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第一章 宴のあと

11.薫り

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 管絃の会場にたどり着くと、簀子すのこ筵道えんどうが敷かれていた。主上の出御しゅつぎょがある為、設けられたものだろう。筵道は、天皇や神、神に準ずるものたちが徒歩で歩くときに設けられる。

 帝がおいでになる際に使うのだろう。

「おや」

 関白が声を上げた。なにか珍しいものでも見たような声だった。

「なにか、気がかりなことでもございましたか?」

「ああ……、普段は、こういう公でない集まりの時には筵道えんどうなどは敷かないものなのだが……兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様がおいでになるから、のだろうね」

「気を遣った、ですか?」

 真雪は首をかしげる。幾ら兵部卿の宮が高貴な方でも、筵道えんどうの上を歩くことはないはずだった。

「帝は筵道えんどうの上。兵部卿の宮様は、簀子すのこの上」

 関白の小さな呟きをきいて、やっと、真雪は理解した。

 同じ、小さな集まりの席であっても、帝は一段上の所―――しかも、神々と同列に扱われる場所にす。しかし、兵部卿の宮は、関白や本来ここへ来ることもない、舎人でも、なんでもない、一応、貴族という立場であるだけの家の息子という、ものの数にも入らないようなものを同席させるのも、兵部卿の宮を馬鹿にするような気持ちがあるのだろう。

 そして、それは帝も同じだったと言うことだ。

 ―――関白様は、私を利用して居るのか……。

 そう思うと、胸がぎゅっとわしづかみにされたような苦しさがあるが、それ以上どうしようもない。

 それに、関白との関係は―――家と家の間をつなぐ為のようなものである。それは、白露にしても、真雪にしても、同じことだった。そして、関白も、承知して居ると言うことでもある。お互い、使えるものはすべて使うということだ。

「難しいお話しなのですね。私には、よく解りません」

 むりやり笑顔を浮かべて、何にも気付かないふりをした。関白は、少し面食らったようだが、

「そなたも、もうそろそろ出仕するような年頃なのだから、色々なことを考える必要があるのだよ?」

 と苦笑交じりにいう。

「今は、殿下のお側に居られるだけで十分ですから」

 その言葉に、嘘はなかった。





 そろそろと参加者が集い始める。

「おや、殿下、そちらの年若い方は? 見ない方ですね」

 声を掛けてきたのは、三十手前、という頃合いの公達であった。

「真雪や、あれは中納言殿だよ」などと真雪に教えてから、関白は得意げに告げる。

「これは、私がかわいがっているものでね。あまりにも可愛らしいから、ここまで連れてきてしまった」

「殿下がここまで連れてくるものは、今まで一人も居ませんでしたな。特別なご寵愛があるようで」

 中納言の粘っこい視線が、まとわりつくようだったが、不快感を表には出さず、ただ、黙礼をした。

「そういう、中納言。そなたも、あちこちに可愛い子達を囲っているという噂だが?」

「その方のかわいらしさには敵いませんよ。私は、数ばかり揃えていて、心配りもない粗忽なものばかりですから」

 中納言が苦笑する。

 真雪は知らなかったが、話を聞いているかぎり、何人かの男を愛人として囲っているようだった。

「……左馬頭殿と少将殿のような、見苦しいこともありますからな。私も、ほどほどにしなければと思うのですが、どうも、年若いというのは、格別に良いものでしょう?」

「さあてな、私は、この者だけを気に入っているのでね」

「おやおや、また、寵愛が過ぎるご様子で……」

「終世、私の側で仕えるのだ。こういうものが居ると、心安らかで居られる」

 自慢げに言って、関白は真雪の身体をぐっ、と引き寄せる。

「おやおや、関白殿、目に毒ですよ。私も、恋人を連れてくれば良かったと思ってしまうではありませんか」

 実際、こういう真似が出来るのは関白という地位を持っているからだ。ただ人ならば、許されないことだろう。

 その時、真雪は、強い花の香りを感じた。なんの花か、解らない。嗅いだこともないが、素晴らしい姿形をした花に違いない、と思った。そして、どこか、現実離れしたような美しさでもあった。

 ―――なんの薫りだろう。

 訝しんでいると、

「そなたら」

 と涼やかな声がした。 

 声のほうを見れば、筵道えんどうの上を、まばゆいような美しい方が歩いてくる所だった。ザッ、と絹の鋭く擦れる音がして、関白も中納言も、平服する。慌てて、真雪も平服しようと思ったが、出来なかった。その方と、目が合った。その瞬間、石になったように、身体が動かなくなってしまった。

 この方が、どなたなのか、頭は理解していたが、身体が、動かない。

 滑らかな肌に、美しく整った顔立ちだった。楕円を描く瞳に、すっと通った鼻梁。そして、やや薄く、赤い小さな唇が印象的だった。そして。黒い水晶のように透き通った眼差しに射られて、息も出来ない。

「これ、真雪っ!」

 関白が鋭く声を上げるのを聞かなければ、ずっと、そうしていただろう。

 我に返った真雪は、関白の傍らで、平服した。

「おやおや、楽しそうな話をしているね。……関白は、また、可愛らしいものを連れてきたようだ」

 高く澄んだ声音だった。鉦鼓しょうこのように、金属同士が鋭く触れあうときのような、硬質で冷たい声音のように感じた。

主上おかみ

「楽にしなさい。……まだ、みんな揃ってないね。どうだろう。先に酒でも飲んでいようか? この人数では、管絃には不足だからね」

 主上が目配せするまもなく、女房達が、す、と現れて、膳と酒を用意して行く。膳には、土器かわらけが三つ乗っていた。一つは塩、一つは木菓子。これは蜜に漬け込んだ棗《なつめ》だろう。そして、干した小魚というものだった。木菓子や小魚は、高価な品なので、真雪は殆ど口にしたことがない。けれど、真雪の為にも膳が用意され、恐縮して身が竦む。楽にしろ、と言われても、主上の龍顔を排することなど、とても畏れ多くて出来そうもない。

「そなた。関白の連れた来た、そなた」

 主上が真雪に声を掛けた。あり得ないようなことに、真雪の身体がびくっと跳ね上がった。

 なにか失礼なことをしただろうかと思うと、体中から嫌な汗が噴き出す。

 指が震えて、ろれつも回らなくなりそうになったとき、先ほど感じた、花の香りがいっそう強くなったような気がした。


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