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姉弟の一日③
しおりを挟む(アンリ様って意外とやり手なのかも)
本人にその自覚があるのかはわからないが、女性がときめかずにはいられない台詞を突然、しかもごく自然に会話の中に織り込んでくる。
「時間が早すぎるようでしたら、お茶でも飲んでから出発しましょうか?」
「いえ、問題ありません。行きましょう」
腕を差し出され、なんともむず痒い気持ちになる。
前回、庭を散策した時もそうだが、どうやら私は男性からの自主的なエスコートに慣れていない……というか、経験不足だ。
前世の話。
婚約者時代のレティエ殿下のエスコートは、義務感丸出しで、情緒もなにもあったもんじゃなかった。
そこに気持ちがないとわかっていても、無邪気に喜んでいた自分のなんと惨めなことか。
婚約者としての公務に参加する時以外、公の場では、父がエスコート役を買って出てくれていた。
だから、義務ではなく、血の繋がりもない間柄の男性が、自分のためだけを想って差し出してくれる手を取るのは、アンリ様が初めてかもしれない。
私だけを待つ腕にそっと手を添えると、アンリ様はあの日と同じく眉を下げてはにかんだ。
侯爵邸を出てから少しして、いつもより馬車の速度が遅いことに気付く。
「どうしたのかしら」
車体の調子が悪いのか、それとも道の状態が悪いのかと気をもむ私に、耐え切れずアンリ様が白状した。
「実は……早く出てきた分、リリティス様とお話できるように、御者にはいつもよりゆっくり進んでくれと頼みました」
「まあ、それならやっぱり我が家でお茶をお出しすればよかったわ」
「いえ、違うんです。その……ふたりきりでゆっくり話したかったんです。前回、誰にも邪魔されずに庭で過ごしたように。あの日のことが忘れられなくて……今日までずっと、リリティス様のことで頭がいっぱいでした」
澄んだ瞳で真っすぐに見つめられ、全身の血が逆流したようだった。
きっと今の私は、顔だけではなく、胸元まで真っ赤に染まっているはず。
けれど砂糖菓子のような甘い台詞を口にした本人も、今頃になって顔を赤く染め始めた。
「ふふっ」
なんだか急に笑いが込み上げてきて、いけないとは思いつつも笑い声を漏らしてしまった私に、つられるようにしてアンリ様も笑う。
「ふふっ。男らしく口説きたいと思ってもこれだ。こういうところが駄目なんですよね、私は」
「そんなことありません。少なくとも私は、アンリ様のそういうところをその……とても好ましいと思います」
「好ま……え、あっあの、好ましい……」
たどたどしいことこの上ない対応に、私はまた笑ってしまった。
ガーデンパーティが開かれるセール伯爵家は、以前より当主夫妻が貧民・孤児救済事業に積極的に参加されていて、もちろん私も面識があった。
夫妻には息子がふたりいて、アンリ様はご長男のエタン様と懇意にされているのだそう。
「弟はなかなか気難しいのですが、エタンはいい奴です。両親の救済事業にも関心があり、きっとリリティス様とも気が合うのではないかと」
「それはお会いするのが楽しみですわ」
私の修道院での活動は、あまり公にしていないのだが、救済事業に携わっている関係で、セール伯爵夫妻はご存知でいらっしゃる。
アンリ様は今後のことも考えて、私のためになる訪問先を選んでくれたのだろう。
馬車は街道から外れ、並木道へと進んでいく。
「あれがセール伯爵邸です」
アンリ様が小窓の外を指差した。
見るとそこには緑多い景観に映える白亜の邸宅が。
門をくぐり、邸宅の正面で馬車を降りると、会場の入口で招待客を出迎える青年の姿が見えた。
「アンリ!よく来たな」
青年は、アンリ様を見るなり声を上げ、笑顔で大きく手を振った。
「あれがエタンです」
いかにも“男友だち”といった風な歓迎の仕方が恥ずかしかったのか、アンリ様は若干しかめっ面をしている。
「とても朗らかな方のようですね」
「子どもの頃から成長してないんです」
あえて柔らかな言葉を選んだつもりだったが、友人であるはずのアンリ様からは身も蓋もない答えが返ってきた。
「やあ、心の友よ。そしてエルベ侯爵令嬢。ようこそ、我がセール伯爵邸へお越しくださいました。心より歓迎申し上げます」
恭しく礼を取るエタン様に、アンリ様が胡乱な目を向けている。
──こんな挨拶ができる男だとは知りませんでした
そう耳打ちされ、思わず笑ってしまう。
私たちの姿を見たエタン様は、驚いたように目を見開いた。
「セール伯爵令息、こちらこそ。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
アンリ様の耳打ちのお陰で、自然な笑顔で挨拶できた。
しかし、エタン様の様子がなんだかおかしい。
気のせいだと思いたいのだが、鼻がふくふくと膨らみ、瞳は潤んでいないか。なぜだ。
「エルベ侯爵令嬢……いや、リリティス様。アンリはいい男です。大正解、大正解です!!」
「は、はい!……はい?」
エタン様の言わんとしていることがいまいちよくわからないまま、つられるように返事をしてしまった。
(どうしよう)
困ったように振り返ると、目に映ったのは眉を下げて笑うアンリ様と──
「本日はご招待いただきありがとうございます」
久し振りに聞く声が、私の身体を凍らせる。
「ああ、デヴォン伯爵令嬢!ようこそいらっしゃいました」
彼女の名を呼ぶエタン様の声が、まるで死刑判決のように聞こえた。
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