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それぞれの思惑
しおりを挟むアデール様とのお茶会のあと、私が婚約者候補を辞退したという噂がじわじわと社交界に広まり始めた。
おそらく今頃は、ありもしない私の瑕疵について、あれこれと面白おかしい憶測が飛び交っていることだろう。
いちいち相手にしているのも面倒なので、しばらく社交界に顔を出すのを控えることにした。
久しぶりに過ごす平穏な日々。
しかし、それも長くは続かなかった。
書斎に呼ばれた時点で嫌な予感はしていたが、そこで待っていた父の口から聞かされたのは、驚くべき内容だった。
「陛下が辞退を許してはくださらなかった」
予想もしていなかった言葉に、不意に頭を殴られたような衝撃に見舞われる。
「なぜですか?他にも候補の方はいらっしゃるでしょうに」
「ああ。しかし陛下は、問題がお前の心変わりだけであるのなら、辞退の件は一旦保留にさせて欲しいと仰った」
「保留……」
「レティエ殿下は気難しい方だ。陛下としては、あらゆる可能性を残しておきたいのだろう」
「ですが、私が辞退したという噂はもう帝都中に広まっております」
「それについてなのだが……」
「なにか?」
父は難しい顔で腕を組んだ。
どうやら腑に落ちないことがあるらしい。
「陛下との話し合いは内密に行われたものだ。なぜ噂が広まったのか」
ふとアデール様の顔が頭を過る。
父が陛下以外に話をしていないというのなら、他にこの話を知っているのは家族とアデール様──
(あとは、アンヌを含めた数名の使用人……)
アデール様が故意に噂を流すなんて考えられないし、アンヌが私を裏切ったのは母親が病に倒れたからだ。
家人は基本的に勤め先の情報は外に漏らさぬよう徹底している。
(落ちつこう)
別に口止めしていたわけでもないのだ。
思いもかけないところから漏れてしまうことだってあるだろう。
「まあ……こちらとしては噂が広まった方がありがたい。そうだろう?」
「確かに……そうですね」
これまでも、嘘が真実に取ってかわるのを幾度も見てきた。
陛下の返答については予想外であったが、エルベ侯爵家の影響力を考えれば理解できないこともない。
婚約者候補を辞退すれば終わるのだと簡単に考えていた私が甘かったのだ。
「ですがお父様、陛下がどんなに仰られても、私は皇太子妃になるつもりはありませんから」
私の言葉に父は黙ったまま深く頷いた。
***
「アンヌ、どうかしら?」
飾り気のないシンプルなワンピースに身を包み、鏡の前でくるりと回って見せると、アンヌは苦笑した。
「駄目です。今日も隠しきれない品の良さがだだ漏れています」
「え~っ?そんなことないでしょう。今日なんてとびきり地味な色なのに」
「お嬢様はバレてないおつもりでしょうが、周りは絶対貴族のお嬢様だと気づいてますよ」
「そうかしら……」
「本当に、あのような場所へ行かれると聞いた時は驚きました。旦那様も奥様も目を剥いてらっしゃいましたし、お坊ちゃまたちに至っては『行っちゃ駄目だ!!』って大騒ぎ」
「ふふ、説得するのが大変だったわ」
アンヌと共に、テーブルの上に乗せられた大量のガーゼや消毒液、薬品類を手際良く鞄に詰めていく。
今日は、帝都の外れにある修道院へ行く。
正確に言うと、修道院に隣接した負傷者の収容施設だ。
そこには戦争で重傷を負った者たちが運び込まれ、治療を受ける場所で、実は巻き戻る前にも私はこの施設に出入りしていた。
元々は慈善事業で訪れていた場所で、院長やシスター、そして子どもたちとも顔見知りだった。
近隣との戦争が続き、院長が増え続ける負傷者を受け入れると聞いた時、迷わず手伝いを申し出た。
なぜなら、レティエ殿下が戦場にいたから。
なにもできない自分がもどかしくて、せめて彼の大切な騎士たちを無事に家に帰してやりたい。
その一心だった。
きっかけはレティエ殿下への想いだったものの、そこでの経験は筆舌に尽くしがたい……戦場というものの悲惨さを表面しか知らない私を、これ以上ないほどに打ちのめした。
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