32 / 100
事態は動かない
しおりを挟むその日、私は父の前で【苦虫を噛み潰したような顔】という言葉を忠実に表現していたと思う。
「いや……お前の気持ちは痛いほどわかるのだが、陛下からは特になんの通達もない」
この展開は、どうやら切れ者の父でも予測できなかったらしい。
なぜだ。
舞踏会で、殿下に向かってはっきりと自分の意志を伝えたのにもかかわらず、二週間経っても皇宮からはなんの音沙汰もない。
あの夜、帰宅してすぐに父の元へ行き、我が身に起こったあれこれを包み隠さず話したところ、父は無言で天を仰いだ。
そして今後の展開について二人で出した結論は、おそらく近日中に婚約者候補辞退の申し出は受理されるであろう、だった。
(あそこまで言ったのだから、殿下も陛下もすぐに了承されると思ったのに……)
「やっぱり陛下が反対なさっているのかしら……?」
「それはまだわからない。だが、私もそれとなく探りを入れてみよう。リリティス、あまり思い詰めるな」
思い詰めるなと言われても、この婚約者候補辞退には私だけじゃない、エルベ侯爵家の命運がかかっているといっても過言ではないため、考えずにはいられない。
かといって、差し当たって私にできることはなにもなく──
「どうしたの、リリさん。手が止まってるよ」
「あ、ごめんなさい。ついぼうっとしてしまって」
結局来てしまった修道院。
今日はちっちゃい子組ではなく、お姉さんと呼ばれる年頃の子たちと一緒に繕い物をしていた。
籠いっぱいに積まれた洗濯済みのボロボロの衣服はすべて、ここに運ばれてきた騎士たちが身につけていたものだ。
あちこちが破れたり、穴が空いてしまっているため、端切れなどを足して縫い合わせるのだが、これがなかなかに技術を要する。
正直に言うと、私はあまり裁縫が得意ではない。
なので、物によってはだいぶ芸術的に仕上がるのだが、男気ある騎士の皆さんはそれを笑いながら受け取り、快く身につけてくれるからありがたい。
「リリさん、ここのところ忙しかったんでしょう。大丈夫?」
「ありがとう。でもちょっと集中が切れてしまったみたい。気分転換がてら、出来上がった物を届けてくるわね」
私は繕い終わった衣服が入った籠を手に、部屋を出た。
外は風が強く、緑豊かな木々を揺らしている。
私が来なかった間に患者の数もだいぶ減り、修道院には再び穏やかな時間が戻りつつあった。
「お嬢さん」
不意に呼び止められ、声のした方に顔を向ける。
するとそこには、私がお世話を担当していた男性が立っていた。
男性は修道院の子たちが繕った洋服を身につけ、僅かな手荷物を持っていた。
生えっぱなしだった無精髭は綺麗に剃られ、まるで別人のような面差しだ。
「まあ、もしかして……!」
「ええ、おかげさまですっかりよくなりまして……今日、帰宅の許可を貰えました」
「おめでとうございます。ご家族も喜びますね」
確か、妻と幼い子どもがいると言っていた。
「ええ、あの、その……」
「どうかなさいました?」
「実は……家に帰れる嬉しさから、浮かれて歩いていたところ、落とし物をしてしまいまして」
「なにを落とされたのです?」
「出征前、妻に貰ったお守りなんです。とても大事なもので……」
「まあ!それは大変。では、落とし物が届いていないか今すぐ聞いてきます」
踵を返そうとした私を男が慌てた様子で止める。
「いえ、たった今起こったことなので……すぐそこの林に転がっていったのは確かなんです。よかったら一緒に探していただけないでしょうか」
2,574
お気に入りに追加
5,221
あなたにおすすめの小説
【完結】探さないでください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。
貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。
あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。
冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。
複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。
無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。
風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。
だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。
今、私は幸せを感じている。
貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。
だから、、、
もう、、、
私を、、、
探さないでください。
好きだと言ってくれたのに私は可愛くないんだそうです【完結】
須木 水夏
恋愛
大好きな幼なじみ兼婚約者の伯爵令息、ロミオは、メアリーナではない人と恋をする。
メアリーナの初恋は、叶うこと無く終わってしまった。傷ついたメアリーナはロメオとの婚約を解消し距離を置くが、彼の事で心に傷を負い忘れられずにいた。どうにかして彼を忘れる為にメアが頼ったのは、友人達に誘われた夜会。最初は遊びでも良いのじゃないの、と焚き付けられて。
(そうね、新しい恋を見つけましょう。その方が手っ取り早いわ。)
※ご都合主義です。変な法律出てきます。ふわっとしてます。
※ヒーローは変わってます。
※主人公は無意識でざまぁする系です。
※誤字脱字すみません。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
私の愛する人は、私ではない人を愛しています
ハナミズキ
恋愛
代々王宮医師を輩出しているオルディアン伯爵家の双子の妹として生まれたヴィオラ。
物心ついた頃から病弱の双子の兄を溺愛する母に冷遇されていた。王族の専属侍医である父は王宮に常駐し、領地の邸には不在がちなため、誰も夫人によるヴィオラへの仕打ちを諫められる者はいなかった。
母に拒絶され続け、冷たい日々の中でヴィオラを支えたのは幼き頃の初恋の相手であり、婚約者であるフォルスター侯爵家嫡男ルカディオとの約束だった。
『俺が騎士になったらすぐにヴィオを迎えに行くから待っていて。ヴィオの事は俺が一生守るから』
だが、その約束は守られる事はなかった。
15歳の時、愛するルカディオと再会したヴィオラは残酷な現実を知り、心が壊れていく。
そんなヴィオラに、1人の青年が近づき、やがて国を巻き込む運命が廻り出す。
『約束する。お前の心も身体も、俺が守るから。だからもう頑張らなくていい』
それは誰の声だったか。
でもヴィオラの壊れた心にその声は届かない。
もうヴィオラは約束なんてしない。
信じたって最後には裏切られるのだ。
だってこれは既に決まっているシナリオだから。
そう。『悪役令嬢』の私は、破滅する為だけに生まれてきた、ただの当て馬なのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる