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しおりを挟む仙台に居る自分を、土方は不思議に思っていた。
旧幕府軍は、八月の母成峠の戦いで、完全敗北した。この頃になると、東山道軍の兵力は大幅に増強され、旧幕府軍など足下にも及ばないもになった。
二十門もの大砲が並ぶ。銃も最新式のもので、単純な兵力も、幕府軍の三倍にもなるというものだった。敗色濃厚な中を戦い抜いた先に待ち受けたのは、潰走だった。指揮命令など出来るような有様ではなく、命からがら逃げなければならなかった。
逃げ延びた先に、分かれ道が忽然と姿を現した。すなわち、このまま、敗北を認めて、恭順を示すか。死地とも言える会津に向かい、最後の最後まで戦って散るか。それとも………このまま逃げて、別の道を探すか、という分かれ道だった。
山口次郎は、会津に向かった。山口とともに、会津に向かった新撰組隊士も居た。土方は仙台に向かった。幾多の戦いの中で、伝習組や大鳥たちと親しくなっていたこともあり、大鳥圭介と共に仙台に向かうことを決めたのだった。
この時、土方自身も、己が成すべき事と、己の理想を完全に見失っていた。今までの義の為に、幕府の名の下に戦うべきだとも思ったし、もはや、これ以上戦うことは出来ないだろうという思いもあった。仮に戦うとしたら、
(東山道軍以上の、武器、弾薬が必要だ)
それに加えて、東山道軍は、平潟から仙台までの海路についても強化を行い、兵站の準備も怠りなかった。海路輸送のことを、今まで土方は殆ど考えたことはなかった。海路には、転覆の可能性などもあったが、海路の方が、大量輸送が出来る上に、安全だと思われた。敵との遭遇率は、著しく低い。東山道軍の海上輸送ルートを立つことが出来れば、戦力を大幅に削減できることに繋がるかも知れない。
(そうなると、軍艦が要る。しかも、東山道軍よりも早く、巨きな船だ)
土方は、何をすべきか見失っては居たが、義だけは喪わなかった。少なくとも、その為だけに、今は生きていると言っても良い。そうなった時、義を貫く為にはどうすればよいかというと、戦うことしか、土方に思いつくことはなかった。
德川慶喜が、こんな戦いを望んだかどうかではない。こうでもしなければ、受けた恩義に報いることは出来ない、のだ。
(この俺を、幕臣にお取り立て下さった幕府のご恩には、なんとしても報いなければ)と土方は思う。
土方は、名主とは言え、武蔵国の片田舎、石田村の百姓の小倅だ。しかも、十番目の息子ということで、完全に、みそっかすだ。当然、居場所がない。いつもいつも所在なく過ごしていた。未来になど、何の希望も持てなかった。一生土を耕して、小作として生涯を終えるのだと思うと、溜まらなく嫌だった。そんなことを考えていた土方の前に、突如として湧いて出た、『浪士隊』の募集。一も二もなく飛びついた。そして、浪士隊から新撰組、とにかく、居場所が出来たような気がした。新撰組が出来た最初の年には、もう、お取り立ての話が出ていた。幕臣になれば、土方は一家の主も同然だ。土方家の『家』とは離れた、土方歳三となる。そうなりたいが為に、働いた。
居場所が欲しかった。
いつも、身の置き所がない、と思っていた。家にも居るのは憚られて、外に抜け出した。良く外にいた。だから、外のことはよく解る。夜更けから夜明けまでの間、土方は独りで外に居るのが習慣になった。
(けれど……新撰組も喪った、ここのところ、大きな戦では、負け続きだ。居場所も喪ったし、武蔵野には、もう、帰ることは出来ないだろう)
土方は、『すべて』を喪ったのだと思っていた。けれど、そのすべてを喪った土方を慕って、会津から多くのものが脱走してきた。なぜ、慕われるのか、土方自身は、理解が出来なかった。しかし、同じ新撰組でも、会津にいる山口次郎にではなく、仙台の土方を慕ってきたというのだから、少しでも『生き延びる』ことを考えて、土方の後ろについて行くことを決意したのだろうか。
生き延びる、というのならば、取るべき道は間違いなく恭順である。捕縛されれば、よほど悪名が響いていなければ、少しの間拘束されるだろうが、いづれ無罪放免になるだろう。近藤や土方には、それは無理だ。なにせ、悪名名高き『新撰組』の局長・副長である。いまや錦の御旗を押し頂く者達から、相当憎まれている。
新撰組は、斬った。新撰組を擁護するものは、『新撰組はあまり斬らなかった』と言うが、実際の所は数多くのものを斬った。新撰組は、ある時期から、公然と『切り捨て御免』となっていた。長州人と間違って斬られたものも居る。新撰組は、増長していたのだ。得意になっていた。丁度この時期、永倉新八たちは、近藤に怒り心頭だった。近藤は増長し、隊士達を家来のように扱った。永倉新八にしてみれば、新撰組は『同士』が集まって出来た集団である。いまでこそ、局長・隊長などと上下が付けられたが、横並びの『同士』であることには変わりがないはずだし、変わってはならないはずだった。
