もう二度と、愛さない

蜜迦

文字の大きさ
上 下
72 / 89

姉弟の一日③

しおりを挟む




 (アンリ様って意外とやり手なのかも)
 本人にその自覚があるのかはわからないが、女性がときめかずにはいられない台詞を突然、しかもごく自然に会話の中に織り込んでくる。

 「時間が早すぎるようでしたら、お茶でも飲んでから出発しましょうか?」

 「いえ、問題ありません。行きましょう」

 腕を差し出され、なんともむず痒い気持ちになる。
 前回、庭を散策した時もそうだが、どうやら私は男性からの自主的なエスコートに慣れていない……というか、経験不足だ。
 前世の話。
 婚約者時代のレティエ殿下のエスコートは、義務感丸出しで、情緒もなにもあったもんじゃなかった。
 そこに気持ちがないとわかっていても、無邪気に喜んでいた自分のなんと惨めなことか。
 婚約者としての公務に参加する時以外、公の場では、父がエスコート役を買って出てくれていた。
 だから、義務ではなく、血の繋がりもない間柄の男性が、自分のためだけを想って差し出してくれる手を取るのは、アンリ様が初めてかもしれない。
 私だけを待つ腕にそっと手を添えると、アンリ様はあの日と同じく眉を下げてはにかんだ。
 侯爵邸を出てから少しして、いつもより馬車の速度が遅いことに気付く。

 「どうしたのかしら」

 車体の調子が悪いのか、それとも道の状態が悪いのかと気をもむ私に、耐え切れずアンリ様が白状した。

 「実は……早く出てきた分、リリティス様とお話できるように、御者にはいつもよりゆっくり進んでくれと頼みました」

 「まあ、それならやっぱり我が家でお茶をお出しすればよかったわ」

 「いえ、違うんです。その……ふたりきりでゆっくり話したかったんです。前回、誰にも邪魔されずに庭で過ごしたように。あの日のことが忘れられなくて……今日までずっと、リリティス様のことで頭がいっぱいでした」

 澄んだ瞳で真っすぐに見つめられ、全身の血が逆流したようだった。
 きっと今の私は、顔だけではなく、胸元まで真っ赤に染まっているはず。
 けれど砂糖菓子のような甘い台詞を口にした本人も、今頃になって顔を赤く染め始めた。

 「ふふっ」

 なんだか急に笑いが込み上げてきて、いけないとは思いつつも笑い声を漏らしてしまった私に、つられるようにしてアンリ様も笑う。

 「ふふっ。男らしく口説きたいと思ってもこれだ。こういうところが駄目なんですよね、私は」

 「そんなことありません。少なくとも私は、アンリ様のそういうところをその……とても好ましいと思います」 

 「好ま……え、あっあの、好ましい……」

 たどたどしいことこの上ない対応に、私はまた笑ってしまった。


 ガーデンパーティが開かれるセール伯爵家は、以前より当主夫妻が貧民・孤児救済事業に積極的に参加されていて、もちろん私も面識があった。
 夫妻には息子がふたりいて、アンリ様はご長男のエタン様と懇意にされているのだそう。

 「弟はなかなか気難しいのですが、エタンはいい奴です。両親の救済事業にも関心があり、きっとリリティス様とも気が合うのではないかと」

 「それはお会いするのが楽しみですわ」

 私の修道院での活動は、あまり公にしていないのだが、救済事業に携わっている関係で、セール伯爵夫妻はご存知でいらっしゃる。
 アンリ様は今後のことも考えて、私のためになる訪問先を選んでくれたのだろう。
 馬車は街道から外れ、並木道へと進んでいく。
 
 「あれがセール伯爵邸です」

 アンリ様が小窓の外を指差した。
 見るとそこには緑多い景観に映える白亜の邸宅が。
 門をくぐり、邸宅の正面で馬車を降りると、会場の入口で招待客を出迎える青年の姿が見えた。

 「アンリ!よく来たな」

 青年は、アンリ様を見るなり声を上げ、笑顔で大きく手を振った。

 「あれがエタンです」

 いかにも“男友だち”といった風な歓迎の仕方が恥ずかしかったのか、アンリ様は若干しかめっ面をしている。

 「とても朗らかな方のようですね」

 「子どもの頃から成長してないんです」

 あえて柔らかな言葉を選んだつもりだったが、友人であるはずのアンリ様からは身も蓋もない答えが返ってきた。
 
 「やあ、心の友よ。そしてエルベ侯爵令嬢。ようこそ、我がセール伯爵邸へお越しくださいました。心より歓迎申し上げます」

 恭しく礼を取るエタン様に、アンリ様が胡乱な目を向けている。
 ──こんな挨拶ができる男だとは知りませんでした
 そう耳打ちされ、思わず笑ってしまう。
 私たちの姿を見たエタン様は、驚いたように目を見開いた。

 「セール伯爵令息、こちらこそ。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 アンリ様の耳打ちのお陰で、自然な笑顔で挨拶できた。
 しかし、エタン様の様子がなんだかおかしい。
 気のせいだと思いたいのだが、鼻がふくふくと膨らみ、瞳は潤んでいないか。なぜだ。

 「エルベ侯爵令嬢……いや、リリティス様。アンリはいい男です。大正解、大正解です!!」

 「は、はい!……はい?」

 エタン様の言わんとしていることがいまいちよくわからないまま、つられるように返事をしてしまった。
 (どうしよう)
 困ったように振り返ると、目に映ったのは眉を下げて笑うアンリ様と──

 「本日はご招待いただきありがとうございます」

 久し振りに聞く声が、私の身体を凍らせる。

 「ああ、デヴォン伯爵令嬢!ようこそいらっしゃいました」

 彼女の名を呼ぶエタン様の声が、まるで死刑判決のように聞こえた。
 

 

 
 

 



    
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【片思いの5年間】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。

五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」 婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。 愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー? それって最高じゃないですか。 ずっとそう思っていた私が、王子様に溺愛されるまでの物語。 この作品は 「婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。」のスピンオフ作品となっています。 どちらの作品から読んでも楽しめるようになっています。気になる方は是非上記の作品も手にとってみてください。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

【本編完結】独りよがりの初恋でした

須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。  それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。 アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。 #ほろ苦い初恋 #それぞれにハッピーエンド 特にざまぁなどはありません。 小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。

妹と婚約者の逢瀬を見てから一週間経ちました

編端みどり
恋愛
男爵令嬢のエリザベスは、1週間後に結婚する。 結婚前の最後の婚約者との語らいは、あまりうまくいかなかった。不安を抱えつつも、なんとかうまくやろうと婚約者に贈り物をしようとしたエリザベスが見たのは、廊下で口付をする婚約者と妹だった。 妹は両親に甘やかされ、なんでも姉のものを奪いたがる。婚約者も、妹に甘い言葉を囁いていた。 あんな男と結婚するものか! 散々泣いて、なんとか結婚を回避しようとするエリザベスに、弟、婚約者の母、友人は味方した。 そして、エリザベスを愛する男はチャンスをものにしようと動き出した。

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

旦那様はとても一途です。

りつ
恋愛
 私ではなくて、他のご令嬢にね。 ※「小説家になろう」にも掲載しています

処理中です...