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第一章
【第6夜】
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「ところで、君はどうして、消えてしまいたいの」
結婚したって消えられないだろう、と魔法使いは疑問を口にした。
「ここではないどこかへ行くことができたら、何かが変わるんじゃないかって。今の私が消えてしまえたら、あ、…あいして、もらえるかもしれない、から」
自分の浅はかな考えに恥ずかしくなりながら、シャーサは答える。
魔法使いの好意が嬉しいわけでは無いが、『親にすら受け入れられなかった自分』が魔法使いに好意を向けられるような存在であることが、シャーサには受け入れられなかった。
「なんだ、そんなこと。…手を出して」
魔法使いは開いた掌を上にして、シャーサに差し出した。
「え、あ、はい」
シャーサは反射的に自分の手を上に重ねる。
魔法使いはやんわりとシャーサの手を引き寄せると、小さな薬缶をどこからか取り出す。
ポンと蓋を開けて中から軟膏のようなものをすくい、シャーサの手に塗り込み始めた魔法使いに、シャーサは目を白黒させる。
「あ…の、急にどうしたんですか」
「これで綺麗に、消えてしまったよ」
魔法使いの言葉に「え」とシャーサは自身の手を見る。
シャーサの手は、まるで産まれたばかりのように、傷一つない手になっていた。
炉に火を起こすときにできた火傷痕も、水を運んでできたマメも、栄養不足で治らなかった酷いささくれも、擦り傷も切り傷も、しもやけの跡も。…何もかも、なかった。
「君自身に刻まれた、このお家で過ごしていたという君の証は、消えてしまったよ」
驚きで固まるシャーサの手を取ったまま、魔法使いはもう片方の手にも軟膏を塗りこめて言った。
手を引くこともできず、シャーサは魔法使いの手の中で揉まれる自分の手を見つめる。
「っそ、そんなの、見た目だけじゃ、ないですか」
「そうだね。でもまずは、形からというだろう?」
「こんな自分は、望まれません」
「こんなに愛しいのに?」
「錯覚です、思い込みです。そんなこと、あるはずない」
「一時の夢だって?」
望まれないから、望まれる形になろうと必死だった。
頑張れば、自分の身を犠牲にしているのだという証を作れば、気が付いてもらえるのではないかと。
赤黒くなって、皮が剥けた指先も、癖で抓る甲の痣も、全て、消えてしまう
「だってそれがほんとうなら、わ、わたし、は」
傷も痛みも綺麗に無くなった手に、シャーサは虚しさを覚えた。
「今までのわたしは、なんだったんですか」
「君だよ」
「…あなたが消してしまった私の傷は、なんの意味もなかったんですか」
「まさか」
魔法使いは自分より一回り小さいシャーサの手を、大事そうに包む。
「君が心を砕いた証。記憶の印だったもの」
「ならなぜ、消してしまったんですか。なにも残らないじゃないですか」
いつもは肌に爪を立てて誤魔化していた居心地の悪さを、どう紛らわせて良いか分からず、シャーサは床に足裏を擦りつける。
魔法使いは手の中に捕まえた手を、親指でなぞった。
「上手にとける様に、おまじないをしたんだ」
「とける…?」
「そう」
「魔法が、君にとける様に」
「なんの魔法を、かけたんですか」
「そうだなぁ。…例えば君とボクが同じ景色を見たとして、それぞれは全く別物の様に映るだろう?」
魔法使いは考えるように、目線を上げる。
「その差を埋める為に必要なものが、君の言うまやかしなら、ボクはそれでも構わないけれど。…きっとそうではないんだ」
自身の言葉に納得して、魔法使いは頷く。
「だからこれは、そういう魔法だ」
シャーサは魔法使いの言葉がいまいち理解できず、「分かりません」と首を振る。
魔法使いはくすくすと楽しそうに笑うと、呪文を唱えるように言った。
「夢はみて、さめるもの。魔法はかけて、とけるもの。…溶けて、染み込んで、ひとつになるもの」
その言葉に、魔法使いの意図することの一端を理解し、シャーサはばっと腕を引いた。
「そ、それはかけるものでも、魔法でも、おまじないでもないでしょう!私に与えるべきではなかったものです!」
魔法使いの腕から取り戻した自分の手を、体の前で握る。
覚えのあった痛みが感じられず、いつもより手に力がこもる。
「か、返せないのに!」
「そうかなぁ」
魔法使いは自身の手から逃れたシャーサの手を残念そうに眺め、のんびりと腕を下ろした。
「戻してください!
