上 下
28 / 36
第一部

27.乙女は後悔の中にいる

しおりを挟む

 倒れた男はそのまま息を引き取った。
 男には、呪術と魔獣になんらかの関係があったであろうことは分かるのに、証拠がない。それがなにを意味するのか、賢人は理解していた。
 ティオは男の正体を知らなかった。しかし、動揺した兵士の――「あの男はルファイリアス帝国の使者ですよね?!」の一言で、ティオは己の失態を悟った。

 今後のことを心配したティオだが、
「なにを気に病むことがあるというのです。ファーバー嬢がいなければ、この城はおちていたでしょ。それは、エミール殿下も望むところではありません。むろん、我々も。ですから、今は殿下のことだけをお考えください」――という兵の言葉に従うしかなかった。それしかできることがなかったから。

 ――私、なにをした? ? もっと他にやりようがあったんじゃ? そうんじゃ……?

 漠然とした不安が胸にこみあげてくるが、それでもティオは止まらなかった。
 教えられるまま、現在、重傷を負ったエミールがいるへと向かう。エミールのことが心配だったのも、本当だったから。





 ◇


 エミールが目を覚ましたとき、周囲は完全に暗くなっていた。日が傾いてから、部下が申しわけ程度にともしたと思われる明かりだけが、遠くに淡く揺らめいている。
 窓から差し込む幻想的な月の光を遮るものはなにもない。そして、自分の枕元で眠る月明かりに照らされた、一人の少女……。

 ――二度目、だな。
 この光景には見覚えがあった。
 今も、そしてあの時も――目の前の少女に、エミールは温かい感情を覚える。

 あの時はどうしていただろうか、と思いながら、そっと眠る少女の髪に手を触れると、それに誘われたように少女は目を覚ました。目を覚ましてすぐには周囲の状況を把握できていなかったようだが、やがて意識がはっきりとしてくると。
「怪我、大丈夫?!」
 と、エミールにしがみつかんばかりの勢いで問いかけた。
「ああ。身体に問題はない。城の治癒師は随分と優秀な人材が残っていたらしい」
 エミールはティオがもうしばらくまどろむかと思っていたので、切りかえの早さに思わず笑みがこぼれた。そんなエミールを見て、ティオは一瞬ほほを染めるがすぐに、どこかひかえめに居住まいを正した。

「ティオ?」
 彼女らしくない、とエミールは思った。いつでも元気すぎるくらいに元気で、分かりすぎるくらいにその感情をこちらに伝えてきていたというのに。今の彼女は、感情を意図的に隠そうとしているかのようだ。
「なにかあったのか?」
「……ごめんなさい、私、エミールのをしたかも……」
「邪魔? そうだ、あの化け物は――」
「それはもう、大丈夫。大丈夫なんだけど……ごめん」

 ティオのひどく落ち込んでいる様子を見て、エミールの心に焦りが生まれる。しかし、エミールがこれ以上突っ込んでこないよう、ティオは次の話題を口にした。
「被害状況は……えっと、えらい人から手紙を預かってるんだけど」
 ティオは一人の兵士から預かっていた書類をエミールに見せた。

 彼女がこの手紙を渡されたのは、ここへやってきてしばらくしてからのことだった。ティオにこれを渡したのは、ギルベルト・エッフェンベルク、今年で五十六になる初老の男だ。倒れたエミールの代わりに現場の指揮をとっていた、責任感が強く優秀な男だった。
 彼は、エミールの意識がもどっていたら直接報告するつもりだったのだが、しばらく意識が戻らなかったため、報告書をティオに託し、ふたたび任務にもどった。

 ティオから書類を受け取ると、エミールはそれに目を通した。書類には被害状況などについて、事細かに記載されている。被害は最小限にすんでいるようだが、エミールが気にかけていたについての記述がない。
 記入者に確認しようと身体を起こしかけ、全身に激痛が走った。

「――ッ!」エミールが苦悶の表情を浮かべる。
 ティオは真っ青な顔で、「まだ動いたらダメだよ! 全身、すごい傷なんだから!!!」と叫び、エミールをベッドに軽くおさえこむ。

 エミールが受けた傷は、彼が思っている以上に深かった。彼の治療にあたったのは、国内でもっとも優秀だと思われている術者だった。それでも、身体に幾ばくかのダメージは残った。

 身体を満足に動かすことさえできないまま、エミールはゆっくりと周囲の様子に耳を澄ませた。先ほどまでのような騒がしさはない。書類にある通り、危機は去ったのだろう。今は事後処理に奔走しているといったところか、とエミールはあたりをついた。なにしろ、ティオが自分のそばにいるのだ。

