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殿下の提案①
しおりを挟む「座って」
目で促され、私はテーブルを挟んで殿下の前に座った。
顔を上げた途端、白いシャツの合間から覗く隆起した筋肉が目に入り、咄嗟に顔の向きを逸らした。
なんだかいけない事をしたような気分だったのだ。
そんな私の様子に気づいたのか、それともそうでないのかわからないが、殿下はふっと笑いを漏らした。
「そなたも忙しいだろうに、急に呼び出してすまなかったな」
式典のあと、私の身辺がどのような状況になるのかは、ある程度予想していたのだろう。
「忙しいのは荷物の移動くらいですから、大丈夫です」
「荷物の移動?ああそうか、ご機嫌取りに貴族たちから色々送り付けられたか……だがしかし、それをそなたが運ぶのか?」
「はい。ヴィタエ修道院で男手というと、ご高齢の院長先生くらいしかおりませんし、シスターの日課を邪魔するわけにもいきません。なので、子どもたちに手伝って貰ってなんとか──」
そこまで聞いて、堪えきれないとばかりに殿下は笑い出した。
「そなた、本当に面白いな。男手なら、エルベ侯爵家から連れてきた御者や護衛だっているだろうに。彼らに手伝わせればいいのではないか?」
「彼らには彼らの仕事があります。それに、これは私のせいで招いた事ですから」
私のせいというか、元はと言えば叙勲を言い出した殿下のせいなのだが。
そう思うと、なんだか面白くない。
「そんな目で見るな。わかった。私の部下から何名か手伝いに行かせよう。元は私が蒔いた種だからな」
自覚があって良かった。
しかし、殿下の部下といえば、皇宮勤めの中でもエリート中のエリート。
そんな方々を荷物運びに使うのは抵抗がある。
それこそチコの言う通り、ルカスとエリックに手伝わせた方が──そこで、私は気になっていた事を思い出した。
「あの……弟たちが頻繁に稽古場へお伺いしているようなのですが、ご迷惑をおかけしてはいないでしょうか」
「ん?ああ、ルカスとエリックならもうすっかり団内の雰囲気に溶け込んでいる。団員の子らの面倒もよく見てくれているし、美味い差し入れもしてくれて、こちらも色々助かっているが……なんだその顔は」
「それ……本当なのですか?」
面倒を見られる側でなく、見る側だと?
あのふたりが?
「家族の前では幼くとも、外に出れば案外しっかりするものだ。団員は平民出身の者も大勢いる。ルカスとエリックは、同じく稽古場を訪れるその子らに、休憩時間になると簡単な読み書きや計算を教えているようだ」
「あの子たち、そんな事まで……」
「……そなたを見て育ったからだろう。修道院に通い、身寄りのない孤児たちに読み書きや計算を教えるそなたの活動を見て、自然と身体が動いたに違いない」
鼻の奥がツンとする。
ルカスもエリックも、私の前ではただただ無邪気な子どもなのに。
彼らなりにちゃんと成長しているのだ。
「騎士の皆さまの子どもたちも、稽古に参加されるのですか?」
「ああ。それぞれ家庭の事情もあったりでな……中には戦禍に巻き込まれ母を亡くし、父一人子一人という者もいる。だから自由に出入りさせているのだ。希望があれば稽古も参加できる。こちらとしても、未来の騎士を育成できるから一石二鳥だ」
なるほど……騎士団で面倒を見て、将来騎士として就職させる。
お互いにとって利益のある関係だ。
「さて、そろそろ本題に入るか」
殿下は手に持っていた書類をテーブルの上に置いた。
「ヴィタエ修道院の修繕と増設を行おうと考えている。修繕に関しては、単純にこの目で見て必要だと思ったからだ。随分年季の入った建物だったからな」
確かにヴィタエ修道院は歴史を感じさせる……と言えば聞こえはいいが、率直に言えば古いだけの建物だ。
これからも負傷兵や孤児を受け入れて行くというのなら、修繕は必要だろう。
「修繕は願ってもないお申し出ですが……その、増設する建物について私に任せたいとは、いったいどういう事なのでしょう」
「言葉の通りだ。リリティス、民のためにやってみたい、試してみたい事などないか?」
「やってみたいこと……?」
