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「……おい、土方君、土方君」

 と揺り動かされ、土方は、目を開いた。生首と首無し男は、夢だったらしい。

「ああ、山南さん。どうしましたか?」と聞くと、山南敬助は、ふぅ、と溜息を吐いて見せた。「魘されていたから、どうしたのかと思ってね。寝とぼけていたのなら、良いんだ」

「ああ……」と土方は周りを見回した。三番組全員が、狭い座敷に雑魚寝している。土方の腹の上にも、芹沢の足が乗っていたし、腕にも、井上源三郎の手が乗っている。それらを払いのけて、土方は上体を起こした。「芹沢さんと井上さんの足やら腕やらが乗っていたら、魘されますよ。起こしてしまいましたか」

「いや、少々寝苦しくって。なにせ、この人数で雑魚寝ですから」と山南は苦笑いした。

 山南は、陸前仙台藩の脱藩らしい。武家出身には、こんな雑魚寝は辛いところなのかもしれない。特に、仙台藩と言えば、表石高六十二万石だが、藩祖・伊達政宗の頃からの地道な開墾、江戸への米の輸出、特産品の販売などで、表石高は百万石に並ぶと言われるほどの雄藩である。(仙台様の家臣ならば、こんな雑魚寝も無かったのだな)と土方は至極簡単に納得した。

「ところで土方君。さきほど、首、と魘されていたようだったが……」

「少し酔いました。夢を見ていたようです。……見も知らぬ河原に……首が据えてありました。それで、首のない男が現れたのです。それで、魘されたのでしょう」

「それは、夢見の悪いことですな。まぁ、このご時勢、晒し首など珍しくもありませんし、お互い、晒し首になるようなことは避けたいものです」

 穏やかに言う山南に、土方は「そうですね」と受けたものの、得体の知れない雰囲気を感じた。勿論、ごだから、晒し首というのも確かにある。確かにあるが、穏やかな笑みをたたえて言うような会話ではないとも思う。

 ちょうどその時、寝返りを打った芹沢の足が、山南の脇腹を蹴り飛ばした。一瞬にして、山南の笑みが消え、芹沢の足を放り投げる。

「酒癖だけでなく、寝癖も酷い」と手厳しく罵る山南に、「酷い言いようだなぁ、山南さんよ」と芹沢の声が答えた。芹沢は、ゆっくりと体を起こした。まだ、覚醒がしっくり来ないらしく、大きなあくびをした。あくびと一緒にげっぷも出た。酒臭い。思わず、土方と山南は顔を顰めた。

「さらに寝起きもだらしがない」と山南は容赦なく言う。思わず、暴れ出したりしないものかと、土方は気を揉んでしまうが、山南も芹沢も、別に気にした風はない。

「山南さん。あんたが、ごちゃごちゃとうるさいから、夢見が悪かったよ」

「おや、奇遇ですね。土方君は、芹沢さんの足が腹の上に乗っかっていて、夢見が悪かったと言うことですよ」

「なに?」と芹沢の目が、ぎょろりと動いて土方を見た。思わず、すくみ上がりそうなほどの眼光だった。「山南さんと二人で、陰口か。武士が陰口はいかん。感心せんな」

「芹沢さんの寝相が悪いだけですよ。それにしても、芹沢さんともあろう方が、夢見が悪いなど……」と山南は言う。土方も、確かにそれは気になった。

「郷里の夢を見た。それだけだ」と吐き捨てるように、芹沢は言う。

「郷里というと、芹沢さんは水戸でしたか? 二代光圀公以来の学問の盛んなご家風と聞き及んでおります」

 山南の言葉に、芹沢は「ふんっ」と鼻で笑ってから「御三家の中でも、德川の懐刀と言われる水戸藩だが……石高三十五万とはいえ、実質石高は、三十万に及ばない。だと言うのに、三十万石の格式を求められる。その上、二代光圀様の時代から、『大日本史』を始め、様々な学問に藩の予算の三分の一まで使う事になる。ついでに、水戸は、定府で常に江戸詰めだから殿様がお国入りすることなど、殆ど無い。常に江戸詰の為の銭がかかる。水戸学だのと持て囃されているが、年貢の取り立ては、恐ろしく厳しいぞ。出来た米の八割まで、藩に取られる。農民は、いつでも、餓えている。だから、水戸は、尊皇攘夷に傾くんだ。貧しくなければ、誰が倒幕に傾くか。德川が飯を食わせてくれりゃあ、だれも、危険を冒してまで、兵なんか挙げんだろう」

