漆黒の瞳は何を見る

灯璃

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炎の雨

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 あくる日。

 アマネは、木々が生い茂り湿地が広がる地域には珍しく、ひらけた硬い地面の上に立っていた。
 小高い丘になっている場所だ。アマネが立つのに十分な広さもある。
 朱雀と戦うならオレが一緒に飛ぶ、と丹羽が提案してくれたのだが、アマネはそれを断った。ここまで良くしてくれた丹羽を危険な目に遭わせたくなかったし、アマネにも少し考えがあった。
 丹羽は、自分が足手まといだと自覚をしていたので、何か言いたいのをぐっとこらえ、アマネを独りその場所に降ろし、頑張れよ、とだけ声をかけて飛び去っていった。

「それじゃあ、準備は良いかしら。勝ち負けは簡単よ。どちらかが負けを認めるか、大刀自様が止めるかのどちらか。良い?」

 アマネが地面に立つと同時に、上空に朱雀がスィーっと現れ、そう高らかに宣言した。アマネは一瞬、顔を上げて良いのか迷ったが、上を見ないとどのみち戦いの時に不利になる。
 覚悟を決めて見上げたら、朱雀は朱色で裾を絞った袴をはいていた。心底アマネはホッとした。

「わかりました。それで良いです」

 軽く準備運動をしながら、朱雀に答える。
 そのあまりに平常な様子のアマネに、朱雀の眉が少し寄った。

「本当に良いの? アタシに有利な地形と、あなたの上、取ってるけど」

 流石に朱雀側の条件が良すぎると思ったのだろうか、思わずといった風に声をかけてくるが、アマネはなおも普通に頷いた。
 二度、御霊の呪いを有る意味利用し自分の力を使ったアマネ。少しだけとはいえ、自分の力をわかってきていた。その活用法も。

「大丈夫です。そろそろ始めましょうか」

 その様子が余裕に見えたのだろうか。朱雀は面白くなさそうな顔をして、ついっとさらに上空に飛んだ。

「それじゃあ、いくわよ。朱雀を舐めた事、後悔しなさい。死んでもしらないから!」

 高らかにそう言うと、朱雀は、バッと右手を上げた。
 何をするのかとアマネが凝視していると、その掲げた右手の周りに、拳ほどの火の玉が数多浮かんできた。その火の玉たちは意思を持つかのように浮遊し集まり、そして。

「いけ! 紅蓮の炎で焼き尽くせ」

 その朱雀の言葉と共に、右手が勢いよく振り下ろされた。と同時に、右手に集まっていた無数の炎が、一気にアマネに向かって降り注いだ。
 雨のように。霰のように。矢のように。
 その炎の雨に対して、アマネはバッと両手を上げた。そして漆黒の瞳で、凝視する。

 ガガガガッ

 直撃すると思われた炎の玉だったが、不思議とアマネに当たる事なく、その軌道は不自然に逸れた。
 雨に対して傘をさすがごとく逸れて行く炎の玉。
 それを上空で見ていた朱雀は、ギョッとしながらそれを見ていた。
 今まで、避けるか、逆に自分に向かってくる者しか知らない。いや、それしか無い筈なのだ。なのに、真正面から全てを受け流すなんて。
 ますます朱雀の眉間にシワが寄った。

「いつまで受け流せるかしらね!」

 朱雀は再び右手を上げ、数多の炎の玉を出した。
 それを察知したアマネが、再び両手を天に掲げる。のと同時に、朱雀は右手を振り下ろした。間髪いれず、左手も上げ同じように炎の玉を出現させた。そして、左手の方も勢いよく振り下ろす。
 時間差で行われるその攻撃は、もはや爆撃と呼ぶにふさわしく、さすがに受けきれないか、と思われたが。

「なっ、んで無傷なのよ」

 その漆黒は平然と、最初と同じ場所に立っていた。
 周りの土が、酷くまだらに焼け焦げているので、朱雀の術が地面までは届いていた事がわかる。
 ただ、アマネに届いていなかっただけだ。

