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カスティーリャの銀獅子
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考えるより先に、足が動いていた。
水の入った桶を置き去りにして、私は足早にその場から移動する。
胸の鼓動がばくばくと、痛いほどに打ちつける。
「あの……すみません……」
通りすがりざま、寝ている患者から声をかけられる。
「水を……お願いできますか……」
腕を負傷した患者が、隣に置かれた吸い飲みと私の顔を申し訳無さそうに交互に見た。
「は、はい。大丈夫ですよ」
私はレティエ殿下たちに背を向けるようにして、患者の口角に吸い飲みの先を差し入れた。
心臓はまだうるさく音を立て、注意していないと吸い飲みを落としてしまいそうだった。
後ろから、殿下と医師のやり取りが聞こえてくる。
男をここに運んできた時とは違う、穏やかな口調だ。
息をしている彼を見て、まだ安心とは言えないまでも、ほっとしているのだろう。
後ろを盗み見ると、殿下と医師が話す横で、数名の騎士が鼻をすすっている。
殿下と一緒に入ってきた者たちだが……おそらく運び込まれた男の部下なのだろう。
呼吸するために、患者が吸い飲みから口を外した。
「もう少し、お飲みになりますか?」
「いえ、もう十分です。ありがとう」
口元に残る水滴を拭いてやったあと、今度こそここから離れようと静かに立ち上がる。
「リリさん、今日はもう帰られますか?」
(最悪)
声の主は医師だった。
振り向きざま、手早く前髪を引き伸ばし、三角巾を深くかぶる。
「はい。今日はこれで失礼させていただきます」
「それはよかった。では殿下を院長室へご案内していただけますか?ちょうど方向が同じなので」
周囲の視線が自分に集中している。
注目されることには慣れているはずなのに、冷や汗がじっとりと肌に滲む。
拒否することなどできるわけがない。
「わかりました」
怪しまれないように、小さく返事をするのがやっとだった。
*
「こちらです」
俯きながら、院長室へ向かって歩き出す。
一刻も早く解放されたい、その一心だった。
「リリちゃん!」
「姉さま!」
すっかり打ち解けた様子の子どもたちが、楽しそうに声を上げながら走ってきた。
「リリちゃん、この人だぁれ?」
チコと同じくエリックも、大きな目をまん丸にして、興味深く殿下を見ている。
「この方は……帝国の若き太陽、レティエ殿下よ」
「レティエ殿下!?リリちゃんがいつも話してくれたあのレティエ殿下!?」
私から“カスティーリャの銀獅子”の話を聞いていた子どもたちが、一斉に声を上げた。
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