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 その夜、相馬主殿が土方の所を訪れた。

「相馬君、無事だったか!」と土方は相馬の手を取って喜んで見せたが、相馬は、ややもするとムッとした表情だった。それも、そうだろう。流山での『近藤救出作戦』の際には、相馬は、見捨てられた、と言っても過言ではなかったからだ。

 一応、土方は勝海舟からの書簡をもたせ、近藤の擁護にしていた。書簡を持たせた相馬が近藤の一味ということで捕縛されたというのに、土方は相馬の守備も安否も確認せずに、幕府軍に合流してしまった。

「相馬君、今まで良く無事だったね」と島田も声を掛ける。隊長が死ねば、その組の平隊士は生きて帰るななどと言われた新撰組とも思えない言葉だった。

「相馬君。近藤さんの件は、報告で聞いた。君は、今まで、どうしていたんだい」

「まずは、流山の件ですが、私は、阿波守様からの書簡を持ち、板橋宿に向かったところ、板橋宿で捕縛されました。その後、四月二十五日に、私の身柄は笠間藩に移されることになりました。私の助命は、近藤先生がしてくれたと言うことです。東山道軍としては、近藤先生からの助命を聞き入れたが、その先は、笠間藩の方で何とかしろと言うことだったようです。……笠間藩も、戦が始まる所で忙しかったので、私に構っている余裕もなかったのでしょうね。隙を見て脱走しました。その後、私は、彰義隊に参加しましたが、彰義隊は、瓦解しましたので、今度は幕府軍に参加しました。私は、磐城方面を転戦しつつ、仙台を目指しました。私は、土方先生に、渡さなければならないものがあるのです」

 相馬は、懐から後生大事に油紙に包まれた、分厚い書簡を取りだした。それを土方に渡す。

『新撰組副長 土方歳三殿』宛てになっていたが、差出人の横倉喜三次という男には、見覚えはなかった。

「相馬君。この、横倉喜三次という方は、何者なのだ? 私には、覚えがないが」

 訝りながら聞くと、相馬は、一つ、吐息してから「近藤さんの首を落とした男です。笠間藩に預かりになっていた私の所に、この書簡を託して行きました」と告げた。

 近藤の首を落とした男、と聞いて土方の顔色が変わった。じいっと、得体の知れないものを見るように、書簡を見つめていた。

「土方先生。それでは、我々は、失礼致します」と相馬達は、去ってしまった。この書簡を読むのには、土方一人が良いだろうと判断したようだった。おそるおそる、土方は油紙を開いた。上等とは言えない紙に、やや無骨に見える文字が綴られている。近藤の首を落としたほどの者ならば、相当の剣の達人であるだろうと土方は思った。いくら、動きを拘束されているといっても、すぱんと一撃で首を落とすのは難しい。達人になると皮一枚残して切るという俗説もあるが、首を落とすというのは、思いの外難しかった。土方も、何度か、経験があるから、余計にそう思う。

 書簡を開くと、懐紙に包まれた何かが出てきた。それを開いてみると、髪の毛の様だった。曲げを結い直す時にでも一房切り取ったのか、三寸ほどの髪が紙縒りで束ねられていた。懐紙に書き付けがある。思わず、どきり、とした。近藤の文字だった。

『知汝遠来応有意 好収吾骨瘴江辺』

 土方は、近藤とは違ってあまり、漢詩には詳しくないが、それでも、近藤が勧める漢詩などはいくつか諳んじさせられた。信念の為に生きた男の作る漢詩を好む近藤に対して、土方の方は、花鳥風月の美しさを詠んだものの方を好んだ。漢詩にも、流麗なものは数多あるが、なにせ、近藤は、そういうものには興味がない。従って、土方は漢詩よりも和歌や俳句に行き着く。ちなみに、君菊を初めとする芸妓たちは、あまり漢籍をやらない。漢籍は男子の学問であり、真名(漢文)を扱う女は賢しらだという風潮は、実は平安時代から変わらない。清少納言や紫式部という平安時代を代表する女二人は、漢籍まで知識が及んでいた。それゆえ、才女と言われたが、やっかみも酷かったようだ。

 近藤が書いた漢文は、いささか見覚えがあった。

(たしか、韓愈かんゆだったか。たしか……左遷させられて旅立つのを見送りに来た兄の孫に向けて詠んだものだったと思ったが……)

 必死に記憶を辿ると、たしかに、近藤に覚えさせられた記憶がよみがえった。

『正しいことをしようとしたのに、左遷の憂き目にあったのだ。これは、左遷はさせられるがこころは曲げぬと言う、強い意志の顕れた漢文なのだ』と必死に力説する近藤に、暗記させられた事を思い出してみる。



『左遷せられて藍関らんかんに至り てつ孫湘そんしように示す

 一封いつぷう あしたに奏す 九重きゆうちようの天

 夕べに潮州ちようしゆうへんせられる 路八千

 聖明の為に弊事へいじを除かんと欲す

 あえ衰朽すいきゆうもつて残念を惜しまんや

 雲は秦嶺しんれいよこたわって 家 いづくにか在る

 雪は藍関を擁して 馬 進まず

 知る 汝が遠く来たる まさに意 有るべし

 し 吾が骨を収めよ 瘴江しようこうの辺』

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