【完結】王甥殿下の幼な妻

花鶏

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最終章

11

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「………すまない、完全に理性が飛んでた……」

 不貞腐れた顔のマティアスの拳を水で冷やしながらリリアが項垂れた。

「ごめんなさい」
「……そうだな、貴女も悪い。
 やめて欲しいなら、嫌じゃないとは言ってはだめだ」

 想定外の事が続いて混乱していたところに、好きな人にあんな顔で嫌じゃないと言われて、理性を保てる男なんかいないと思う。止まった自分を褒めてやりたい。

「マティアス様、もう変態でもいいって仰ってたのに……変態なのに、待ってくださって、ありがとうございます」
「変態変態言うな。
 俺の性癖がどうだろうが、子どもに手を出して良い理由にはならない」
「十六だったら、やめてはくださらなかった?
 十五と十六って、そんなに違いますか」
「理性が残ってれば、嫌がっていればやめるよ。
 だいたい、歳がどうというより、貴女の身体はまだ子どもじゃないか」
「………もう、身体は大人だと思いますけど」
「大人の女性は、その、もっと胸とか腰が大きいだろう」

 当たり前の事を言った筈のマティアスの言葉で、不思議な沈黙が降りる。

「………………。
 マティアス様………」
「なんだ」
「世の中には、胸の小さな大人の女性もそれなりにいるのですが」
「え?
 大人なのに?」

「…………素人童貞………」
「おい」

 突然何を怒ってるんだ。

「お姉さま方のような胸になることを大人というなら、わたくしが大人になることはおそらくありません」

 じとりと上目遣いにマティアスを見るリリアに怯み、身の回りの女性陣を思い返してみたが、女性たちは基本的に首元の閉じた服を着ているので胸のサイズなどよく思い出せない。
 胸の小さな女性の為の詰物があることもマティアスは知らないし、姉たちは皆豊満な体つきだった。

「………大人、なのか、貴女は」
「何をもって大人というかによりますが、法的には来週から大人ですし、体が成熟することを大人というなら十五歳から二十歳くらいで大人です」
「貴女の体はそれで成熟してるのか」
「それとは」

 リリアが怖い。

「そうか。
 ………大人なのか……。
 なんだ、じゃあ、抱いてもいいのか」

 怖い顔を引っ込めて、リリアはびくりと身を引いた。
 マティアスは軽く笑って、リリアの細い腕を捕まえて引き寄せる。そのまま二人で柔らかい大きな枕に倒れ込む。

「貴女が待てと言うなら待つよ。
 俺はやっぱり十五歳は子どもだと思うし。
 今日はもう絶対襲わないから、腕の中にいて欲しい」
「絶対……?」
「約束する」
「……じゃあ、はい」

 リリアが居心地悪そうにもそもそ動いてマティアスの胸に収まる。口を尖らせた顔がいつもより幼く見えて可愛かった。
 そっと肩を抱き寄せる。

 混乱していた頭が落ち着いてきて、想いが通じた喜びが波紋のように胸に広がってゆく。
 ずっと触れることすら出来ないと思っていた彼女の心が、今、腕の中にある。彼女の幸せを願って頑張ってきたこの半年の、褒美のように思えた。

「リリア、貴女と離れたくない」
「わたくしも、マティアス様とお別れするの、辛いです」
「もう俺は、貴女以外の人と添う気にはなれない」
「わたくしの旦那様も、きっと一生、マティアス様だけですよ」

 はにかんでそう言ってくれるリリアの手を握る。握り返してくれる白い手に心臓が弾んだ。

「―――離縁、撤回してもいいか」
「だめです」
「この流れで!?」

 完全に承諾をあてにしていたマティアスは愕然として声をあげる。

「なぜだ!」
「慰謝料をお返しできないし、アーネストの離婚祝いも返したくありません。
 一億予算が増えれば、学園アカデメイアの設備が」

「…………………俺と、学園アカデメイアと、どっちが大事だ」
「そんなひどいこと、答えられません」

 だめだ。勝ち目がない。

「俺の慰謝料は返さなくていい。どうしても、だめか」
「だめです」
「アーネストの金は俺が何とかする。それでもだめか」
「……それは、ご命令ですか?」
「………………そんな命令は、しない」

