上 下
8 / 59
4

4

しおりを挟む

 一行が上洛したのは、文久三年二月二十五日の事だった。

 上洛した浪人達は、壬生村に逗留することになった。壬生狂言や壬生菜で有名な、と道中、山南に教えて貰ったが、土方にはなじみのないものなので、あまりピンとは来なかった。京は、天皇のおわすところで、あまたの公家が居るところであるから、さぞや優雅な雰囲気なのだろうと想像していた土方は、京が、江戸以上に緊迫した雰囲気に包まれていることに違和感を覚えた。

 しかし、文久三年の時勢を考えれば、京洛が緊張しているのは当たり前のことである。世の中は、攘夷や尊王論に揺れ、大いに乱れていた。この度の浪士隊の招集も、緊迫した京に将軍が上洛するというので、その先遣隊として入ったというものである。

 浪士隊の募集の第一に、『攘夷の決行』とあった。これは、天皇(諡号孝明天皇)が、将軍德川家茂に攘夷の決行を命じたことが大きいだろう。形ばかり、浪人でも隊を整えて、『攘夷の為の準備をしております』と天皇に報告しなければならないからだ。

 将軍の上洛は、三月四日。その後は、天皇の石清水八幡宮への行幸があり、浪士組も街道警護が予定されていた。その後、将軍は大坂城に入る予定であり、攘夷を決行するというのが一応の筋書きである。石清水八幡は、八幡神である応神天皇、神功皇后を祀った神社である。八幡神はもとより弓矢の神・武神として名高い。その上、神功皇后と言えば、熊襲征伐、新羅遠征を率いた皇后である。夷狄制圧の祈願には相応しい神社と言えた。これも、幕府に対する、朝廷からの圧力に他ならないだろう。

 上洛した隊士達は、逗留先の各家で一晩を過ごし、お目付役からの指示があるのを待つことになった。土地勘がないと、お役目に支障が出るだろうと言うことで、二三人ずつ、組になって京洛を歩き回ることにした。

 江戸という町は、幕府開闢に際して、徹底的な町作りがされている。というのも、もともと、湿地帯だったということで、開墾をしなければ、人の住む場所を作り出すことが難しかったと言う理由がある。德川家康は、大名達に金を出させ、江戸の町と城を普請させた。いざというとき……つまり、大名達が反乱を起こし、江戸に攻め入ってきた時のことを想定し、城までの道筋は、あちこちを回される造りになっている。その感覚に慣れていた浪士達は、まず、碁盤目状の町並みに違和感を覚えた。どの筋から来たのか、解らなくなる。慣れれば、場所を聞けばどこになりとも行けるようになるのだが、慣れるまでは難儀する。さすが、千年続いた都は、このような造りになっているのかと、感心しながら歩く。あれこれと物珍しいものばかりで、きょろきょろと辺りを見回しているのだから、どこから見ても田舎からの風情だ。しかし、その、も浪士組だけではなく、きつい訛りを聞くからに、薩摩や長州といった諸藩からの浪人達が流れ着いてきているのだろう。随分、二本差しが多く、殺伐としている。

 ふと、人のざわめきが聞こえた。

「晒し首や」と言う声が聞こえた。土方と行動を共にしていた、沖田・永倉もその声を聞きつけたらしく、「土方君、晒し首みたいですね。ちょっと行ってみましょう」と土方を誘った。この間の夜に見た、あの夢のせいで、あまり、首には関わり合いになりたくはなかったが、夢に左右されているのも甚だ不愉快だと思い直して、沖田たちの後ろを付いていった。

 たどり着いたのは、河原だった。土方は、息も出来ないほど、驚いた。ここは、夢に見た川そのものだった。河原を歩く感触も、橋も、すべて一緒だ。

「……首ではないようですね。木像でしょうか」と永倉新八が言う。おそるおそる見てみると、たしかに、木像だった。三体、ある。それと、位牌が置いてあった。ご丁寧に高札が掲げられており、足利三代将軍が『逆賊』であるという趣旨の文言が書かれていた。

「これは、大事件になりそうですね」と永倉新八が言った。

「大事件ですか?」

「ええ」と言いながら、永倉は、三条河原を後にして歩き始めた。人の気配が少なくなってきた頃、永倉は理由を告げた。

「要は、あの木像は足利将軍のものですが、要は『将軍』のものだと言うことです。あの高札をかいたものは、『将軍は逆賊』だと言いたいわけで、あのような仕打ちを考えたのでしょう。あれが、私たち浪士組が上洛した直後に起きているというのは、幕府に対する、挑発ですよ。何事もなければよいのですがね」

 永倉の言葉の意味を、このときの土方は半分も理解していなかった。河原に梟首されていたのが、木像で良かったと、心底安堵していたからだ。

 ともあれ、永倉の懸念は正しかったと言って良い。この『足利三代将軍梟首事件』を堺に、今まで穏健派を貫いてきた、京都守護職にして会津藩主の松平容保まつだいらかたもりが、一転して強硬派になったのである。

 土方達の運命は、この、三条河原に始まったと言っても過言ではない。

『足利三代将軍梟首事件』が無ければ、松平容保は、『新撰組』を用いて、幕末史を血で彩ることはなかっただろう。松平容保は、二代将軍秀忠の隠し子である保科正之の家系である。口に出すことはないだろうが、『将軍家』に繋がるものとしての矜恃は、人一倍強いものがあったのだ。将軍家を逆賊などと言わせて置くわけには行かなかったのである。

 壬生に戻った土方達は、今、三条河原で見てきた、木像梟首の件を同じ屋敷に厄介になっている隊士達に教えたが、永倉のような危機感を抱いたものは、やはり、少ない様子だった。

「……歳さん、これは、大事になるかもしれないなぁ」と近藤が呟いたのは、土方には意外だった。土方には、こんな子供の悪戯程度が、どうしたら大事にまで発展できるのか、想像も付かなかったからだ。

「歳さん。忙しくなるかもしれないな」

 近藤の声には、確信があった。なんで、確信できるんだ、と土方は不思議に思ったが、近藤はそれ以上、何も言わなかった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シンセン

春羅
歴史・時代
 新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。    戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。    しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。    まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。 「このカラダ……もらってもいいですか……?」    葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。    いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。    武士とはなにか。    生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。 「……約束が、違うじゃないですか」     新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。

戦国三法師伝

kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。 異世界転生物を見る気分で読んでみてください。 本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。 信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

居候同心

紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。 本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。 実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。 この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。 ※完結しました。

クロワッサン物語

コダーマ
歴史・時代
 1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。  第二次ウィーン包囲である。  戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。  彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。  敵の数は三十万。  戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。  ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。  内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。  彼らをウィーンの切り札とするのだ。  戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。  そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。  オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。  そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。  もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。  戦闘、策略、裏切り、絶望──。  シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。  第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。

処理中です...