漆黒の瞳は何を見る

灯璃

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ー幕間ー 紫の憂鬱

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「……それでは、イスミ様は、行方不明というわけですね」

 ここは太極殿の一室。
 おひい様こと、むらさきのいつもの執務室に静かな声が満ちる。

「ああ。本当に不甲斐ない。すぐにでも、飛び去った西へと捜索隊を向かわせて欲しい。俺も、もちろん同行する」

 血を分けた精悍な白銀の髪に、紫は、はぁと静かに溜息を吐いた。頭が痛そうに、その細く白い指を額にあてる。

兄様あにさま。この度の征伐せいばつに行くのですらどれだけの調整と、費用がかかったとお思いですか。万が一、兄様にもしもの事があれば、それこそこの国の柱が揺らぐのですよ。どうかご自覚くださいませ」

 静かだが、憤りを隠せない声音で、紫は兄に言葉をかける。兄は反論したいようだったが、そう言われてしまえば、建前を使い無理を押し通して出た手前、建前の大前提となる漆黒の存在がいなければ、その無理も通らない事は、流石にあかつきにもわかっていた。
 ぐっと詰まる暁。紫は暁の後ろに控え頭を下げている、青海あおみの方を向いた。

「青海」
「はっ」

 紫に声をかけられ、青海は顔を上げた。その顔には疲労が色濃く出ていた。無理もない。すぐに都に帰らず一人でもこの森を焼き、アマネを探しに行くと言ってきかない暁を都まで連れ帰り、報告をさせたのは、他ならぬ青海なのだから。

「まずは、ご苦労でした。被害がこれだけで抑えられたのは、あなたのおかげと報告が上がっています。兄様をここまで帰るように説得したのもあなただとか。感謝しますよ、青海」
「もったいないお言葉でございます」

 青海は、再び頭を下げた。

「そうだ。青海のおかげで俺はこの通り無事だ。だから、どうか探しに行かせてくれないか。青海と近衛がいれば、そうそう負けないだろう」

 紫は必死に言いつのる兄を、軽蔑気味に見ていた。もちろん瞼は閉じたまま表情は微笑みのままなので、伝わりはしないだろう。
 しかし、ここまで色恋に執着する兄ははじめて見る。が、兄を拒絶する男女などいなかったので、物珍しさが変な執着になってしまったのだろうと、紫は分析していた。自分の手に入る前に無くしてしまったものを執拗に追い求める兄に、嘲笑すら浮かべてしまいそうだ。
 その表情筋をくっと引き締めて、紫は、再び憂いたような溜息を吐いた。

「兄様。わたくしは心配なのです。兄様に何かあればわたくし独りではこの国を支えきれません。わたくしにも兄様にも子がおらぬ以上、要家の血の断絶は最も避けねばならぬ事。どうかご理解くださいませ、兄様。
イスミ様の捜索は、もちろんさせましょう。その人選も兄様にお任せします。その者達の報告で我慢してはいただけませんか。見つかった際には、一番に迎えに行けるように取り計らいますから」

 紫が真剣な声で頼み込むと、暁は眉を下げて紫の顔を見た後、助けを求めるように青海を見たが、青海はいまだ平伏したまま、何も言わない。
 ついに、観念するしかない事を悟った暁が、肩を落とした。

「……わかった」

 力の無い返事だった。いつもの暁からは想像もつかないその弱った姿に、一人は内心嘲笑し一人は驚いた。

「おわかり頂けて良かったです、兄様。それでは、イスミ様の捜索隊の人選をよろしくお願いいたします。そして、身体を十分に癒してくださいませ。きたる日の為に」
「来る日?」

 紫の言葉に暁が疑問を返すと、紫は力強く頷いた。

「怨霊の封印が解かれる日、ですわ。必ず、イスミ様は、やり遂げて下さるでしょう。ですがその時に、人の世にどのような悪影響が出るかわかりません。その時の為に、兄様は太極殿で身体を癒し、備えて頂きたいのです」

 何かを確信しているような紫の言葉に、武人の顔に戻った暁は、わかった、と頷いたのだった。






「青海、あなたには方術寮ほうじゅつりょうの事で話があります」

 肩を落とし出て行こうとする暁に続いて、青海も部屋を出ようとしたとき、紫から声がかかった。一瞬ためらったが、青海は暁に一礼して、部屋に戻って来た。暁は不思議そうにしていたが、大人しく部屋を出て行った。

「はっ、何事でしたでしょうか」

 紫の前で再び平伏する青海。そんな青海の後頭部を見下ろしながら、紫は口を開いた。

「方術寮の事、というのは口実です。青海、あなたが見た事を報告しなさい。兄様に遠慮はいりません。あの人は、どうも毛色の珍しい者にご執心のようですね」

 その声は、兄が居る場では出さないような、嘲りを含んだものだった。青海は慣れているのか、平伏したまま、頭を少しだけ上げ口を開いた。

「かしこまりました。……不知のしらず森で、洪水に遭い流された所までは、報告した通りです。
その時漆黒の君を見失い、見つけるまで居ると仰り、本当にその後は森の中で捜索を続けました。宮様は、少し平常心を無くし落ち着かれない様子でした。数日経ち、何故かいきなり惑わす霧が晴れ、近衛の者が子供の妖を見つけ、捕えようとした所に、漆黒の君が助けに来たそうです。その漆黒の君を捕まえようとして反撃に遭い、私達は傷を負いました。また、おそらく妖の集落があった場所も術で閉ざしたようです。漆黒の君から私達の情報が行ったのだと思われます。
その後、漆黒の君は妖の助けを借り私達の上空に現れ、自分は自分の方法で怨霊を倒すので、邪魔しないで欲しいという旨の事を述べられ、西へ飛び去りました。おそらく次の封印、野分の平野に何らかの情報を得て向かったのだと思われます。その後は、西へ行くという宮様を皆で説得し、都へと戻って参りました」