 なぜだ。
 金なら払うと言っているのに。

 うっかり狒狒爺のようなことを言いそうになる。

 ならこれから貴女に言い寄ってもいいか、と問おうとして、マティアスは口を噤んだ。
 公にマティアスに言い寄られて拒否できる女性など、この国に数えるほどしかいない。当人が拒否したところで囲い込まれて差し出されるのが落ちだ。
 今口説き落とせなければ、リリアに意に染まぬ婚姻関係を強いるか、諦めるかしかない。

 リリアの幸せが他の男の隣にあると思っていたから、心を殺して離縁の準備をしていたのだ。
 ―――諦めるのは、絶対に、嫌だ。どうすればいい。

「マティアス様。
 マティアス様のご命令でしたら、わたくしは何でもしますしどこへでも参ります。―――でも、そうでないなら、わたくしの生きる場所はアルムベルクです」

「……………言ってなかったが、統治官職を正式にもぎ取った。アルムベルクで俺と一緒に、末永く学園アカデメイアを盛り立てないか」
「えっ」

 リリアはぱちぱちと青い目を瞬いた。

「不束者ですがよろしくお願いします。
 新居はどこにしましょうか」

 あっさり陥落した現金な妻にマティアスは吹き出す。シルバーブロンドの髪を抱き寄せて、細い身体に腕を回す。

「俺一人なら役所の一室に寝泊まりすれば良いと思ってたけど、二人で住むなら使ってない公爵邸を買い取るよ」
「本屋敷はボロボロなので、マティアス様は暮らせないと思いますよ」
「そんなにか」

「……離縁すると言ったりやめると言ったり、周りはきっと呆れますね」
「きっと皆喜ぶ」
「そうでしょうか……」

 腕の中でリリアが遠慮がちにマティアスを見上げた。

「本当の夫婦になるなら、その、しないとか、だめですよね……」
「俺も素人童貞を返上したいので、いつかは覚悟を決めてくれると嬉しい」
「……覚悟、できなかったら、どうしよう……マティアス様に、嫌われてしまう……?」

 いつも凛としているリリアが情けない声を出す。

「………どうしても………嫌なら、しなくても、いい。貴女を傷つけてまでしたい訳じゃない」
「嫌じゃ、ないです、けど」
「女の子は難しいな」

 リリアは両手で顔を覆う。

「……こんなことなら、半年前に、抵抗せずにやられてしまっておけば良かった……」
「俺がトラウマで不能になるからやめてくれ」

 プロではない女性とどう進めていけばいいのか、マティアスも初めてのことでよく分からない。女性の身体のことは習ったが、進め方については相手と向き合えとしか言われなかった。

「まあ、ゆっくりやろう。
 キスはする。それは譲らない。
 当面は、それで俺は貴女に首っ丈だから大丈夫だ」
「マティアス様、おじさんくさい……」
「うるさい」

 柔らかい髪をくしゃくしゃに掻き混ぜて、小憎らしい口をキスで塞ぐ。唇を離すとリリアがなんとも言えない可愛い顔をしている。暫く見つめ合っていると青い瞳がゆっくり細められ、引き寄せられるようにもう一度唇を重ねた。

 ―――好きな人と想い合ってするキスが、こんなにも甘く、心を丸裸にしてしまうものだと初めて知った。
 リリアとでなければ意味がないし、リリアも望んでくれないと意味がないと思う。

「―――リリア、好きだよ」

 自覚してから数ヶ月、ずっと飲み込んできた想いを素直に伝えられることが嬉しい。

「わたくしも、マティアス様が好きですよ」

 耳を真っ赤にして戸惑う姿が可愛くて、肩を抱き込む腕に力がこもる。


 この人に、出会えて良かった。

 一番初めから、すれ違いのせいで泣いたり怒ったりしていた出会いだった。
 全く違う自分たちはこれからもたくさんすれ違ってしまうと思う。―――それでも、どうしてもこの人がいい。
 これからどんな事があっても自分はきっと、この人を想って人生を紡いでいく。

 そんな幸せな気分に浸りながら、マティアスは久しぶりに穏やかな眠りについた。


 窓の外では丸い月が柔らかい光を降らせている。
 庭師たちが丹精込めた花々が蕾を綻ばせる準備を始めている。色とりどりの蕾の間を、優しい風が撫でるように通り抜けていった。

 命萌ゆる温かな季節が、すぐそこまでやってきている。


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