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『死ぬ前に俺と組んでみない?_22歳の冬』

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 微睡の中、歌が聞こえてきた。囁きに近い小さな音だったが、覚醒しきれていない状態でも耳が拾い上げてゆっくりと全身に溶けていく。

 模糊とした意識のまま瞼を持ち上げると、窓から差し込む陽を浴びた男を捉えた。衣服を身に纏っていない上半身をベッドサイドに預けて、静かに歌を口ずさんでいる。

 綺麗な高音がやさしく伸びていく。リズムに合わせて柔らかそうな髪が揺れ動くのを、薄い膜を張ったような視界でじっと見つめる。天国なんて生きてきて意識したことなど一度もない。おとぎ話と同義で捉えていたはすなのに、目の前に広がる光景があまりにも神聖なものに感じて、息をするのさえ憚られる。

 美しい歌声が静かな空間に満ちていく。浄化されていくような心持ちになって、再び眠気が訪れる。

 もう少しだけこの空間に身を任せたい。手放してしまうのが惜しい。必死に抗うも瞼はどんどん重くなっていく。男の輪郭が陽の光に交じって境界線が曖昧になる。現実か夢か幻か。

 自分がいる世界がわからなくなって混乱しかけていると、美しい歌声が止まった。横たわるベッドが僅かに揺れたのを感じると同時に、ふんわりと頭を撫でられる。柔らかな感触にくすぐったさを覚えていると、耳元で優しく名前を呼ばれた。

「尚久」

 高い能力も才能もない平凡な男の名だ。何度も呼ばれてきた自身を現す名。けれど、この声で呼ばれると、途端にその名が大層特別なものに感じる。世界で一番輝く宝物を受け取った気持ちにさせてくれる。その気持ちがくすぐったくて温かい。

「好き」

 眠りに落ちる直前に紡がれた言葉が耳に触れたとき、唐突に眠気が飛んだ。先程まで混濁していた意識が急にはっきりとして、驚きに目を丸めた男が祐二であることを強く認識する。

 祐二の輪郭が浮かび上がって、くっきりと像を結んだ。その顔が真っ赤に染まっていく。

「起き、てっ」

 掠れた声は動揺している証拠だった。耐えきれなくなったのか、素早い動きで布団に潜り込む。姿は布団に覆われて見えなくなったが、こんもりと盛り上がった山はありありと祐二の存在を現している。朝から一人大騒ぎする様子が堪らなく愛しい。

「おはよう」

 挨拶と一緒に愛しい存在を抱きしめると、布団越しに身体を跳ねさせたのが伝わった。小さな子どもをあやすように、ぽんぽんと軽く叩くも布団から出てこない。どう攻めようか悩んでいると、布団からくぐもった声が聞こえてきた。

「今の聞こえてた……?」
「うん」

 間髪入れずに頷くと、腕の中に納めていた身体がますます縮こまった。可愛い反応につい笑い声を上げると、胸を叩かれて抗議を示された。素肌に触れた感触が妙に生々しくて、思わず喉を鳴らす。

「祐二、顔見たいから出てきて」

 やさしく声をかけてみるも、シーツから顔が出てくることはなかった。頑なな様子にいたずら心が擽られた。ばれないようにシーツを掴んで一気に剥ぎ取る。

「あっ」

 小さく声を上げた祐二の身体が陽の光の元に晒される。昨日暗がりの中で見たときよりもはっきりと見えた身体のラインに、一気に体温が上がる。あまりに刺激が強い視覚情報に眩暈を覚えながらも、なぜかこれ以上は祐二の素肌を晒したくないとの想いが先走って、剥ぎ取った布団をもう一度被せて自身の身体も中に入れる。

 奇行に近い尚久の行動を前に、祐二がぽかんとした表情を見せた後、はははと明るい声を上げた。あまりに爽やかな笑い声に、つられて尚久も笑う。

「何しているの」
「さぁ、気付いたら中に入ってた」

 顔を寄せて二人で笑い合う。二人しかいない狭苦しい空間が心地良い。目にかかりそうな赤い髪を静かに払いのけると、祐二は恥ずかしそうにするも先程のように隠れることはなかった。逃げられなかったことが嬉しくて胸が温かくなる。