 朱雀の顔に、疲労ではなく少しの恐怖が浮かぶ。ここまでして平然と地面に立っている者を、知らない。それこそ玄武ぐらいだ。それでも術の相性による所は大きかった筈だ。
 だが、はるか眼下に居る、この漆黒は。

「終わりですか?」

 なおも平然と、こちらを見上げる。その漆黒の瞳には、何の感情も見えない。

「うっ、さいわねっ、そんなわけないでしょ!」

 朱雀はそう声を上げると、更に上空に飛び、アマネからは点のようにしか見えなくなった。

 同じ角度でいつまでも弾かれるなら、色んな方向からぶつければいいだけ。
 朱雀はそう判断し、自分の右手に炎を纏わせたまま、ジグザクと空を飛び回り、ランダムに炎の玉をアマネに投げつけはじめた。
 空での朱雀の速さと小回りの良さは、さながら高性能の戦闘機のようだ。
 その戦闘機から、炎が雨のように降り注ぐ。高度を稼いだので、その威力はさらに恐ろしいものになっていた。実際逸れた炎は地面を抉りはじめている。
 普通なら、早々に根を上げる攻撃だ。
 実際、ここまで持ち込めた朱雀は、玄武にしか負けていない。青龍や白虎は、この戦法に持ち込む前に速攻でやられている。何とかここまで持ち込めていたら、勝てていたかもしれない程だ。
 
 が。
 やはり、漆黒は。

「っはあ、はあ、これなら……なんでよ!?」

 思う存分攻撃を叩き込んだ朱雀。
 普通の妖なら避けなければ、いや避けてもただでは済まない攻撃だ。
 それでも漆黒は、変わらない姿でそこに立っていた。いや、佇んでいた。

(綺麗だったなぁ、炎の雨。朝焼けや夕焼けみたいに、空が赤く染まってた)

 ぼんやり上を見ながら、そんな事を考えているぐらい、アマネには簡単な事だったのだ。

(本当に、害意や敵意のある攻撃は、反射するんだ。……っ目が、痛いな。流石にそろそろ終わらせないと)

「な、なんなのよアンタ! このまま、私の力が尽きるまで、そこで棒立ちしてるつもり!」

 そう叫ぶ朱雀の声には、少しだけ、恐怖が含まれていた。

 上空から降る声に、ようやくアマネはそれもそうだ、と思った。
 今のアマネは、難攻不落の要塞のようなものだ。動かない、落ちない。しかし負けはしなくても、勝ちもしない。
 こちらからも何らかの攻撃を、あの高い高い上空にいる朱雀に届くように行わなければならない。
 だが残念ながらアマネは、相手を傷つけるための術など知らない。基礎的なものだけだ。あとは、御霊の呪いを受け入れた時にだけ降り注ぐ術の数々。

 既に二回、悲鳴を聞いた。彼女の負の感情を悲しい程聞いた。
 三回目も自分に戻って来れるとは、限らない。その事だけが恐ろしい。
 それで躊躇していたら、また、怒ったような朱雀の声がして、炎が降って来た。
 何度も見たので、なんとなく着弾のタイミングがわかったアマネは、何の気なしに、その翳した手を炎の玉を追い払うように、振った。
 瞬間。

「わっ」
「なに?!」

 思ったよりも勢い良く、自分に降りかかってきた炎の玉が弾き返された。卓球の球のように軽やかに鋭く、もとの持ち主であった朱雀に跳ね返っていった。
 朱雀は咄嗟に避けたが、少しだけ服の裾が焦げた。
 その目が驚愕に見開かれる。が、もちろんアマネにそこまでは見えない。

 朱雀の攻撃が、止まった。攻撃が全て弾き返されたら、不利になるのは朱雀の方だと、その一回で理解したらしい。

 膠着する時間。

 アマネは、

「……もう終わりですか? なら、僕の勝ちで良いですよ
ね」

 そう、わざと煽るように、上空の朱雀に大声で言った。躊躇っていた朱雀だが、案の定、怒ったようだった。

「はあ?! こんなので勝ちなんてふざけるんじゃないわよ!……わかったわよ。アンタがヤバい奴だっていうのは、身に沁みた。アタシも、最大級の奥義を出さないと勝てないでしょうね。だから、私の全身全霊の全力、くらいなさいよ!」
「朱雀やめろ!」
「おい、馬鹿、それは!」
「ここら一帯焼き尽くすつもりかっ」
「やめろって!」

