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手当て
しおりを挟む言い終わると、殿下はテーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろし、窓の外に視線を向けた。
もしかしたら、姿の私を見ないよう気を遣ってくれているのかもしれない。
殿下なら、襲われたのが私でなくとも、同じように駆けつけていたに違いない。
皇太子という地位にありながら、危険極まりない戦場に身を置くくらいだ。
きっと、とても正義感の強い人なのだ。
そう思うと、クロエ嬢が薬を盛られたと知った時の激昂した姿も納得がいく。
「失礼いたします」
入り口の扉が静かに開かれ、カートを押したメイドが恭しく礼をしてから入室する。
カートには、先ほど殿下が頼んだ洗面用具が載せられていた。
「そこに置いてくれ」
殿下は目で私の直ぐ側を指す。
用意されていたのは水が張られたボウルに拭き布が数枚。
おそらく砂まみれの顔や手を洗えということなのだろう。
欲を言えば鏡が欲しいところだが、顔を拭くくらいなら無くても問題ない。
「あの……差し出がましいとは存じますが、お手伝いいたしましょうか?」
メイドは遠慮がちに申し出た。
「ありがとう。でもこのくらいなら自分でできるわ。急に押しかけただけでなく、余計な仕事を増やしてしまってごめんなさいね」
「わたくしどもは決して余計な仕事とは思っておりません。リリティス様は、アデールお嬢様の大切なご友人でいらっしゃいますから」
そう言って微笑んだあと「なにかあればすぐお申し付けください」と、メイドは再び頭を下げ、部屋を出て行った。
“大切なご友人”のひとことに、なんとも言えず温かな気持ちになる。
早速拭き布に手を伸ばすと、殿下が立ち上がった。
「貸せ」
「は?」
殿下は私が掴んだ布を素早く奪うとそれをボウルの中の水に浸し、緩めに絞る。
そして隣に座ると、私の頬にポンポンと押し当てるようにして動かしていった。
「あ、あの、殿下?」
「黙っていろ」
「ですが……!」
「あちこちに傷がある。鏡もなしに拭けば傷口に砂を塗り込むようなものだ」
確かにその通りかもしれないが、自分の肌に男性が触れるのは少なからず抵抗がある。
しかし、なおも言い募ろうとする私を殿下が睨みつけるため、結局なにも言えなくなってしまった。
お互い無言のまま、なんとも気まずい空気が流れる。
そして至近距離ということもあり、緊張で自然と身体に力が入ってしまう。
「すまなかったな」
「……え?」
「騎士たちの教育は徹底しているつもりだが……末端に行くほど、どうしてもああいう奴が増えてくる」
「それは……どうしようもないことです」
しかも私が襲われたのは戦場ではない。
いくら帝国の騎士とはいえ、私的な場面においてまで規律を守らせるのは、殿下の影響力をもってしても、個人に矜持がなければ難しい話だ。
「私の考えも甘かったのです。『騎士とはいえ、色んな人がいる』と、アンヌ……侍女からも散々言われていたのに」
神聖な場所、そしてかかわるのは負傷者だということで、油断しきっていた。
「確かにな……信用とは、本来長い時間をかけて築かれるものだ」
返す言葉もない。
「気にするな。そういう私も信じた相手によく裏切られる」
「えぇえ?」
「なんだその声は」
「いえあの、意外すぎて……っ、いたた!」
私の反応が癇に障ったのか、頬を拭く手から遠慮が消えた。
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