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第一部

20.威風辺りを払う

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はとりあえずをさせておいたから、さっさと行きましょう!」

 ティオは皆に声をかけた。快活とした、迷いのない口調で。
 しかし、この場にいる者達はいまだ動揺と混乱の中にいる。ティオの動きに身体も頭もついていかないのだ。
 そもそも、ティオが言っていることもよく分かっていない。


 ティオが言う『巣』とは、この区画を襲っていた、魔獣の巣のことだ。

 何しろ時間がなく、巣を潰すことも、を手配することもできなかった。なので、緊急処置として乗ってきた白龍に番をさせているような状態だ。
 巣についての対処は、急を要する事柄が片付いてからにしようと、ティオは考えていた。そしてそれを、この場で長々と説明する気はなかった。


「はい? ? え? 行く? どこに??」
 一人の貴族が、ティオへの疑問を口にする。
 同様の疑問はこの場にいる誰もが持っていた。だが、それを言葉にできるほど、思考回路が復活している者は少ない。

「さっさと、あの土嚢どのうをどかすのよ!」
 しかし、我が道を行くティオはそれを聞き流した! のみならず、その辺にいた男性らに気安い口調で、バリケードに使われている土嚢の撤去を命じる!
「お、おう……おおう?」
 に落ちないまま、ひとまず言われた通りに男達は動いた。しかし、戸惑いながら動いているためか、その動きは遅い。

「……私がやると、この辺の店とか全部消えるけど、いいのねッ?!」
「わーっ! 待ってくれ!」
「やるからやるから!」

 しびれを切らしたティオの一喝が入る!
 男達は一気に正気を取り戻し、ひとまず、目の前の作業に没頭するのだった。

「さっさとに行かないと、わよ! さぁアンタ達、ちゃちゃっと気張ってやるのよ!」

 ティオのその発言に、残りのメンツも我に返った。
 そして、この場から引きずられて行った、『命の恩人』のことを思い出し、慌てた。第二連隊の命が、風前の灯火ともしびだと、人々は考えていたから。

 しかし、ティオはそうは考えていなかった。
 何しろ、彼等を救うために立ち上がった者がいることを、知っているから。
 彼がし損じることなどありえないと、信じているから。なので、願うことはただ一つ。

 ――エミールの雄姿を見逃してなるものか……ッ!


 ファイエル領の時も、その後の近隣領地の掃討作業中も、ティオはエミールの雄姿を直接は見ていないのだ。
 いつも、どこかの誰かからの大絶賛を聞かされるのみ。なので、ティオは大量の下心を胸に、処刑場へと急いでいるのだった。







 ◇


 ――同時刻、王都・メインストリート。

 処刑場は城内にはない。
 城・北側の谷の下。城と王都をつなぐ街のメインストリート中程には、礼拝堂がある。その裏に、処刑場はあった。

 処刑法は銃殺。処刑人は街を背に、谷に向かって撃ち、全てが終わる。
 衆人環視の中、第二連隊は罪人としてメインストリートを引きずられ、刑場へと連れて行かれる。

 ブリクサ・グラーフは得意気に先頭を歩いていた。
 人々からそそがれる視線は、畏怖と崇拝であると、信じて疑わなかった。

「むごいことを……」
「なんであんなことを……」
「これからこの街はどうなるんだ……」
は今も魔獣に襲われてる最中なんだろ?」
「こんなことしてる場合か?」
「……この後、どうする気なんだ?」
「次は、俺たちを盾にする気か……?!」

 人々がささやく怒りと不信の言葉は、ブリクサ・グラーフの耳には届かない。

 しかしそんな中、中央を歩く国王陛下は、確かに戸惑いを覚えていた。ブリクサ・グラーフほど視野が狭くない彼は、国民の変化に気づいていた。あってはならない変化だった。

 ――いや、違う。気のせいだ。そんなはずがない。民が、我々を恐れ敬わぬどころか、憎み蔑んでさえいるなど!

 王家よりはるかに殺気に敏感である兵士には、民の殺意が分かりすぎるほどに分かっていた。しかし、今更できることなど何もない。

 王家が率いる兵士は今、二分されていた。
 自ら考えることを放棄したもの、そして、真の正義を己に問い続けているもの――。


 視覚と手足の自由を奪われた、十二人の第二連隊メンバーが処刑場へ到着した。その場にひざまずくよう、引導を渡される。
 その様を見て、ブリクサは満足気に醜悪な笑みを浮かべた。