 朱雀はもう、周りの制止の声など聞こえていないようだった。
 先ほどまでとは違い、両手を同時に思いっきり上にあげる。両腕に掛かっていた薄衣が、朱雀の意思に呼応するように淡く輝き、強くはためきだす。
 朱雀の両手の間には、炎と呼ぶにはあまりにも眩しい力が集まってきていた。

「長老!」
「お前達は疾く避難なさい。この付近に他の妖はいませんね。アレを見れば非常事態だと理解すると思いますが、なるべく遠くへ行きなさい。完全になるまではまだ猶予がある。早く」
「はっ」
「長老は!」
「私はここで、被害が最小限になるように食い止めます。赤飛の子、丹羽だったね」
「はいっ」
「お前は私の補助をなさい」
「わかりました。……アマネは、大丈夫でしょうか」
「それは、あの漆黒の子次第ね。御霊様の宝を使うなんて、全く。あの子もよほど堪えたみたいね」





 遠くで、丹羽を含めた妖たちが何やら騒いでいるようだ、というのはアマネにもわかったが、その内容はわからなかった。
 ただ、自分の上空で朱雀が、まるで太陽のような輝きを放ち始めた光玉を作り出している事はわかった。それが、彼らのざわめきのもとだというのも。
 さすがに危ないかなと、アマネも思った。
 彼女の性格上、煽ったら一番強い攻撃をしてくるだろうと予想していた。だから、それを何が何でも反射して、決着をつけようと思っていたのだ。
 しかし、さすがに大きすぎないかな。
 アマネがぼんやり見上げるそれは、既に人の頭程の大きさだったものから、もはや朱雀一人では抱えきれない程の球体になっている。この開けた地面とアマネを、悉く焼き尽くすつもりらしい。
 アマネはチラリと周りを見て、気合をいれて、朱雀の挙動を見守った。



 一方朱雀は、この時間がかかる術を何の妨害もせず、ただただ黙って待っている様子のアマネが恐ろしく、それゆえに腹立たしかった。舐めているのか、余裕なのか。
 最初から変わらない、アマネへの敵視。それが、一番アマネに味方しているとは知らず、朱雀はなおも、自分の限界まで光玉を大きくしていった。
 そして、ついに。

「はあ、はあ、待たせた、わね。そんなにくらいたい、なら、思う存分、受け取りなさいよぉおおおお!」

 朱雀がもはや悲鳴のような声を上げ、その育ちきった光玉を、ついに、アマネに向けて勢いよく振り下ろした。

 光玉は、もはや殺人的な速さで降下していった。
 軽いものであったとしても、その速度に乗った物質は当たった者を死に至らしめるだろう。
 それを、アマネは、真正面から受け止めた。

 ドン!
(重い!)

 両手で受け止めたソレは、先程までとはけた違いの威力だった。
 足が重みで下がる。
 腕が、震える。
 見えないハズの反射の壁に、ヒビが入るのがわかった。
 それほど重く、強烈な、一撃。全身全霊の全力。
 この一帯を焼き尽くすほどの威力。
 それで終われば良いが、ここに周りに木が多すぎる。延焼しはじめれば、被害は恐ろしいほど甚大になるのがわかりきっていた。
 そんな術を使ってまで、自分に勝ちたいのか。

 アマネの漆黒の目が、強く痛んだ。これまで感じた事のないような痛みだ。内側から、破裂しそうな程の圧力がかかっているよう。
 瞳の、限界が近いのだ。
 それを悟った時、悲鳴が、より近くから聞こえた。もう悲鳴なのか、笑い声なのかすらわからない、女性の声。
 だけど。
 受けきる事も反射する事も、このままでは難しいアマネに、選択肢は無かった。

