もう二度と、愛さない

蜜迦

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レティエ

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 「殿下……まさかとは思いますが……エルベ侯爵令嬢に余計なことをおっしゃってはいませんよね」

 群がる女たちを振り払って大広間を出ると、胡乱な視線を向ける側近が待っていた。
 面倒くさいから知らん顔で通り過ぎると、さらに面倒なことになった。

 「あれほどやめてくださいと申し上げていましたのに!」

 「別になにもしていない。お前が世話になった礼を言っただけだ」

 「殿下がそんな殊勝なことなさるわけがありません!」

 同じ年頃の娘がいるせいか、ただでさえ口うるさいこの側近──アベルの額には珍しく血管が浮かび上がっていた。

 「少しからかっただけだ。そんなに興奮すると、せっかく閉じた傷口がまた開くぞ」

 アベルを運び込んだ修道院で出会った妙な髪型の女。
 分厚い前髪で瞳はよく見えなかったが、鼻から下……特に鼻の形がどこかで見たことがある気がした。
 その時はわからなかったが、それが誰に似ているのか気づいたのは少しあとのこと。
 アベルの傷は深く、どうにも落ちつかなくて翌日も修道院を訪れると、思いがけずその女の世話になることになった。
 先を歩く女の姿勢は淑女そのもの。
 話しかけると返ってくる言葉も平民のそれじゃない。
 だがとにかく髪型がおかしすぎる。
 その一点が私の頭を悩ませた。
 没落貴族かなにかだろうか。
 考えを巡らせる私に、この女に対する決定的な疑問を抱かせたのは、突如現れた修道院の子どもたちだ。
 子どもたちは私を見て瞳を輝かせ、女から“カスティーリャの銀獅子”の話を聞いたと教えてくれた。
 自分が大衆娯楽のネタになっていることは知っているが、あまり気持ちのいいものではない。
 やれ戦争に勝っただの、見事敵を退けただのとお祭り騒ぎの奴らは、生身の私に目を向けるどころか興味すらない。
 私がなにを憂え苦しむのかなんて、彼らにとってはつまらないことなのだ。
 女から聞いたという“カスティーリャの銀獅子”についても、どうせ誇張された英雄の話なのだろうと思っていたら、子どもの口から語られたのは、予想もしない内容だった。

 ──レティエ殿下が初めて剣を握ったのは三歳の時だって!小さな剣でも三歳にはとても重いのに、両手でしっかりと持って剣を振ったって!

 ──わたしも聞いたわ!レティエ殿下はとっても努力家で、雨の日も風の日も……例え嵐がきたって毎日鍛錬を欠かさなかったって!

 私が三歳で剣を持ったのは確かだし、嵐の中で鍛錬したのは半ば意地になる理由があったからだが、そんなことはごく近しい者しか知らない話だ。
 それなのに、詳細を知っているこの女はいったい何者だ。
 どうにも気になって、女の素性を調べさせるとエルベ侯爵家に繋がった。
 エルベ侯爵は父上が最も信頼する臣下のひとり。
 なるほど、エルベ侯爵なら私の幼い頃の話を知っているのも頷ける。
 おまけにあの鼻。
 女の顔…瞳は前髪に隠れてよくわからなかったが、鼻を最初に見た時感じた既視感は間違っていなかった。
 エルベ侯爵の整った美しい鼻梁にそっくりだ。
 だが、エルベ侯爵家の娘は先日婚約者候補の辞退を申し出たはず。
 
 『リリティス様は寝ても覚めても殿下のことで頭がいっぱいなのですよ。あまり思いつめてもお可哀想だから、どうか気にかけてあげてくださいね』

 いつだったかハトコから聞いた話が頭を過る。
 秋波を送ってくる女たちを鬱陶しく思う私に、いつも同情の意を示していたアデールから聞いた珍しい言葉。
 だが夢中だと言う割には婚約者候補の辞退を申し出るし、かと思えば私が指揮を執った戦場で出た負傷者の手当てをしている。
 婚約者候補を辞退するくらいだ。
 普通なら私とのかかわりを完全に排除するだろうに。
 おまけにエルベ侯爵はアベルのことを知っている。
 なら、あの女はなにか下心があってアベルを献身的に看護しているのだろうか。
 皇宮に戻ってきたアベルは開口一番、騎士たちに対する女の献身を褒め称えた。
 あのアベルに『素晴らしいご令嬢です』とまで言わせるなんてよほどだ。
 これまでにも私の気を引こうとして、愚行の数々に及ぶ女は大勢見てきたが、彼女はそのどれとも違う。
 子どもたちに私の話を語って聞かせるくらいなにかしらの想いを抱いていたのに、なぜ婚約者候補の辞退を?
 わけがわからない。
 だから近づいて見ようと思った。
 思ったのだが──

 「殿下の捻じ曲がりすぎたご性格は、通訳を介さないことには触れる者を皆傷つけます」

 「そういうお前も相当だぞ」

 「いったいどうなさるおつもりなのです」

 「……まずは、我が騎士たちへの献身に、正式な形で感謝を」

 「ですがご令嬢は、ご自身の活動が公になることを望まれないかもしれません」

 「ふむ……さて、どうしたものかな」







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