「さっきのもう一回言ってくれない?」

 お願い事が何を示すのか伝わったようだった。視線を泳がせた後、大きく息を吐いてまっすぐに尚久を見た。勝気な目元を柔らかくして口を開く。

「尚久が俺のことどう想っているか、教えてくれるまで言わない」

 にっと笑われて、いたずらの仕返しされていることに気付く。変に恥ずかしがると面白がられることは明白なのに、いざ言葉にしようとすると口籠ってしまう。

 二年間拗らせてきた想いが思った以上に深刻であることは、昨日の出来事で身をもって経験済みだ。自分の気持ちを素直に認められなくて、深く傷付けた。自分本位な考えを押し付けて、歩み寄ってくれた祐二を拒んだ。振り回されていると思い違いをしていたが、実際のところ祐二を振り回していたと言っても過言ではない。

「祐二」

 昨日の夜、必死になって捕まえた祐二にもう一度腕を伸ばして頬に触れる。昨日の夜に捕まえたときと同様に、避けられることはなかった。決して拒まない祐二に胸が苦しくなる。

「好きだ」

 一度零した想いを胸の内に秘めるのは、もうできそうにない。頬に添えた手で顔を上げて口付ける。

「好き、好きだ、ずっとお前が好きだった」

 唇を何度も重ねながら、うわ言のように繰り返す。柔らかな感触に目が眩む。もっと欲しいと貪欲に、無遠慮に、食らい尽くすかのように荒々しく口内を蹂躙する。

「ん……、あっ」

 本当はもっと優しく接したいと思うのに、身体が言う事を聞かない。こちらの身勝手を健気に受け止めて、甘い息を漏らす祐二に堪らなくなる。煩悩に流されかけるも、大事な要件が終わっていないと自分に言い聞かせて理性を総動員させる。

 名残惜しく感じながら唇を離す。つと二人の間に伝った糸に、集めた理性が飛びかけるも、頭を軽く振って無理やり抑え込む。

「言って、祐二」

 再度お願い事を繰り返す声は、ひどく掠れたものだった。必死過ぎて自分自身が恐くなるが、誤魔化すことなく、じっと祐二を見つめる。

 微睡の中で聞いたあの言葉が、夢ではなく現実だと認識したかった。視線を絡めてまっすぐに伝えて欲しかった。

「俺は尚久が好き」

 ふにゃりとした笑顔と一緒に届けられた言葉に息が詰まる。自分でお願いしたことだが、想像以上の破壊力をもって尚久を貫いた。あまりの動悸の早さに、死ぬかもしれないと馬鹿みたいな考えが頭を過る。

「やばい、死にそう」

 寝起きの頭は、過った考えを内に留めることを許してくれなかった。馬鹿みたいだと自分でも思ったが、口に出すことでより滑稽さが増した。ややこしいことに事実であるため、取り繕わなくてはの思いがまるっきり沸いてこない。

 尚久の呟きに祐二は即座に反応した。にっこりと美しい笑みを浮かべて小首を傾げる。

「死ぬ前に俺と組んでみない?」

 とびきりの誘い文句に脳が溶ける。一緒に歌ったときに止めた言葉を、今度は耳にしてしまった。まっすぐ正面から受けてしまった。あの夜の予感は正しかったと、嫌と言うほど思い知る。

 0か100以外にも道があることは、祐二が指し示してくれた。二人の丁度いい間を探るのも良いのかもしれない。歩み寄ることで、見えてくるものも多いはずだ。問題にぶつかったら、二人で一緒に悩んだらいい。傷付いたらいい。乗り越えたらいい。そうやって前に進むことは、人生においてもバンドにおいてもきっと必要なことだ。

 何だか無償にギターが弾きたい。音楽が溢れて鳴りやまない。豊かな音の洪水に溺れそうになる。 
歌う祐二の隣でギターを掻き鳴らす自分がかんたんに想像ついて、眩しい景色に尚久は目を細めた。




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