永倉新八は、会津候に、近藤の非行を訴えた。永倉新八は、新撰組を解体させる覚悟もあったし、切腹する覚悟もあった。この時は、会津候の取りなしで事なきを得たが、結局、永倉新八が流山で袂を分かった理由というのが、この、近藤の横暴だったのだから、近藤の増長は直らなかったということだろう。
隊の中が、ばらけていく感覚は、土方の方が強く感じていたに違いない。気分的には、永倉達の側にはあったが、立場上、土方は近藤を擁護しなければならない。近藤は、逃げるように長州などに出張が多くなった。近藤の馬周りには、何人もの小姓近侍が付き従い、まるで、大名のようだった。それを見ながら、土方は、がっくりと肩を落としたこともあった。永倉達の気持ちを、解ってやろうとしない近藤には失望した。
法度を厳しくして、何とか、箍を締めていたつもりでも、近藤に対する不満と、土方のやり方に対する不満、不信感で満ちていく。やっと見つけた居場所の『新撰組』でさえ、守ることは出来ないのかと、土方は密かに無力感を覚えていた。無力感を引きずったまま、伏見・甲府と戦い、負け抜いてきた。
土方はどれだけ手を尽くしても、もう、無駄だと思い知った。近藤には何度も、永倉達の不満も、土方自身の考えも述べてきたが、近藤には届かなかった。何を言っても、土方の言葉を、信用しようとはしなかった。
『トシさんは、心配が過ぎる。もっと、みんなを信じなければならない。それでなければ、隊士達の取り纏めはつとまらない』
諭すような顔で、毎回、そう言われた。何度、同じ台詞を聞いたか解らない。
(信じていたんだよ)と土方は思う。(近藤さんを信じて、上洛したんだ。上洛だけじゃない。京に残留すると言う時も、近藤さんを信じたからだ)
近藤は、土方と二人で接する時、柔和に笑んでいる。張り付いたような笑顔が、表情を変えることはなくなった。目を合わせようともしなくなった。そっぽを向いているのではない。顔は土方を見るが、目は、合わせなかった。
何度か、近藤に掴みかかって、ちゃんと話を聞いてくれ! と怒鳴りつけたい気分になったが、それすら、無意味なのだと、そう実感する度に、むなしい気持ちになった。隊士達も、『きちがい』土方には近寄らない。近藤に近いと信じられている土方は、永倉達とも距離を置くほか無かった。
土方が、心を許せたのは、島田魁や、土方の小姓を務めていた市村鉄之助を初めとする、数名だった。市村は、流山から山口次郎に従い、水戸藩経由をして会津入りした新撰組本隊に居た。山口次郎の監視を買って出た形になった。今は、会津には向かわずに、京にいた頃と同じように、仙台で土方の小姓として仕えている。
「副長。会津の山口次郎隊長から文が参っております」と市村が土方に書簡を差し出した。
考え事をしていたところに声を掛けられて、土方は驚いたが、「ああ、今見よう」と書簡を受け取った。手跡をみるに、山口次郎本人の綴ったものだ。
書簡は、長々としたものだった。一度目を通してから「そんなはずがあるものかッ!」と土方は叫んでいた。市村は驚いて、土方を見る。「如何なさいましたか」と声を掛けると、土方は一度、唇を真一文字に引き締めてから、
「……山口君には、近藤さんの首の件を頼んでいたのだがね」と歯切れ悪く土方は言った。手の中で、ぐしゃぐしゃに丸まった書簡に、ちらり、と視線を移した。「近藤さんの首は、板橋から京に運ばれて、それから三日ほど晒されたらしいが、その先の行方は杳として知れないらしい。四方手を尽くしたらしいが、見つからず、諦めて引き揚げたと言うことだ」
土方は溜息を吐いて、肩を落とした。「……それと、途中で、沖田の所に寄ったらしいが、五月の末頃に死んだらしい。長くはないと思っていたが、こう、早いとも思わなかった。近藤さんと沖田が死んで、俺だけ生き長らえているらしいな」
市村は、どう反応して良いものか、と悩んだ。けれど、土方が、こうして、市村に、愚痴めいたことを言ったのだから、このまま、土方に下がれと言われるまでの間は、ここにいようと思った。何となく、独りになりたくはないだろうと思ったからだ。
「近藤さんは」と呟いて、土方は瞑目した。「俺を恨んだろう。恨みながら、逝っただろうね。よほど、俺は、近藤さんに嫌われているようだ。弔いもさせて貰えない」
「そんなことはありません!」と市村は、沈んでいく土方の言葉を遮るように言った。「そんなことは、ありません。近藤先生は、副長を、信用しておられました。間違いありません。それに、近藤先生は、最期に、どなたかを恨みながら逝くような方ではありません」
きっぱりと言い切った市村を見て、土方は微苦笑した。「そうだね」と小さく同意する。「近藤さんは、誰かを恨み、呪いながら逝くような人ではないだろう。甘んじて、こうなった宿命を受け入れるだろう。私は、その、近藤さんの気概が好きだったのだ」
「副長。近藤さんの首はありません。空の棺を送ることになりますが、弔いは出来ます」
市村からの思わぬ提案に、土方は驚いたようだった。そのようなことを、考えもしなかった。「考えておくことにするよ」と土方は受けた。
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