もう二度と、愛さない

蜜迦

文字の大きさ
上 下
10 / 100

それぞれの思惑

しおりを挟む




 アデール様とのお茶会のあと、私が婚約者候補を辞退したという噂がじわじわと社交界に広まり始めた。
 おそらく今頃は、ありもしない私の瑕疵かしについて、あれこれと面白おかしい憶測が飛び交っていることだろう。
 いちいち相手にしているのも面倒なので、しばらく社交界に顔を出すのを控えることにした。

 久しぶりに過ごす平穏な日々。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 書斎に呼ばれた時点で嫌な予感はしていたが、そこで待っていた父の口から聞かされたのは、驚くべき内容だった。

 「陛下が辞退を許してはくださらなかった」

 予想もしていなかった言葉に、不意に頭を殴られたような衝撃に見舞われる。

 「なぜですか?他にも候補の方はいらっしゃるでしょうに」

 「ああ。しかし陛下は、問題がお前の心変わりだけであるのなら、辞退の件は一旦保留にさせて欲しいと仰った」

 「保留……」

 「レティエ殿下は気難しい方だ。陛下としては、あらゆる可能性を残しておきたいのだろう」

 「ですが、私が辞退したという噂はもう帝都中に広まっております」

 「それについてなのだが……」

 「なにか?」

 父は難しい顔で腕を組んだ。
 どうやら腑に落ちないことがあるらしい。

 「陛下との話し合いは内密に行われたものだ。なぜ噂が広まったのか」

 ふとアデール様の顔が頭を過る。
 父が陛下以外に話をしていないというのなら、他にこの話を知っているのは家族とアデール様──
 (あとは、アンヌを含めた数名の使用人……)
 アデール様が故意に噂を流すなんて考えられないし、アンヌが私を裏切ったのは母親が病に倒れたからだ。
 家人は基本的に勤め先の情報は外に漏らさぬよう徹底している。
 (落ちつこう)
 別に口止めしていたわけでもないのだ。
 思いもかけないところから漏れてしまうことだってあるだろう。

 「まあ……こちらとしては噂が広まった方がありがたい。そうだろう?」

 「確かに……そうですね」

 これまでも、嘘が真実に取ってかわるのを幾度も見てきた。
 陛下の返答については予想外であったが、エルベ侯爵家の影響力を考えれば理解できないこともない。
 婚約者候補を辞退すれば終わるのだと簡単に考えていた私が甘かったのだ。

 「ですがお父様、陛下がどんなに仰られても、私は皇太子妃になるつもりはありませんから」

 私の言葉に父は黙ったまま深く頷いた。


 ***


 「アンヌ、どうかしら?」

 飾り気のないシンプルなワンピースに身を包み、鏡の前でくるりと回って見せると、アンヌは苦笑した。

 「駄目です。今日も隠しきれない品の良さがだだ漏れています」

 「え~っ?そんなことないでしょう。今日なんてとびきり地味な色なのに」
 
 「お嬢様はバレてないおつもりでしょうが、周りは絶対貴族のお嬢様だと気づいてますよ」

 「そうかしら……」

 「本当に、あのような場所へ行かれると聞いた時は驚きました。旦那様も奥様も目を剥いてらっしゃいましたし、お坊ちゃまたちに至っては『行っちゃ駄目だ!!』って大騒ぎ」

 「ふふ、説得するのが大変だったわ」

 アンヌと共に、テーブルの上に乗せられた大量のガーゼや消毒液、薬品類を手際良く鞄に詰めていく。
 今日は、帝都の外れにある修道院へ行く。
 正確に言うと、修道院に隣接した負傷者の収容施設だ。 
 そこには戦争で重傷を負った者たちが運び込まれ、治療を受ける場所で、実は巻き戻る前にも私はこの施設に出入りしていた。
 元々は慈善事業で訪れていた場所で、院長やシスター、そして子どもたちとも顔見知りだった。
 近隣との戦争が続き、院長が増え続ける負傷者を受け入れると聞いた時、迷わず手伝いを申し出た。
 なぜなら、レティエ殿下が戦場にいたから。
 なにもできない自分がもどかしくて、せめて彼の大切な騎士たちを無事に家に帰してやりたい。
 その一心だった。
 きっかけはレティエ殿下への想いだったものの、そこでの経験は筆舌に尽くしがたい……戦場というものの悲惨さを表面しか知らない私を、これ以上ないほどに打ちのめした。





しおりを挟む
感想 222

あなたにおすすめの小説

【完結】探さないでください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。 貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。 あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。 冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。 複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。 無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。 風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。 だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。 今、私は幸せを感じている。 貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。 だから、、、 もう、、、 私を、、、 探さないでください。

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

私は身を引きます。どうかお幸せに

四季
恋愛
私の婚約者フルベルンには幼馴染みがいて……。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

私の愛する人は、私ではない人を愛しています

ハナミズキ
恋愛
代々王宮医師を輩出しているオルディアン伯爵家の双子の妹として生まれたヴィオラ。 物心ついた頃から病弱の双子の兄を溺愛する母に冷遇されていた。王族の専属侍医である父は王宮に常駐し、領地の邸には不在がちなため、誰も夫人によるヴィオラへの仕打ちを諫められる者はいなかった。 母に拒絶され続け、冷たい日々の中でヴィオラを支えたのは幼き頃の初恋の相手であり、婚約者であるフォルスター侯爵家嫡男ルカディオとの約束だった。 『俺が騎士になったらすぐにヴィオを迎えに行くから待っていて。ヴィオの事は俺が一生守るから』 だが、その約束は守られる事はなかった。 15歳の時、愛するルカディオと再会したヴィオラは残酷な現実を知り、心が壊れていく。 そんなヴィオラに、1人の青年が近づき、やがて国を巻き込む運命が廻り出す。 『約束する。お前の心も身体も、俺が守るから。だからもう頑張らなくていい』 それは誰の声だったか。 でもヴィオラの壊れた心にその声は届かない。 もうヴィオラは約束なんてしない。 信じたって最後には裏切られるのだ。 だってこれは既に決まっているシナリオだから。 そう。『悪役令嬢』の私は、破滅する為だけに生まれてきた、ただの当て馬なのだから。

婚約破棄の夜の余韻~婚約者を奪った妹の高笑いを聞いて姉は旅に出る~

岡暁舟
恋愛
第一王子アンカロンは婚約者である公爵令嬢アンナの妹アリシアを陰で溺愛していた。そして、そのことに気が付いたアンナは二人の関係を糾弾した。 「ばれてしまっては仕方がないですわね?????」 開き直るアリシアの姿を見て、アンナはこれ以上、自分には何もできないことを悟った。そして……何か目的を見つけたアンナはそのまま旅に出るのだった……。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...