「見ろ! これがボクの力だ!」
 集まった民衆へ声高に演説を始める。
「彼等は自らの職務を放棄し! 自らの安全だけを求め! 快楽をむさぼる憎むべき敵だ!」

 それはお前だろう――と、この場にいる多くの者が心の中で思った。民も、兵も。

「ボクは正義のために決断を下そう! この国を守るためだ! 女に現を抜かし、国の安全を脅かした兄に成り代わり、ボクが不要な人材を始末してやるさ!」

 不要な人材はお前だ――誰もが思ったが、誰もが口に出せない。なぜ、こんなことになってしまったのか。ほんの一年前までは、いつも通りの日常だったのに。

「銃を構えろ! 国家の敵を排除する!!!」
 ブリクサの命令に従い、兵士が第二連隊へ銃口を向けた――――のは、一部の兵士のみだった。

「おい? 何をしている?」
 ブリクサがほうけた声を上げる。

「いやだ……もういやだ……」
 一人の兵がそう呟くと、それにつられたように次々と兵士が銃を取り落とす。
「こんなの……俺たちの仕事じゃない!!!」
「なんだこれは! 処刑ごっこか!」
「俺たちはおもちゃじゃない!」

「ふざけるな貴様等! おい! 反乱分子はまとめて皆殺しにしろ!」
 怒りに顔を紅潮させ、谷を背に、兵に向かってブリクサが怒鳴り散らす。

 ――だが誰も、その命令に従わない。

 はじめ、ブリクサはそれを、己に対する反乱の意思だと思っていた。
 しかし、違う。誰も彼も、ブリクサを見てすらいない。しかも、その顔には非常に強い恐怖が浮かんでいるではないか。

「…………なん……だ?」
 嫌な予感を覚え、ブリクサは彼等の視線の先、己の背後を振り返った。

 第二連隊の背後、谷の下から、翼を持った魔獣が頭を出していた。

 一言で言って異様。
 この世界に、魔獣を見たことない人間など存在しない。動物や虫同様、どこにでも現れる存在だった。だからこそ、誰もがそれを危険な存在と認識できていた。

 目の前に現れたそれは、桁外れの不気味な獰猛どうもうさを秘めていた。
 これは『魔獣』なのかと疑ってしまうほど。

 全長三メートル以上。身体を覆ううろこは、黒にも緑にも見える。その全ては水気を帯び、たった今、谷の底から現れたかのようだ。
 一見すると、二足歩行する人型魔獣のようにも見える。


「う……うわあああっ!!!」
 ブリクサが悲鳴を上げて腰を抜かす。
「う、撃てッ! 殺せッ!!! いや、ボクを守れ! さっさとしろ!!!」
 ブリクサの命で我に返ったのか、全ての兵が現れた魔獣に対し、銃口を向ける!
 殺気が伝わったのか、照準を定めるより早く、魔獣は高く飛び上がる。
 素早い動きに、兵士は照準を合わせることができない!

 一撃も浴びせることができないまま、魔獣は滑空し、処刑場へ降下する。

「うわああああっ!!!」
 腰を抜かしたブリクサが悲鳴を上げる!



 ――その瞬間、一発の銃声と共に、魔獣の翼がはじけ飛んだ。
 続いてもう一発が、反対側の翼を消し飛ばす。弾道は光を帯び、狙撃手の姿をあらわにした。
 礼拝堂の屋根に静かにたたずむ、エミール・ヴェルナー・バイアーの姿が、そこにあった。

 魔獣は悲鳴のようなうめきを上げ、ヨロヨロと処刑場に降り立つ。
 エミールはそれを見逃さない。礼拝堂の柱や装飾を巧みに利用し、素早く地面へ降りる。魔獣が体勢を整える前に、手にしていた剣で真っ二つに切り裂いた。
 敵は砂のように乾燥した粒状になったかと思うと、最終的には霧のようにかき消えて、後には




「き、貴様……ッ!」
 ブリクサが憎々しげに、エミールを見上げる。
 エミールは、周囲に他に敵が残っていないか、周囲を警戒していた。安全を確認すると、ブリクサの声に彼を振り返る。
 無様にも、腰を抜かし地面に転がっている殿を――。


「おおおおおおっ!!!」――広場に歓喜の声が響き渡る。
「……エミール殿下!!」
「エミール殿下バンザイ!」
 声を上げたのは民衆と一部の兵士達だ。この場を、圧倒的な熱量が占める。国王陣営の者達が、軽く恐怖を覚えるほどの熱量が。

「だまれ……だまれぇ!!!」
 ブリクサが怒鳴るが、それでも、歓声は鳴りやまない。

「エミール殿下ッ!」
 一人の兵士がエミールに声をかけ、第二連隊へと視線を送る。その視線の意思を読み取り、エミールは力強くうなずいた。

「第二連隊を解放しろ!」
 そう命じたのは、エミールに視線を投げかけた兵だった。
「おお!」
 行動に移ったのは兵士だけではなかった。一部の民も参加し、第二連隊は次々と解放されていく。

「やめろ! やめろ貴様等! ボクを……ボクを誰だと思ってるんだ!!! そいつはもう王族じゃない! ただのゴミだ!」
 己の部下に支えられながら立ち上がり、興奮するブリクサに、エミールは冷静に返した。

