 私の隣にはフローラではなく、ロシュが座っている。にやにやしたフローラが乗る馬車を交代したからだった。
 目元が赤くなっている。
 さっきから目を合わせてはお互いに逸らすという行為を何度もしている。
 でも手は繋いだままだ。

「なんか、ひ、久しぶりだね! こうして馬車に一緒に乗るの」
「そうだな。ずっとフローラのお目付け役だったしね。ところで」
「なに?」
「名前で呼んでくれないの?」
「……ッ……」
 ロシュの顔が赤く染まる。可愛すぎる。火の精霊に言われるまでもなく幸せにしたい。
 まずは告白しないといけない。この休みの間にきちんと。

「…………ウィル」
「うん。ロシュ」
 ロシュの手は騎士の手だ。ぎゅっと握って、ロシュの顔を見た。
 きらきら輝いて眩しくて。でもずっと見ていたい。

 私の愛しい、運命の番。
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