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ミリアの憂い

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 その晩、ミリアは質の良い室内着、質の良い寝間着を借りて、豪奢な客室で過ごした。

「こんなに美しい部屋は、久しぶりですね……」

 そして、こんなに質が良い衣類も、久しぶりだ。彼女が旅の途中で着ていたものは仕立てが良い、王城付近で見繕ったものだが、それ以外は最近は町中で購入したシンプルなものを着用している。

 それで、特に問題はなかった。ヘルマもそうだ。自分たちはどうも、民衆に紛れ込むのがそんなに下手ではないような気がする。

「今の家は結構良いと思っていましたが、こうやって貴族の物件を見ると、ただの小屋のようなものなのね……わかっていたのに、なんだかショックを受けてしまうわ」

 ヘルマと旅に出て数か月。ずっとそんな生活は忘れていた。

 自分は伯爵令嬢でありながら、騎士団長として遠征にも駆り出されていたため、いささか貴族とは遠い生活にも慣れてしまっている。そうだ。自分の部下の、貴族の子息はよくぼやいていたではないか……そんなことを思い出す。

 ミリアも最初は嫌で嫌で仕方がなかった。遠征先の野営もそうだし、少し田舎に行けば高級宿がない町がほとんどで、その辺の薄汚れた宿に宿泊をしたことも数多い。だが、彼女が最初に騎士団に入って遠征に行った頃、彼女の上司は「こんなに民衆の生活に寄り添える騎士団は他にないからな」と言っていた。他の騎士団が嫌がる場所が回されていたけれど、それは、その上司のせいだったのかもしれない。

(そう。最初は嫌だった。髪を好きに洗えないことも。着替えが自由に出来ないことも。わたしは女性だからと言われて別室を用意していただいていたけれど、男性たちはそれなりの爵位の令息も含めて、複数人で寝泊まりをすることにもなっていた……)

 けれども、その上司の言葉は正しかったのだと思う。騎士団は基本的には王族を守る、王城近辺を守るものだ。たとえば、国境でなんらかの戦が発生してもわざわざ王城から騎士団を派遣することはほとんどない。

 そんな人々が、民衆の生活を知ってどうなるのか。ミリアは疑問に思って、上司に尋ねたことがある。

「国は民だ。そして、その民の上に立つ者が王族だ。王族は国というものに担がれている。それは、民に担がれているも同意だろう。そして、我々は担がれている者を守る。それだけだ。それらを支える地盤は、民衆に委ねられる」

 そんな考え方をする者がいるのかと驚いた。それにすべて同意を出来るかと言えば、ミリアにはよくわからなかった。正しい気もするが、正しくない気がする。それをそのまま口にすれば「そうだ。何事も、正しくもあり、正しくなくもあり。そういうものだ。その曖昧なものを、これが正しい、これは正しくない、と無理やり作らなくちゃいけないから、人間ってのは難しいものだ」と返された。

「だから、決して民衆たちに愚痴を言うな。我々は彼らに担いでもらっている一端に足をのせているようなものだ。彼らの諍い、彼らの愚痴は聞いてもいいが、我々の愚痴を漏らしちゃいけない。我々から攻撃をしてはいけない」

 その言葉をよく覚えている。それは、民衆に「担がれている」立場だからなのだろうと思う。今はどうだ。今は違う。少なくとも、自分は肩書きをかさにしていないし、彼らと対等でありたいと思っている。ミリアは、先日のヤーナックでの警備隊の言い争いを思い出して、小さくため息をついた。

(知られていなくてよかった。わたしが伯爵令嬢だとわかれば、きっと彼らはもっと攻撃的なことを口にしたのだろう)

 自分は傷つかない。だが、警備隊の人々はどう思うだろうか。

「傷つかない……か」

 ミリアはため息をついて、ベッドにぼすんと腰かけた。当たり前だが高級な良い品だ。自分たちが遠征に出ている間「早く自分の家のベッドで眠りたい」と皆が思っていた、そこで思い描いていたベッドだ。ふかふかで、すべすべで、そこには「気持ちが良い」が詰まっている。

(傷つかない、のではないな……傷つかない振りを見せるだけだ。いつだって、わたしはそうやって生きて来た。だって)

 レトレイド伯爵家は武官の家門だ。子供たちは父親に「弱みを決して誰にも見せるな」と言われて育ってきた。そのせいで、彼女は周囲の人々に「冷たい女だ」と言われることもしばしばあった。

 が、思い起こせば。弱みを見せないことと人に対して壁を作ることは違うのだ。社交界に集う女性たちは、にこにこと微笑みながら弱みを見せずに生きているではないか。人に甘えながらも、決して弱みを見せない。そういう生き方もあったはずだ。

  だが、ミリアはそれをうまく出来なかった。仕方がない。自分はこういう性格で、そういう風にしか生きられないのだ。そう思っていた。そう思っていたが……。

(ヴィルマーさんは、頼ってくれと言っていたわ)

 たくさん、既に頼っているのに。頼りがいがないかもしれない、と彼は言っていたが、そんなことはない。あそこで、ミリアが「どうにかしてくれませんか」と彼に甘えれば、きっと彼はもっと早く警備隊と反対派の間に入って、簡単に収束してくれたのだろう。

 見誤ったのは自分の責任だ。間違いなく、これぐらいのことは何とかしてもらわないと困る、と思っていた。何故なら、自分もヘルマも2か月後もせずにヤーナックから去るからだ。だから、今のところはヘルマに任せつつも、警備隊の人々の自主性を重んじて、喧嘩の行く末を見守ろうとした。

 しかし、話が少し大きくなってしまった。その、鎮火が少し難しくなった時にヴィルマーが間に入ってくれた。勿論、サーレック辺境伯の話が出たから、というのが彼の言い分だとは思うが、それでも本当に助かった。助かったが、助かったとうまく言えなかった。それは、彼に人々に謝らせてしまったからだ。

(そんなことをさせたくなかった。だけど……)

 だけど。
 だけど、心のどこかで少しだけ、喜んでいる自分がいた。

 ミリアは「やめよう」と呟いた。ごろりとベッドに横たわる。

(そうだ……あと2か月もしないで、この生活を終えて帰るのね。わたしたちは……)

 また、そのことを思い出す。
 なんだか、夢のようだと思う。不思議だ。ヤーナックに滞在をして、多くの人たちと交流を得て、家を借りて。まるで今の生活がずっと続くような気がしていた。ヘルマと共に、警備隊の人々と仲良く、そして、ヴィルマーたちとも……。

(そんなことはない。彼は、サーレック辺境伯の元にそのうち戻るでしょうし)

 自分がレトレイド家に戻るように。そして、何もなかったかのように、日常が繰り返されるのだ……そんなことを思いながら、ミリアはいつしか眠りについていた。

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