 ――ティオは優先順位を間違えることはない。と違って。

「ほんとに、ティオには情けないところばかり見られているな」
 エミールは肩の力をぬき、大人しくベッドに横たわりながらそうつぶやく。なつかしさを覚えて、思わず口をついて出てしまった言葉だった。
「そうかな?」
 ティオにはそんな自覚はない。しかし、エミールは始まりからしてダメだったと思っている。自分たちの力では敵わない敵を倒すために力を貸して欲しい――それが自分たちの関係の始まりだった。学園にいた一年、申し訳なくて仕方がなかった。都を追われてからは、無力さを痛感する日々だった。

 ――それでも今日まで絶望し、後悔することなく生きてこられたのは、彼女がいたからだ。いてほしい。これからも、自分の隣には彼女にいてほしい。

 そう思っているのに、彼女の表情は晴れない。先ほどからずっと、なにかに心を痛めているかのように塞ぎ込んでいる。

 そんなティオの様子は、エミールの胸中に不安を呼び起こした。彼女がなにかを激しく後悔していることが分かる。それはおそらく、自分に関係すること。
 彼女がそれを苦に、自分から離れてしまうのではないかと、そんな不安を覚えた。それはいやだった。
 ――、失うのはイヤだ。

「なにか、あったのか?」
「え?」
 重傷を負っているエミールが、自分を心配するようなことを口にするのだから、ティオは驚き戸惑った。その戸惑いはエミールにも伝わる。彼はティオの制止を振り切り、ゆっくりと上半身を起こすとティオの手を力なくとった。
 彼女を逃がさないように。
「エミール?」
「なにかあるのなら言ってくれ。俺は君を失いたくない。だから、話してほしい……俺では、君を支えるには足りないか?」
「そんなこと――」
 ティオは悩んでいた。エミールの言葉にあまえることが正しいことなのか、この手をとって本当にいいのか。
「……私、エミールを――」いつか窮地に、陥れるかもしれない、と口に出すことができなかった。エミールが先に続けた言葉に、ティオが激しく動揺したからだ。
「なにがあったとしても、これだけは忘れないでくれ」
「え?」
「――俺は、君を愛してる」








 ◇◇◇


 ――号外


『十七代目・レイオニング王国、エミール・ヴェルナー・バイアー王即位!』


 そのニュースが国内外を駆け巡ったのは、先の王がエミール・ヴェルナー・バイアーが王都へ戻ってから一月後のことだった。

 一面には大きく、教皇から冠を受ける若き王のイラストが描かれていた。
 知らせが届いたのは国内だけではない。諸外国とも、民間レベルでの交流がないわけではない。多種多様な言語で、エミールの即位は各国にも広く伝えられた。

 戴冠式が行われたのは、聖地ヴァロンにあるサンヌヴィエン大聖堂。百年も前に作られたとは思えないほどに、繊細にして荘厳そうごん。天高く伸びる細い尖塔や、大きな窓が特徴的な建築様式を採用している白を基調とした重厚な建物だった。

 この大聖堂は、各国歴代の王たちが戴冠式を行った場でもあり、公会議の会場でもある。また、真偽は不明だが、黙示録で『裁きの時に復活する』と言われている大精霊が眠っているとも言われている。

 エミールは無事に大聖堂で教皇からの戴冠を受け、近隣諸国に即位を示した。

 この戴冠式には、国内貴族のみならず、近隣諸国からも多くの王侯貴族が足を運んでいた。多くの人々から戴冠を祝われるエミールの様子は、新聞の号外で広く知らされた。教皇の手から聖なる冠がかぶせられた際、使が現れただの、が場を包んだだの、少なからずうわさに背ビレ尾ヒレがついたものではあったが。

 大聖堂には全ての大司教、司教、司祭が集められていたし、外には聖堂を囲むように、多くの民衆が詰めかけていた。


 ――だがそこに、ティオ・ファーバーの姿はなかった。


 ◇◇◇


 
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

モブはモブらしく生きたいのですっ!

このの
恋愛
公爵令嬢のローゼリアはある日前世の記憶を思い出す そして自分は友人が好きだった乙女ゲームのたった一文しか出てこないモブだと知る! 「私は死にたくない!そして、ヒロインちゃんの恋愛を影から見ていたい!」 死亡フラグを無事折って、身分、容姿を隠し、学園に行こう! そんなモブライフをするはずが…? 「あれ?攻略対象者の皆様、ナゼ私の所に?」 ご都合主義です。初めての投稿なので、修正バンバンします! 感想めっちゃ募集中です! 他の作品も是非見てね!

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜

白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます! ➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

悪役令嬢に仕立て上げられたので領地に引きこもります(長編版)

下菊みこと
恋愛
ギフトを駆使して領地経営! 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...