試してみたいことはないかと問われれば──ある。
ここに来る前、修道院で感じていた事だ。
殿下と話しているうちに、散らばっていた考えが、ひとつの線になっていくようだった。
私がやりたい事──それは、子どもたちが未来を夢見ることのできる環境に身を置く事。
教育だけでなく、実際に社会という場所を経験する機会を与えたい。
「殿下」
「うん?」
「私……子どもたちに学ぶ場所を用意してあげたいです」
「教育施設か。良いのではないか」
「ですが、座学だけでなく、社会についても実際に見て聞いて学んで欲しいのです」
「というと?」
「ルカスとエリック、そして団員の子どもたちのように、新しい施設に所属するであろう孤児たちにも、騎士団への見学を許可していただけませんか?もちろんご迷惑になるほど大勢で押しかけたりはいたしません。世の中には色んな道があるのだという事を、その目で見て知って欲しくて」
そしてさらに欲を言えば、皇宮内の見学なども許してもらえれば最高だ。
宮内に勤める文官には、平民からの登用だってある。
なにも騎士や文官を目指せ、というわけではない。
「身分や出自で人生決まったりはしない……道のりは厳しいけれど、そういう世界が現実にある事を知って欲しい。たくさんの夢を見て欲しい。そう思うのです」
「子どもたちはそなたが連れてくるのか?」
「え?ええ、そうですね。引率は必要かと思いますが……」
「いいよ」
「え?」
「そなたが責任持って子どもたちを稽古場まで連れてくるのなら、許可しよう」
「本当ですか!?」
「ああ」
こんなにあっさりと許可が出るなんて思ってもみなかった。
(でも、何で私が連れて来る事が条件なのかしら……)
けれどそれよりも驚いたのは、殿下の言い方だ。
『いいよ』
いつもの棘を含んだ物言いじゃない。
そして、私に向けられた笑顔は優しくて、柔らかい。
細められた深紅の瞳の奥からは、親しみのようなものすら感じ取れた。
年相応の……皇太子じゃなく、ただの男の人と喋っているような、不思議な感覚。
何でだろう。
理由はわからないが、胸が騒いで落ちつかない。
「これから色々と話しを詰めていかなければならないが、基本的にはそなたがやりたいようにすればいい。費用の面は気にするな」
「そ、そうは参りません!」
気にするなと言われても、それは無理な相談だ。
初めての試み、しかもその資金を国庫から支出するとなると、慎重すぎるくらいにやらなければ、また周囲がうるさく騒ぐだろう。
「心配するな。費用は私の私財から出す」
「殿下がお支払いになるのですか?ですが──」
「心配するな。十三から戦場に出た私がこれまでに受け取ったものは、勲章だけだと思うのか?報奨金の額も、合わせればかなりのものだ。今回はそれを使う。だから、誰にも文句は言わせない」
確かにそれであれば、文句を言う人間はいないだろう。
けれど、本当にいいのだろうか。
うまくいくのかもわからないのに。
「本来なら、弱者の救済は国家がやらねばならない仕事だ。しかしどの国も予算や人手の問題があり、なかなか万全にはいかない。だからといって、決して我々はその問題を軽視しているわけではないのだ。リリティス。ヴィタエ修道院でのお前の働きは、弱者救済のあるべき姿だと私は思う。だが、人の善意に甘えているだけでは、いずれどちらも潰れてしまう」
「はい」
「だから、私と一緒に考えてはくれないか。帝国に住まうすべての民のために」
「殿下と一緒に……」
うまくいけば、同様の施設をまずは帝都から、そして徐々に各地域へと広げていくつもりだと殿下は言う。
「……国庫からの支援に頼りきりだと、きっとうまくはいかないでしょうね」
ヴィタエ修道院は、今現在もぎりぎりの運営状態だし、それはどこも似たりよったりだろう。
自身の利益最優先の貴族たちは、生産性のないものに大金をつぎ込む事をよしとしない。
それが国庫からとなれば尚更だ。
「自分たちで運営できるような仕組みを整えなければなりませんね……でもどうやって」
「まだ時間はある。ゆっくり考えていけばいい。そなたには私がついている」
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