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 土方の足の怪我は、土方や島田が思っていたよりも、随分酷いものだった。戦場……それも敗走の途中では、適切な治療が出来なかったこともあってか、怪我は悪化していた。島田に支えて貰わねば、歩くことさえままならないほどで、身動きの取れない状況が、土方にはもどかしく思えた。もっとも、土方が動くことが出来たとしても、会津を巡る状況は、刻一刻と悪化していく。

 そうこうしている間に、月が変わり、閏四月になった。会津候からのお呼びが掛かったが、さすがに土方が醜態を晒して訪ねるわけにも行かず、山口次郎に頼んだ。

「会津様は、我らに白河に向かって欲しいとのことでした」と山口は告げた。新撰組の隊長は現在山口だが、やはり、幹部は土方という思いがあるのだろう。山口は、決して独断をする事はなかった。

「そうか」と一瞬、考える素振りをしてから、土方は「では、会津様のご指示に従い、白河まで出張して欲しい。指揮は、山口君に任せる」と告げた。土方の傍らには、相変わらず、島田魁が控えている。それをチラリと見やってから、「島田君も連れて行っても良いですかな」と土方に聞いた。

「私は、土方さんのお側に……」という島田の言葉を遮って、「私は、休んでいるだけだ。島田君には、出来ることならば、新撰組の方に向かって欲しい」と土方は言う。さすがに、土方にこう言われては、「では、私も、白河に」と言うほか無い。

「では、島田君。新撰組のもの達と、一度顔合わせをしてもらえないだろうか。流山で増えた分もいるから、島田君の顔を知らない者も居る。いちど、逢ってきて欲しいのだ」

 山口の言い方が、どこか引っかかったが、「承知した」と島田は大人しく去った。島田の足音が遠ざかった頃合いに、山口は口を開いた。

「……近藤さんは、首を斬られました。四月二十五日。これが、そのあとに出回った瓦版です。首は、板橋に晒されたとのことです。流山に残しておいたものたちから、早掛けで伝令が届きました。首の件につきましては、先日、こちらから人を何人かやりましたので、そのもの達が、回収するでしょう」

 山口は、着物の袷から、一枚の瓦版を取りだした。竹垣の中に、首一つ。なんとも、悪人面で描かれているが、近藤に間違いなかった。

 土方は色が白い。ここのところは、怪我の為に、顔色は悪かったが、さらに、酷い顔色になった。蒼白だった。瓦版を持つ手が、震えているのを、山口は見た。唇から血の気が引いて、紫になっている。人間、死体でもないのに、こんなに酷い顔色になるものかと、山口は感心してしまった。

「土方さん」と山口は呼びかけた。「私は、不思議だったんですよ。土方さんは、この結末が解っていたはずですよ。『大久保大和』を名乗らせたからと言って、捕縛されない保証など無かったはずです。板橋に向かわせたのは、土方さんですよ。解っていたから、私には、すぐに会津に向かえと言ったわけでしょうし、土方さんも、江戸に向かわれたのだと思っていました。それなのに、なぜ、土方さんが、近藤さんの首斬りを聞いて、そんな顔をしているのですか。……これは、土方さんの、策略でしょう? 近藤さん一人の首を差し出して、我々新撰組が助かる為の、策略だったはずですよ」

 山口次郎の言葉に、土方は返すべき言葉を見失っていた。しかし、山口は、辛抱強く土方の言葉を待っている。土方は、躊躇いながら、口を開いた。

「……確かに、近藤さんを裏切ったのは、私だよ。山口君。あの時、他に、何か策を弄することは出来たかも知れないが、近藤さんを差し出して、生き残ったよ。魔が差したんだ」

「魔が差した?」と山口は聞き返した。土方は、ゆっくりと頷く。「そう。魔が差した。手に入るはずのないものが、手に入ると思い込んだ。……欲しかったものがね、目の前を横切っていったような気がしたんだ。目がくらんだ。欲が出たと言うんだろうね。諦めていたものが……こう、手の届くところに、あるような気になっただけで……」