「戻りたいのかい?」
「も…戻りたくなくても戻らなきゃ、いけないって、」
「戻りたくないんだね」
「ちが…違う…そうじゃない…だって…」
傷と共にはがれてしまったらしい建前に、本音を隠しきれなくなる。
言葉を出せなくなるシャーサに、魔法使いはそれ以上喋らせることはしなかった。
「…今日は沢山話して、疲れたろう」
魔法使いは立ち上がってひとつ伸びをすると、フードを被り、ウインクした。
「今日はもうおやすみ。君の、君自身の答えを、待っているから」
結婚したって消えられないだろう、と魔法使いは疑問を口にした。
「ここではないどこかへ行くことができたら、何かが変わるんじゃないかって。今の私が消えてしまえたら、あ、…あいして、もらえるかもしれない、から」
自分の浅はかな考えに恥ずかしくなりながら、シャーサは答える。
魔法使いの好意が嬉しいわけでは無いが、『親にすら受け入れられなかった自分』が魔法使いに好意を向けられるような存在であることが、シャーサには受け入れられなかった。
「なんだ、そんなこと。…手を出して」
魔法使いは開いた掌を上にして、シャーサに差し出した。
「え、あ、はい」
シャーサは反射的に自分の手を上に重ねる。
魔法使いはやんわりとシャーサの手を引き寄せると、小さな薬缶をどこからか取り出す。
ポンと蓋を開けて中から軟膏のようなものをすくい、シャーサの手に塗り込み始めた魔法使いに、シャーサは目を白黒させる。
「あ…の、急にどうしたんですか」
「これで綺麗に、消えてしまったよ」
魔法使いの言葉に「え」とシャーサは自身の手を見る。
シャーサの手は、まるで産まれたばかりのように、傷一つない手になっていた。
炉に火を起こすときにできた火傷痕も、水を運んでできたマメも、栄養不足で治らなかった酷いささくれも、擦り傷も切り傷も、しもやけの跡も。…何もかも、なかった。
「君自身に刻まれた、このお家で過ごしていたという君の証は、消えてしまったよ」
驚きで固まるシャーサの手を取ったまま、魔法使いはもう片方の手にも軟膏を塗りこめて言った。
手を引くこともできず、シャーサは魔法使いの手の中で揉まれる自分の手を見つめる。
「っそ、そんなの、見た目だけじゃ、ないですか」
「そうだね。でもまずは、形からというだろう?」
「こんな自分は、望まれません」
「こんなに愛しいのに?」
「錯覚です、思い込みです。そんなこと、あるはずない」
「一時の夢だって?」
望まれないから、望まれる形になろうと必死だった。
頑張れば、自分の身を犠牲にしているのだという証を作れば、気が付いてもらえるのではないかと。
赤黒くなって、皮が剥けた指先も、癖で抓る甲の痣も、全て、消えてしまう
「だってそれがほんとうなら、わ、わたし、は」
傷も痛みも綺麗に無くなった手に、シャーサは虚しさを覚えた。
「今までのわたしは、なんだったんですか」
「君だよ」
「…あなたが消してしまった私の傷は、なんの意味もなかったんですか」
「まさか」
魔法使いは自分より一回り小さいシャーサの手を、大事そうに包む。
「君が心を砕いた証。記憶の印だったもの」
「ならなぜ、消してしまったんですか。なにも残らないじゃないですか」
いつもは肌に爪を立てて誤魔化していた居心地の悪さを、どう紛らわせて良いか分からず、シャーサは床に足裏を擦りつける。
魔法使いは手の中に捕まえた手を、親指でなぞった。
「上手にとける様に、おまじないをしたんだ」
「とける…?」
「そう」
「魔法が、君にとける様に」
「なんの魔法を、かけたんですか」
「そうだなぁ。…例えば君とボクが同じ景色を見たとして、それぞれは全く別物の様に映るだろう?」
魔法使いは考えるように、目線を上げる。
「その差を埋める為に必要なものが、君の言うまやかしなら、ボクはそれでも構わないけれど。…きっとそうではないんだ」
自身の言葉に納得して、魔法使いは頷く。
「だからこれは、そういう魔法だ」
シャーサは魔法使いの言葉がいまいち理解できず、「分かりません」と首を振る。
魔法使いはくすくすと楽しそうに笑うと、呪文を唱えるように言った。
「夢はみて、さめるもの。魔法はかけて、とけるもの。…溶けて、染み込んで、ひとつになるもの」
その言葉に、魔法使いの意図することの一端を理解し、シャーサはばっと腕を引いた。
「そ、それはかけるものでも、魔法でも、おまじないでもないでしょう!私に与えるべきではなかったものです!」
魔法使いの腕から取り戻した自分の手を、体の前で握る。
覚えのあった痛みが感じられず、いつもより手に力がこもる。
「か、返せないのに!」
「そうかなぁ」
魔法使いは自身の手から逃れたシャーサの手を残念そうに眺め、のんびりと腕を下ろした。
「戻してください!
「戻りたいのかい?」
「も…戻りたくなくても戻らなきゃ、いけないって、」
「戻りたくないんだね」
「ちが…違う…そうじゃない…だって…」
傷と共にはがれてしまったらしい建前に、本音を隠しきれなくなる。
言葉を出せなくなるシャーサに、魔法使いはそれ以上喋らせることはしなかった。
「…今日は沢山話して、疲れたろう」
魔法使いは立ち上がってひとつ伸びをすると、フードを被り、ウインクした。
「今日はもうおやすみ。君の、君自身の答えを、待っているから」
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