もう二度と、愛さない

蜜迦

文字の大きさ
上 下
10 / 89

それぞれの思惑

しおりを挟む




 アデール様とのお茶会のあと、私が婚約者候補を辞退したという噂がじわじわと社交界に広まり始めた。
 おそらく今頃は、ありもしない私の瑕疵かしについて、あれこれと面白おかしい憶測が飛び交っていることだろう。
 いちいち相手にしているのも面倒なので、しばらく社交界に顔を出すのを控えることにした。

 久しぶりに過ごす平穏な日々。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 書斎に呼ばれた時点で嫌な予感はしていたが、そこで待っていた父の口から聞かされたのは、驚くべき内容だった。

 「陛下が辞退を許してはくださらなかった」

 予想もしていなかった言葉に、不意に頭を殴られたような衝撃に見舞われる。

 「なぜですか?他にも候補の方はいらっしゃるでしょうに」

 「ああ。しかし陛下は、問題がお前の心変わりだけであるのなら、辞退の件は一旦保留にさせて欲しいと仰った」

 「保留……」

 「レティエ殿下は気難しい方だ。陛下としては、あらゆる可能性を残しておきたいのだろう」

 「ですが、私が辞退したという噂はもう帝都中に広まっております」

 「それについてなのだが……」

 「なにか?」

 父は難しい顔で腕を組んだ。
 どうやら腑に落ちないことがあるらしい。

 「陛下との話し合いは内密に行われたものだ。なぜ噂が広まったのか」

 ふとアデール様の顔が頭を過る。
 父が陛下以外に話をしていないというのなら、他にこの話を知っているのは家族とアデール様──
 (あとは、アンヌを含めた数名の使用人……)
 アデール様が故意に噂を流すなんて考えられないし、アンヌが私を裏切ったのは母親が病に倒れたからだ。
 家人は基本的に勤め先の情報は外に漏らさぬよう徹底している。
 (落ちつこう)
 別に口止めしていたわけでもないのだ。
 思いもかけないところから漏れてしまうことだってあるだろう。

 「まあ……こちらとしては噂が広まった方がありがたい。そうだろう?」

 「確かに……そうですね」

 これまでも、嘘が真実に取ってかわるのを幾度も見てきた。
 陛下の返答については予想外であったが、エルベ侯爵家の影響力を考えれば理解できないこともない。
 婚約者候補を辞退すれば終わるのだと簡単に考えていた私が甘かったのだ。

 「ですがお父様、陛下がどんなに仰られても、私は皇太子妃になるつもりはありませんから」

 私の言葉に父は黙ったまま深く頷いた。


 ***


 「アンヌ、どうかしら?」

 飾り気のないシンプルなワンピースに身を包み、鏡の前でくるりと回って見せると、アンヌは苦笑した。

 「駄目です。今日も隠しきれない品の良さがだだ漏れています」

 「え~っ?そんなことないでしょう。今日なんてとびきり地味な色なのに」
 
 「お嬢様はバレてないおつもりでしょうが、周りは絶対貴族のお嬢様だと気づいてますよ」

 「そうかしら……」

 「本当に、あのような場所へ行かれると聞いた時は驚きました。旦那様も奥様も目を剥いてらっしゃいましたし、お坊ちゃまたちに至っては『行っちゃ駄目だ!!』って大騒ぎ」

 「ふふ、説得するのが大変だったわ」

 アンヌと共に、テーブルの上に乗せられた大量のガーゼや消毒液、薬品類を手際良く鞄に詰めていく。
 今日は、帝都の外れにある修道院へ行く。
 正確に言うと、修道院に隣接した負傷者の収容施設だ。 
 そこには戦争で重傷を負った者たちが運び込まれ、治療を受ける場所で、実は巻き戻る前にも私はこの施設に出入りしていた。
 元々は慈善事業で訪れていた場所で、院長やシスター、そして子どもたちとも顔見知りだった。
 近隣との戦争が続き、院長が増え続ける負傷者を受け入れると聞いた時、迷わず手伝いを申し出た。
 なぜなら、レティエ殿下が戦場にいたから。
 なにもできない自分がもどかしくて、せめて彼の大切な騎士たちを無事に家に帰してやりたい。
 その一心だった。
 きっかけはレティエ殿下への想いだったものの、そこでの経験は筆舌に尽くしがたい……戦場というものの悲惨さを表面しか知らない私を、これ以上ないほどに打ちのめした。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

旦那様に離縁をつきつけたら

cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。 仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。 突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。 我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。 ※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。 ※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。

【本編完結】番って便利な言葉ね

朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。 召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。 しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・ 本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。 ぜひ読んで下さい。 「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます 短編から長編へ変更しました。 62話で完結しました。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

私は旦那様にとって…

アズやっこ
恋愛
旦那様、私は旦那様にとって… 妻ですか? 使用人ですか? それとも… お金で買われた私は旦那様に口答えなどできません。 ですが、私にも心があります。 それをどうかどうか、分かって下さい。  ❈ 夫婦がやり直す話です。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 気分を害し不快な気持ちになると思います。  ❈ 男尊女卑の世界観です。  ❈ 不妊、代理出産の内容が出てきます。

【片思いの5年間】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。

五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」 婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。 愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー? それって最高じゃないですか。 ずっとそう思っていた私が、王子様に溺愛されるまでの物語。 この作品は 「婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。」のスピンオフ作品となっています。 どちらの作品から読んでも楽しめるようになっています。気になる方は是非上記の作品も手にとってみてください。

処理中です...