 ふ、と土方は笑った。すべてを諦めてしまったような、嫌な笑みだ、と山口は思った。

「……けれど、それが、近藤さんを裏切って良い理由にはならないはずだな。結局、私が殺したようなもんだ。芹沢さんも、新見さんも、山南さんも、伊東さんも………近藤さんもね。みんな、殺したようなものだよ。永倉君なんか、私に殺される前に出て行ったんだから、懸命だ」ハハ、と土方は笑った。乾いた笑い声に、山口は眉を顰めた。

「あなた一人が、殺した訳じゃない」

 たしかに、それはそうだ。芹沢鴨の時は、沖田も永倉も一緒だった。伊東を殺した時には、山口が居た。土方一人が、彼らを殺したわけではないのだ。

「……芹沢さんの言うことは正しかったな」と土方は懐かしむように言った。「昔、芹沢さんに、『斬るべき相手を、間違わないことだ』と言われてね。あの人も、沢山、間違ってきたんだろうね。私も、沢山、間違ったよ」

 何一つ、間違うことなく生きられる者など、この世の中にいるものか、と山口は叫びだしたい気持ちになった。山口も、沢山、間違った。『斉藤一』というなじんだ名前は、もう、名乗ることさえ出来ないものになった。名前を変えるのは、過去を探られたくない為だ。けれど、隠しても隠しても、過去は消すことは出来ない。

「……土方さん。いくつか、聞きたいことがあります。流山から、会津までの道中、なぜ、芹沢村に立ち寄れなどと仰有ったんですか?」

「平間さんに、渡して貰いたいものがあると……君に託したはずだが」

「確かに、それはお預かりしました。平間さんにも、間違いなく渡しました。けれど……なぜですか。どなたかに、託せば良かったのでは?」

「今日は、山口君は、やけに追求してくるね。いままで、子細は聞かなかった君が珍しい」

 たしかに、と山口は思った。土方から指示された通りに、動いていた。新撰組に居た時、それは正しかった。いや、正しいことだと思い込んでいた。伊東甲子太郎を殺した時、あの時も、理由を考えたことはなかった。殺す為の理由は、土方が呉れた。それを、鵜呑みにしていれば良かったのだ。

「……私は……、土方さんの、指示が正しいと思っていましたよ。だから、何も考えなかっただけです」

「では、今は、私の指示は正しくないと言うんだね」と土方は意地悪く笑って見せた。

「いえ、そういうわけではないのです。ただ……」と山口は言を切って、土方を見つめた。土方は、山口を見ている。視線が、真っ正面でかち合った。「ただ……、今は、何が正しくて正しくないのか、誰にも解らないのです。近藤さんは、朝敵になったあげく、幕府の名をかたったなどと書かれている。偽幕府軍の汚名まで着せられたんです。今日は、官軍でも明日には賊軍かも知れない。こんな状況で、何が、正しいって言うんです」

 山口の辛辣な言葉に、土方も「確かに、君が、愚痴を言いたくなる気持ちもわかるよ」と土方は言う。けれど、今まで、愚痴一つ零したところを見たことのない男だ。こんな言葉を、上役である土方に言うくらいだ、山口自身、自身の気持ちも、やるべき事も、道筋さえも、見失ってしまったのだろう。

「……会津様の要請には、応えるかい? 山口君」

 土方の問いかけに、山口は躊躇った。「これまで、良くして頂いた会津様に報いたい気持ちはありますが……」と語尾を濁した山口は、土方の顔色をうかがうように続けた。「新撰組の旗の下に集ってくれた、およそ百数十名。この者達を、ここで、死なせることになっても、良いのだろうかという、躊躇いがあります。これは、犬死にです。名誉の為の死ではない!」

 山口の言葉は、確かだった。ここで、会津に味方すれば、逆賊になるだろう。土方は、微苦笑しているだけで、山口に答えを与えることはなかった。

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