 アマネが、悲鳴を、あげた。





 最初、それを聞き取ったのは、他ならない朱雀だった。
 未だアマネの上空で、整わない呼吸で肩を上下させていた。朱雀にとっても、負荷の大きすぎる術なのだ。
 術を放った事で、だいぶ冷静に戻ってきていた朱雀。
 さすがにヤバいかもと周りを見回すと、すでに人影は無くなっていた。おそらく大刀自が避難させたのだろうと気付いて、ホッとする。

 そして、眼下の光玉が、動かないことにも気づいた。
 地面に達したわけではないので、まだあそこで止まっているのだ。
 つまり、自分の奥義とあの漆黒の存在が対抗しているという事。自分の奥義、とはいうが、朱雀は御霊様の宝の力を利用してこの術を放った。

 それを、留めているということは即ち――あの漆黒が、御霊様と同等だという事。
 朱雀は、あのぼんやりとした漆黒を思い出す。
 まさか、そんな。
 そこまで考えた時、事態が、動いた。

「え?」

 光玉がだんだん姿を変えていく。
 球だったものが、楕円に。

 ゾクッ。

 理由はわからないが、朱雀の背中に悪寒が走った。
 その一瞬で、無意識に手足が自分を守るように丸まった。
 次の瞬間。

 何者かの悲鳴と共に、光の玉が限界を迎えたように弾け、光の柱が真っすぐ天に向かって立ち昇った。
 真っすぐ、高く、この世界で一番高い樹のてっぺんよりもはるか上にまで届くその光の筋。
 それはまるで、地上から天に向かって差す太陽の光のようでもあり、全てを焼き尽くす業火のようでもあった。

 朱雀はそれを避ける間もなく、正面からその光を受けた。
 自身が空の上からやっていた事を、地面に立つアマネからやり返されたのだ。

 あまりの出来事に、場を、静寂が支配した。

 ソレ、を遠くで見守っていた老婆は、瞬間に心の覚悟を決めた。ひ孫娘が、跡形もなく蒸発してしまう、覚悟を。
 いや、周りにいて、その光の柱を見た者は全員そう考え、覚悟した事だろう。
 もはや、あの朱雀はいないのだ、と。




 ――だが。
 そうは、ならなかった。

「ぅわあああああん! 怖かったあぁぁぁあああ」

 光の柱が自然に霧散した後、聞こえてきたのはあの朱雀の泣き声だった。
 みなが一様に驚いた。
 その方向を見る。
 すると、

「もうやぁあだああ! 御霊様の比礼燃え尽きちゃったあああああ」

 泣いているし、ところどころ服が焦げて肌が露出した所に火傷を負ってはいるが、思ったより元気そうな朱雀が、居た。
 今だ上空を飛んでいるということは、翼もおおよそ無事なのだろう。
 その事実に周りから、うおー! と大歓声が上がった。

「すげえぞ朱雀! あれを生き延びるなんて!」
「マジかよ、生きてんのかよお前! 化け物か」
「朱雀、オレ信じてたよぉ、お前が生きてるってぇ」
「なっ、なによアンタたち!」

 避難していたのであろう者たちが、めいめいに朱雀の周りに集まって、口々に無事を祝った。
 それなりにちゃんと敬愛されているようだ。

「アマネ!」

 そんな中、地上に向かうのは、もちろん丹羽だった。老婆も一緒だ。

「アマネ! おい、アマネ大丈夫かっ」
「丹羽、落ち着きなさい。すぐに私の家へおつれしなさい」
「はいっ。おいアマネ、しっかりしろ」

 泣きそうになりながら丹羽は、瞼を閉じて地面に横たわるアマネの身体を抱き上げた。ぐったりしていて、目を覚まさない。呼吸はしているが、丹羽は気が気ではなかった。

 そっとアマネを抱え、丹羽達は大刀自の家へと向かった。
 それを見て、まだいろいろ言われていた朱雀も、慌ててその後を追った。
 周りの者達には、礼と騒がせた謝罪をし、着いてこないように言い含めた。何かを察したのだろう、いつもはけたたましい彼らも、大人しく頷いたのだった。
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