【完結】王甥殿下の幼な妻

花鶏

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第三章 幼な妻の里帰り

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 学園アカデメイアの食堂で視察が午前中で終わった経緯を話すと、リリアが顔を曇らせた。マティアスを待っている時間に会員たちからハーマン男爵の評判を聞かされたようで、その散々っぷりにマティアスは呆れ、リリアは領民を心配していた。

 施政についても殆ど情報が得られなかったことを溢すと、群がっていた会員たちからわらわらと意見が湧く。あれよあれよと言う間に話が広がり、具体的に領に詳しい人々と半日のうちに面通しが進み、残りも明日には会える算段となった。

 リリアを同伴した方がいいと言われ、リリアから友人と過ごす時間を取り上げてしまったため、嫌な顔をするエルザを宥めてアレクシスとムクティを宿の夕飯に招いた。三人には一足先に宿に戻ってもらっている。

 街にぽつぽつと灯りが灯る中、拾った馬車でマティアスとリリアは宿に向かっていた。

「予定になかったのに、あれだけの人数とよく会えたな……」
「アルムベルクは王都よりのんびりしてますし、役所同士が近いですから」

 アルムベルクにも役所はあるが、それぞれの産業ギルドの長と領主の話し合いで施政が決められる。それがなければ、アルムベルクの小さな役所では、どこに治水が必要で、農産物の収穫がどうなっているかも把握することは難しい。
 リリアは寧ろ、あの人たちと会わずに午前中は何をしていたのかと不思議そうに首を傾げた。

 長たちとの話の中で、マティアスにはひとつ気になる話題があった。

「何人か、山の民のことを気にしていたな」
「そうですね、皆からも、最近物騒だって忠告を受けました。以前はそんなに関わることもなかったのに」

 ここのところ、アルムベルク領の北西に棲むキルゲス族の、山道での山賊行為が目立つ。なのにハーマン男爵は己の屋敷の警備を厚くするばかりで何の対応もしない。中には、ハーマン男爵がキルゲス族と荷物のやりとりをしており、ハーマン男爵と山の民は通じているのではないかとの噂もあった。

「……マティアス様、おかしいです」
「どうした」
「この道を進むと、街には帰れません」

 リリアが眉を顰めて馬車の窓から外を覗く。同じように覗くと、民家のひとつもない山道に入っている。

「……どこへ向かっている?」
「国境の方です」

 御者に声をかけようと小窓を開けようとしたが、外から鍵が掛かっている。

 誘拐か。
 国境へ向かう山道ということは、さっき聞いた、山賊が増えたのにハーマン男爵が自宅警護の為に警備を剥がした場所だ。

「リリア、貴女はここから歩いて街に帰れるか?」
「帰れると思います」
「荷物に、大事なものは?」
「ありません」
「飛び降りる。舌を噛まないように食いしばって」

 マティアスは扉を蹴破り、リリアを抱えて飛び降りる。御者が慌てて馬を止めようと手綱を引いた。マティアスはリリアを抱えたまま脇の森へ飛び込み、下生えの間をぬうように走りぬける。背後で御者が笛を鳴らす音が聞こえる。
 暫く走ると密集する木々の幹に、大きなうろが幾つもできている。追手の気配がないことを確認して茂みの陰になっているその一つにリリアを放り込む。

「迎えに来なかったら、出来るだけ時間が経ってから街に帰れ。エルザと会えたら、一人にはならないように」

 そう言い残し、方角を変えて更に森の奥へ走る。
 笛の音はおそらく増援を呼んでいる。
 リリアを置いてきた場所から離れ、まだ追手の気配がないことを確認してから、街道に戻る。

「いたぞ!」

 夕闇の中、駆け寄ってくる男たちはアルムベルクの街では見かけない独特の民族衣装を着ている。御者だった男は鞭ではなく棍を握り、笛の音で駆けつけたのか、人数が五人に増えていた。

「女がいない」
「もういいんじゃねぇか、あれ、子どもだっただろ」
「馬鹿、若が両方連れてこいって言ってただろ」

 目的は分からないが、リリアを見逃すかどうかで意見が割れている。

「彼女を見逃してくれたら、俺もできる譲歩はするぞ」

 マティアスはそう言って剣を構えた。

「そんな強がりを、いつまで言ってられるかな。おい」

 リーダー格の男が顎をしゃくる。四人が一斉に飛び掛かる。
 マティアスはその一人に狙いを定めて斬りつける。返す刃で飛び掛かってきた一人を迎え、その体を蹴って三人目にぶつける。後ろから振り下ろされた棍を剣で弾き、空いた胴にそのまま剣を振り下ろす。剣を左手に持ち替え、傷を押さえて蹲る男から棍を奪い、駆け出した男の頭上にその先端を叩きつけた。
 瞬く間に四人を負傷させたマティアスに、リーダー格の男が怯む。

「………王都の、坊ちゃんじゃなかったのかよ……」
「狙いは俺か。何が目的だ」

 男は忌々しそうな顔でマティアスを睨む。

「答えないなら、新しい仲間を呼ぶ前にお前も斬る」

「もう遅ぇよ」

 背後から聞こえた声に振り向くと、四頭の大きな犬を従えた男が立っていた。

「動くな。動いたらこいつらが喉を食い破―――」

 喋り終わらないうちに、マティアスは男に駆け寄り棍を振り下ろす。一頭の犬がマティアスの手元に飛びかかり、棍の先端は男の肩を掠めて地面を打った。

「……っだこいつ、正気か!?」

 右手に噛みつかれたまま、マティアスは左の剣を薙ぐ。飛びかかろうとしていた犬が二頭、甲高い悲鳴をあげる。振った剣の柄で右手の犬の眉間を打ち、拳を犬の口へ捩じ込む。後退った犬を放って、歯形のついた右手で棍をそのまま男の腹に打ち付けた。
 飛ばされて尻餅をついた男が腹を押さえながら叫んだ。

「待て! 女がどうなってもいいのか!!」

 男の手には、先ほどまでリリアの髪を纏めていたリボンが握られていた。

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