「俺はただの平民だ。そして、平民は――ゴミではない。お前はそんなことも忘れてしまったのか、ブリクサ・グラーフ」
「だまれ……だまれだまれだまれ! お前のせいだ! 全部全部、お前のせいじゃないか! お前が――」
 ブリクサの言葉に、エミールはそれ以上返事をしなかった。
 話の主題がないからだ。彼の言葉には、論ずるべき信念がない。



 エミールは無表情で、ブリクサを見ていた。
 一切の意思を感じない表情に、ブリクサの背中を嫌な汗が伝う。生まれてこの方、ブリクサはこのような表情を向けられたことがなかった。

「エミール殿下! ……この度は、本当に多大なるご迷惑をおかけし――!」
 解放された第二連隊長が、エミールに涙ながらに感謝の意を伝える。一人だけではない。誰も彼もが、ブリクサの下を離れエミールの下へと集う。

「何……してる……お前らッ! 戻れ……戻れ戻れ戻れ! お前らはボクの部下だろう! そいつを……そのゴミを殺せ! 殺せよ! 何してるんだ! なんでボクの命令を聞かない! 聞けよ! ボクが王太子なんだぞ! ボクが、ボクが……!」

 ブリクサは無様にわめき続ける。しかし、人々はそんなブリクサを視界に入れない。自分達がブリクサに投げかける視線がどのようなものになるのか、分かりきっていたから。

 王族へ、不敬とも言えるその視線を向けるには、覚悟が必要だった。
 いつまでもわめき続ける王族であるブリクサに、への敷居が、徐々に下がる。自分達を脅し、虐げ、奪い、謀ってきたヤツは、のものだった。

 ――『コ・ン・ナ・ヤ・ツ・ラ・ノ・タ・メ・ニ――――――』

 人々の、鬱屈とした暗くよどんだ負の感情をはらんだ視線が、ブリクサ・グラーフ、そして国王へ絡みつく。
 自分達を守るべき兵までもが、同じ視線で自分達を見ている。憎むべき相手が、取るに足らない存在だとばれてしまった時――自分達に訪れる最期を、国王は嫌というほど分かっていた。
 ブリクサはともかく、現国王はそれを嫌というほど叩き込まれていたのだ。

「待て……待て、待て! エミール……エミール! 何とかしろ! お前を王太子に戻してやる! この場を収めるのだ!!」
「父上?!」
 恥も外聞もなく、国王は叫び声を上げた。それに驚いたのはブリクサだ。
 父のこのような醜態を、ブリクサは阻止しようとわめくが、国王は意に介さない。どちらも自分を守るためだけに、お互いの動きを阻止しようとあがくだけ。

 その全てを、誰もが見ていた。
 いつの間にか、礼拝堂から姿を現していた教会上層部の面々も。


「――静粛に!」
 聖職者の一人が張り上げる。その声は、この場にいる誰よりもりんとしていた。そしてその声は、この場に静寂を呼び込んだ。
 神に仕えるもの――彼等が放つ気は独特なものだった。今や何者でもなくなってしまった王族などとは、比ぶべくもない。

「なぜ、貴殿がこのような場所に……!」
 彼等の姿に気づくと、国王の顔から血の気が引く。
 相手は、教皇に次ぐ教会第二位の地位にいる男。
 ローブを見ればすぐに分かる。だというのに、ブリクサには分からなかった。教会に関する教育も、ブリクサは受けていた。出来の悪いブリクサが全てを習得できなかっただけの話だ。
 ブリクサは反抗的な目を男に向けた。相手を詰問しようとしたブリクサだが、それより早く。

「教皇より沙汰を告げる。――レイオニング王国・国王、及び王太子ブリクサ・グラーフ。お前達を破門とする」
 無表情に近い男の口から、言葉が漏れた。
「お、お待ち下さい!」
 国王は男に追いすがる。
 ブリクサにはその意味が理解できていない。ただ、異常事態が起きていることだけは、分かった。漠然とした不安が足下から込み上げる。


 教会は第三者機関であるが、この世界で最も巨大な権力を有している。
 それは、各国の情勢を正確に把握し、都度、最適と思われる対処を行ってきたからに他ならない。無尽蔵に湧いて出る、不死の軍団がいるわけではないのだから。

 レイオニング王国が災厄を放置し、それが原因で内戦や戦争が始まってしまえば、教会もノーダメージではいられない。
 情報操作により、その懸念は完全に隠されてはいるが。

 故に、教会はこの愚鈍なる王を見過ごすことはできないのだ。
 世界の頂点に君臨する、『正義の盾』としてのを守るためにも――。


「――して、エミール・ヴェルナー・バイアー。教皇は貴殿の復権を認めた。貴殿がこの地を治めるのであれば、『女神の神秘』は維持されるであろうが、これ如何に」

 教皇の代弁者でもある男はそう言った。
 エミールに恭しく頭を垂れながら――。


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