 芹沢の言葉に、山南は「たしかにそうですがね、少し、声が高いですよ、芹沢さん」と窘める。「ここは、ご公儀の浪士隊ですぞ。どこに、どんな人が紛れているか、解りませんし………私たちは、将軍様の警護の為に上洛するのです」

「わかっているよ。………ところで、山南さんの郷里は仙台だったか」

「ええ。仙台藩です。仙台藩は、序列のしっかりしたところでして、ご一門、ご一家など、すべて家格が決められておりますから、私のような下士は、生きていくので精一杯。出世の見込みもありません。それで、年若い時に、藩を飛び出したというわけですよ。それからは、武者修行です。芹沢さんも、似たようなものですか?」

 芹沢は一瞬、考えるような素振りをしてから「まあ、そんなものだ」と答えた。

「おい、土方君。おまえは、武州とは聞いたが、どの辺なんだ? どんなところだ」と芹沢は聞く。脱藩したとは言え、芹沢も山南も、立派な武士だった。そんな二人に、何か聞かせて愉快なことなど無いだろうと、土方の気分は沈んでいく。

「……私は、武州石田村という所の、百姓の息子です。郷里では、名の通った家ではありましたので、農民身分ですが『土方』を名乗っております。武州は……」と土方は故郷の様子を思い返した。美しい場所だと、土方は思っている。

「春。……春になると、菜の菜畑が広がっていて、一面が黄色い海原の様で朝日が昇ってくると、本当に美しいです。それに、朧の月が山の端に消えていくのも良い風情です。夏の土用には、近所の川に自生する薬草を摘んできて、代々伝わる散薬を調合したりもします。甲州街道の日野宿、という宿場だったので、人の往来も多かったです」

「羨ましい限りですね」と山南は静かに言った。「仙台は大藩ですが、藩の政策で米は江戸で売り捌かれました。それが祟って、飢饉の時には多くの餓死者を出しました。食うに困り果てて、人を食ったという話も聞きます。北国では、決して珍しいことではない」

 山南の話に、相槌を打ったのは芹沢だった。淡々とした相槌だった。「そうだったな、北の方は酷かったと聞いた」

「人の肉など、食らいたくはないものですよ。―――食うと、クセになるとも、鬼になるとも言いますからね」

 冗談のような口調でいう山南に「鬼ですか」と土方は聞き返していた。「ええ、大江山の酒呑童子も、人を食いすぎて、鬼になったと言いますよ」

「人を食うと、その人間の力を得ることが出来るなどと信じている奴も居るようだ。徳の高い坊さんとか、強い武士の肉を食った話というのは、時折出てくる」

 芹沢の言葉に、土方はどきり、とした。夢を思い出した。首無しの男と生首。あれも、誰かに食われてしまうのだろうか、と咄嗟にそんなことを考えたからだった。しかし、腐乱した死肉だ。誰かが、それをむさぼり食うのだと思ったら、胸が悪くなった。顔を顰めた土方を見て、「春が好きか」と芹沢は聞いた。

「はい。春が好きです。芹沢さんや、山南さんは春はお嫌いですか?」

「いや」と芹沢は呟いてから、「なれば、春を見捨てて立つこともあるまい。土方君は、人を斬ったことはなさそうだが、斬れば、戻れなくなる。生計たつきを立てる為と割り切っても、血の匂いは消すことは出来ん」

 芹沢は、後悔しているのだろうか、と土方は思った。部下三人を、些細なことで斬ったらしいという話は聞いた。戻れなくなる、という芹沢は、郷里に戻りたかったのだろうかとも思った。土方は、江戸住まいをしていたが、頻繁に多摩方面には帰っている。もっとも、実家には寄りつきたくないので、姉の嫁ぎ先である、日野宿の佐藤彦五郎の所に行くのだが。

(後悔しているんですか)と芹沢に聞きかけて、土方はすんでの所で言葉を飲み込んだ。は、聞いてはならないことのような気がした。

「土方君は、人を斬ったことがないだろう。もし、覚悟が出来たら、躊躇わないことだ。斬られる前に斬れ。戦場では、それが正しい。生き残ったものがすべてだ。だがな、一つ忠告もしておこう」と芹沢は言を切って土方を見た。

「……斬るべき相手を、間違わないことだ」

 土方は、この言葉を聞いた時に、芹沢はのだ、と思った。とっさに、斬ってしまった三人を、芹沢は悔やんでいるのだ、と悟った。なぜ、芹沢がこのような忠告をしたのか、土方には解らなかったが、芹沢の言葉を、真摯に受け止めようと、そう思った。

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