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『久しぶりの再会_22歳の冬』

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「先生、お疲れさまでした」
「お疲れさま。また来週よろしく」

 教室を出て行った最後の生徒を見送って、戸締りをしようと開いている窓に近付く。窓枠に手をかけたところで、強い風が田中尚久を撫でた。冬の気配を存分に含んだ冷たい風に誘われるように空を見上げる。

 見上げた先に星は見えず、視界に入るのは聳え立つビルと過剰なほどの装飾がされた派手な看板だ。地元で散々見てきた星を、この都会で見たことはない。空を見上げて歩く癖は、上京して一か月も経たずになくなった。汚れた物を踏まないようにと、下を向いて歩くことが多くなったくらいだ。

 二年前に出て行ったきりの故郷の景色が脳裏を過る。冬は雪が降りしきる土地柄、真っ白な世界が真っ先に思い浮かぶ。娯楽が少なくアクセスも悪い田舎だが、全てが雪で覆われた静謐な空気を纏う冬の景色は、どこまでも冷たくそれでいて美しかった。

 そんな景色の中で育ってきた分、都会の夜はひどく濁って騒がしく感じる。空気が違うと驚いたものだが、雑踏なものを寛容に受け止めてくれるこの空気が尚久の身体には合っていた。地元を出たことはこれまで一度も後悔はしていない。

 窓から入り込む風が先ほどよりも強く吹きかける。吐く息が冷たい。もしかしたらこれから雪が降るかもしれない。一服して帰ろうと思ったが、寄り道せずに帰った方が良さそうだ。今度こそ窓を閉めて、教室の戸締りを終える。

 業務報告を十分で済ませて、職場である音楽教室を後にする。駅に向かいながらも、風は容赦なく通り過ぎていく。ここ数日で冷え込んできたこともあり、厚手のコートを着ている人が増えてきた。慣れているので耐えられる寒さではあるが、道行く人に合わせてそろそろコートに変えた方が良いだろう。コートを片付けた場所を思い出しながらギターケースを背負い直す。

 早めに教室を出たこともあり、駅はいつもより人通りが少なかった。上手く行ったら座れるかもしれないと期待をしながら改札を通る。時間を確認しようと携帯を取り出したところで、タイミングよく着信が入った。液晶に表示された懐かしい名前に携帯を落としそうになる。

――火神祐二。

 見間違いかと何度か瞬きするも、その名前が液晶から消えることはなかった。呆然としながらその名を見つめる。長らくその名が表示されたところで、画面が変わって不在着信の通知が入った。着信が止まったことにホッとして、大きく息を吐き出す。

 冷たい風が頬を撫でるも、先程視界に入った名前に身体の内側が熱くなってくる。早まる動悸を少しでも落ち着かせようと壁にもたれたところで、再度携帯が着信音を響かせた。

 急かすような音が耳に障る。携帯の画面を見なくても誰からの着信かは明白だ。こちらの都合なんてお構いなしに、相手が出るまで電話を鳴らし続ける迷惑な奴は一人しか知らない。

 火神祐二。
 才能溢れる故に傲岸不遜なくそガキ。
 
 今年で二十歳を迎えるので、もしかしたら会わない間に少しは落ち着いているかもしれないが、何度も携帯を鳴らす癖が抜けていない時点で、あの頃から変わっていないと見た方が良いだろう。
 
 当時、尚久が足繁く通っていた地元のライブハウスに、祐二は突如現れて全てを掻っ攫っていった。今まで尚久なりに真剣にやってきた音楽だったが、祐二の歌声を耳にした途端、その音楽活動はままごとの延長線なのだと知れた。

 圧倒的な声量とリズム感。耳に残る力強く繊細な声。楽器を使わずにマイク一本で曲を表現できる確かな高い技術。

 天才だと素直に思えた。天が与えた才能はこうも人を動かすのだと身を以って知った。あの夜の興奮は、尚久の奥底に残っている。

 祐二の歌声を思い起こして、ほとんど無意識に電話に出た。もしもしと声をかけることなく、音を取り零さないように集中して耳を傾ける。

 耳が拾った音は、祐二の声ではなかった。ざわざわと雑踏な音が反響している。尚久が今いる駅の音に近い。声が聞こえてこないので、間違えて通話になってしまったのかと思い、久しく呼んでいなかった名前を舌に乗せる。

「……祐二か」

 電話の向こうで、息を飲む音が聞こえた。途端に電話の向こう側にいる祐二の存在を強く認識する。

「久しぶりだな。俺が上京して以来だから、二年ぶりくらいか?」

 意識して明るく声をかけてもみるも、返事はない。電話の向こうに祐二がいることが分かった以上、こちらから電話を切る訳にはいかない。

「尚久」

もう一度声をかけようと口を開いたところで、湿った声で名前を呼ばれた。よく通る祐二の声が、今のように湿り気を帯びるのはどんな時か、二年経っても忘れてはいない。
 
 地元を出る前日の夜を思い出しかけたところで、今度は耳馴染みのある高い声が響いた。

「ファミレスに来て」

 不機嫌さを隠さないぶっきらぼうな物言いが続けたのは、尚久の自宅の最寄り駅付近にあるファミレスの店名だった。

「は? お前ここに来てるの?」

 驚いて問いかけるも、聞こえてきたのは返答ではなく通話が終わった音だった。つーつ―と、無慈悲で無感情な音が流れる。要件を言ったら相手の返答を待たずに通話を終える。これもまた祐二の悪い癖の一つだ。溜息を吐いて携帯を鞄にしまう。

地元を離れてここに来ているのは単なる旅行か、それとも上京してきたのか、はたまた家出か。旅行であれと願うも、あの電話の様子では恐らく家出だろう。面倒になったと頭を抱える。

 会いたくない。尚久の本音はそれだった。地元を出てから極力連絡を取らなかったこともあり、上京したての頃は頻繁に来ていた連絡は、ここ一年はほとんどなかった。自分で連絡を絶ったにも関わらず、連絡が来なくなると寂しいと、自分勝手な感情を抱くことにもようやく慣れた頃にやってきた突然の襲撃。放っておいた分、何を言われるかわかったもんじゃない。

 聞かなかったことにしようか一瞬悩むも、ファミレスで待っているであろう祐二の後ろ姿が思い起こされて、すぐにその選択肢を捨てる。妙なところで律儀な面があるので、こちらが姿を現すまで、じっと座って待っているはずだ。尚久はもう一度溜息を吐くと、ホームに入ってきた電車へと乗り込んだ。

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