 途中で口を挟まれることもなく、青海は一気にそこまで報告した。未だ頭を下げたまま。
 そんな青海に、そう、と静かな声が返ってきた。

「やはり、イスミ様は役目を果たそうとされているのですね、重畳重畳。そうでなくては。青海、イスミ様は封印の最終地点を知っているのかしら」

 青海は、頭を上げて紫の顔を、見れない。こういう時の彼女の表情が底知れなくて、恐ろしい。

「いいえ。漆黒の君には、まず四方の封印を壊さなければならないとだけ。順を追って説明するつもりでした……この都の太極殿の下に、一番強力な御柱様の封印がある事は、ご存じないと思います」

 ふふっと少しだけ楽し気に笑う女性の声が聞こえたのは、気のせいだと思いたい。

「そう。妖の親玉から知らされた時には、どんな顔をなさるのかしらね。問答無用でここを壊しにくるかしら、それとも、避難でも呼びかけるかしら? どう思う、青海」

 楽しそうな声はそのまま青海に降り注ぐ。内心冷や汗をかきながら、青海は至極平常通りに応える。

「漆黒の君であれば、まずは被害を抑える為、避難を促してくるかと。おひい様、その時方術寮はいかがしましょうか」
「よい。迎え入れてやりなさい。祭壇の所までは、わたくしが直々に案内しましょう」
「かしこまりました」

 ようやく話が終わった気配がして、青海は再び深く頭を下げた。
 最初から最後まで、おひい様の表情は見れなかった。見てしまうと、恐ろしさを感じてしまう。それはおそらく、彼女が封印の為に瞳を取られた後からだ。
 青海が暁に拾われた後に、その要家の儀式は行われた。一時期彼らの近くで過ごす事を許された青海だが、その後の、悲嘆と苦痛の悲鳴を上げる紫の声が、今も耳の奥に残っていた。それは、妖の言う悲鳴と近い、と青海は密かに思っている

「……ねえ、青海」

 頭を上げて、部屋を退出しようとした青海に、ふと声がかかった。
 それは憂うような怠惰を含ませた、紫の声だった。思わず顔を上げた青海を見る事なく、紫はつまらなさそうな顔で珍しく頬杖をつき、どこか遠くを見ていた。

「はい」
「自分がなぜ、この時代に生まれたのか、と思った事はない?」

 それは、為政者としてのおひい様ではなく、ただの紫に戻ったような言葉だった。青海は少し首を傾げながらも、慎重に言葉を探した。

「そ、れは、私にはわかりかねます。そういう宿命だったのだろう、としか」

 青海の言葉に、青海を見ることなく紫がふんっと鼻で笑った。

「そう。方術師らしい答えだわ。本日はご苦労様でした、下がりなさい」
「はっ、失礼いたします」

 つまらなさそうにそう言う紫に再び頭を下げ、今度こそ青海は立ち上がり、部屋を出た。
 そんな青海を見ることなく、紫は未だにどこか遠くを見ていた。




 襖を閉め廊下を歩き、太極殿を出て、ようやく青海は深く深く息を吐いた。
 最近のおひい様が、どこかおかしい事はわかる。
 だが、それは昔からと言われればそうだし、変わっていないといえばいない。微妙な違和感、としか青海にもわからない。兄である暁はあのように妹に都合良く掌で転がされている為、気づく事もないだろう。
 何にせよ、自分はただの方術師。
 それ以上でもそれ以下でもないという事を自覚している青海は、久しぶりに自分の古巣、方術寮へと戻っていった。

 そしてそこで聞かされたのは、封印の緩み。からの、呪いの拡大。
 予想の範囲内だが、被害報告があった場所全てを助ける事は出来ない。急いで報告の内容を精査し、必要な処置を施す為、青海は再び忙しく働きだしたのだった。

 頼りになる寮長が戻ってきて、方術師たちも一時は士気が上がったが、それでも雪だるま式に膨れ上がる被害に、やがて対応しきれなくなっていく。

 その呪いの被害はじわじわとではなく段階的に起こり、計四度、大きな被害が出た。

 大旋風、大火事、大洪水、等々。
 局地的なものだったとはいえ、それは確かにそこに住む人々に被害をもたらした。
 おそらく、被害にあった所は冬を越せない。流民が溢れ都に殺到し、治安が悪くなるのはもう、はじまっているようだった。
 その人々の非難の矛先は、今は妖、怨霊の呪いに向いているが、いつ為政者に向くかわかったものではなかった。

 そんな中でも紫は最大限の対応をしていた。紫の評判は良くなりこそすれ、悪くなることは無かった。むしろ名声は高まる一方だ。
 人々は平民から重臣まで、紫を真の慈愛深い帝として、頂点に立つ事を望んだ。
 だか、そんな人々の声に紫は、ただ曖昧に微笑むだけであった。

 その笑顔、その開かれない瞼の下に、どんな想いを隠しているかなど、誰一人として気づかない。
 誰一人、紫と真っすぐ向き合う人は、居ない。

 だから、紫は心の奥底では、ソレ、が来るのを待ちわびていたのかもしれない。
 その、漆黒に煌めく破滅をもたらす存在を。
 



 おわり
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