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第1話 兄は引きこもり

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 2010年、5月10日、午前7時40分。




 ーー私の兄は部屋に引きこもった。


 ◆

 あれから3年が経過したある日の事。
 お風呂から上がった私は髪をバスタオルで拭きながら2階の自室へと戻る途中、ふと隣の部屋の入り口に目線が行った。

 部屋のドアの前にはトレイの上にいくつかの食器。
 食器の上には誰かの食べカスが少し残っている。
 それを見た私の顔は頬の筋肉が引きつっていくのが感覚的にわかった。

 ーーキモい、キモい、気持ち悪い。

 そう頭の中で何度も同じ言葉しか出てこない。

「バカじゃないの」

 私の口から出てきた第一声はまさにそれなんだけど。
 ただただ、それしか出てこなくて私はそっぽを向きながら自室に戻った。
 部屋に戻ると私はベッドに仰向けで倒れこみ考えにふけった。

 なんでこうなっちゃったのかな。

「バーカ」

 事の始まりは、私が10歳のとある日の朝。
 私がいつものように学校へ行く支度をし階段を下りリビングへ向かっていると父が慌てて飛び出し二階へと登っていく。

 何あれ、あんな顔した父は見た事もない。

 私がリビングに入ると何故か母が頭を抱えていた。

「お母さん、どうしたの?」
「あ、りりちゃん……」

 なんか母まで変なんですけど。

「なんか、今日変だよ? お父さんもお母さんも」
「あのね、りりちゃん、お兄ちゃんがーー」

 そう母が言いかけた時、二階から響く父の怒鳴り声とドアを激しく叩く音。

 私はびっくりした。
 いつも温厚で優しい父があんな見た事もない形相で2階へ行き怒鳴っている。

 私がリビングを出ようとした時、母が私の腕を掴み首を振る。

 え? 今は行かないほうがいいという事なのかな? これは。

 その後父がため息をつきながらリビングへ戻ってくるなり「だめだ、出てこない」 と母に向かい言っている。

 出てこない? どういう事? さっぱり意味がわからない。
 もう少しわかるように説明してくれませんかね? 
 そこから私の頭の中で脳内会議が始まった。

 母と父の言動から、私に理解できたのは「お兄ちゃん」と「出てこない」という二つの単語。

 出てこないってどこから? 父の行動をよく思い出してみる。
 父はリビングからすごい形相で2階へ向かった。
 2階? 何故? 2階には誰かがいる?  


 ーーあ!


 その瞬間私の脳内会議に幕が下りた。

 繋げてみると1つの言葉になるんだよね。


 ーーお兄ちゃんが出てこない。


 お兄ちゃんが出てこない2階から、そうなった。
 2階、そこにはお兄ちゃんの部屋がある。

 つまり、お兄ちゃんが部屋から出てこない、こうなるわけなんだよねぇ。

 どういう事これは。
 部屋から出てこないってもしかしたら何かあった?
 なにか病気にでもなったのかな……?
 私は幼いながらもその小さな頭で考えたんだけど、その時はまだあまり理解できていなかった。


 ーー3年が経った。


 その事を理解できたのは私が13歳の時。
 どうやら兄は引きこもりだったらしい。

 それがわかったのは中学に入学した時。
 たまたま仲良くなった友達に話した時、「それって引きこもりじゃないの?」 と言われて初めてわかった。

 引きこもり、何が原因かはわからないけど、急に心を閉ざし部屋から出てこない。

 ーー 一体お兄ちゃんに何があったのか。

 父に関しては「あいつはもうずっとこれからもあのままだ」なんて言っちゃって母に関しては「いつかきっと出てくるよ」とか言っている。

 その後の中学3年間はそりゃもう地獄のような日々だった。

 私のお兄ちゃんは引きこもりと言う噂が瞬く間に学校中に広まった。
 周りから嘲笑われ、なかなか友達も出来なく、イジメられたりもした。


 ーーその時私はお兄ちゃんが大嫌いになった。


 そして現在、私は16歳、楽しい高校生活を送っている。
 友達も少しは出来た。
 恋愛もした。
 けど、問題が一つだけ。

 ーー友達、彼氏を自宅に呼べない。

 まさにこれ。

 仮にきたとして、私の部屋に来るには必ず、兄の部屋の扉が目に入る。
 この傷だらけのドアを誰が気にしないでいられるだろうか?

 一度だけ、彼氏を家に連れてきた事がある。

 彼氏とリビングで二人で過ごし、いい感じの雰囲気になり「お前の部屋に行きたい」そう言われ仕方なく向かうと彼氏にドン引きされ終わった。

 それ以来、誰も家に連れてこれないでいる。

 ある日の夜中、私はふとトイレに行こうと眠たい目で廊下に出ると、兄の部屋のドアの下から微かに見える明かり。

 まだ、起きてるんだ。ふとスマホで時間を見ると午前2時。
 一体いつまで起きてるんだろうか?
 本当に毎日どんな生活を送っているんだ。
 私にはこんなただ部屋から出ない生活なんて信じられない。
 果たして兄はどんな気持ちで生活しているんだろうか?

 ーーその時は全くまだわからなかった。

 次の日の夜いつものように父、母と3人の食事。
 ふと隣の席を見ると一つだけ空白の席。

 まぁ、いつもとかわらないんだよねぇ。

 食事をした後母が洗い物をしてる時ふと聞いてみた。

「お母さん」
「どうしたの? りりちゃん?」
「お兄ちゃんさ」

 そう言いかけた時、母は急に洗い物の手を止め私にだきついてきた。

「ごめんね……ごめんね……りりちゃん」

 母の目には大粒の何かが溢れ出ていた。


 ーーそれは涙だった。


 それを見たとき私は、お兄ちゃんを許せなかった。
 あいつのせいで家族がおかしくなった。
 そんな気持ちだけが込み上げてただただ恨んだ。

 そんな日常が続き、とある日の夜中、私はトイレに行きたくなり目が覚めた。
 部屋のドアを開けトイレへ向かうと電気がついている。

 あれ? 誰だろ?

 そんな事を思っていると、トイレから出てきたのは何年ぶりにその姿を見たであろう、お兄ちゃんだった。

 お兄ちゃんの姿を見たとき私は全身が凍りつくかのような感覚に陥っていた。

 顔はげっそり痩せ細り、体格もガリガリ、腰まで伸びているであろう長い髪。

 は? これが久々に見た私のお兄ちゃんの姿……?


 ーー 私は思わず号泣してしまった。


 嫌いとか憎いとか気持ち悪いとかそんな気持ちは一瞬にして消えた。

「あんたさ……このままずっと引きこもってるつもり?」

 私が問いかけると、無言のまま私の前を通り過ぎゆっくりと階段を登っていく。

「ちょっと……待ってよ!」

 私はお兄ちゃんの腕を掴むと、あっさりその腕を振り払われた。

「お前には、関係ない、俺に関わるなよ」

 その時の言葉が辛いのなんのって、まったく。

「私、何かできるなら、なんでも力になるからっ!」

 私が泣きながらそう言うとお兄ちゃんは冷めた目つきで私を見下ろして言った。

「お前には、無理だよ、頼むからほっといてくれ」

 そう言うとお兄ちゃんは自分の部屋に戻っていった。

 私はしばらくその場に立ち尽くしていたが、そのお兄ちゃんの言葉を聞き、負けられない!  そう強く思った。

 もう~~! 見てなさいよ!   絶対あんたを引きこもりから脱出させるんだから!

 この日から私とお兄ちゃんの引きこもり脱出戦争が幕を開けた。

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