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開かれ行く扉
思い出の中の人
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こんな幻の様な場所でも陽はちゃんと暮れていく。
この途方もない展開の前にヴィクトーは途方に暮れながら日中ずっとこの丘で過ごした。
老人に何か思い出してもらおうとあれこれと話しかけてはみたが、それは徒労に終わり、なす術のないヴィクトーはそれでもこの場を去り難かった。
やがて鈴の音を鳴らしながら水牛もどきが自分で勝手に家路へと戻って行こうとしていた。
それに合わせる様に、記憶を無くしたルネと思しき老人は徐に立ち上がり、必死に自分に何かを語りかけて来るヴィクトーに何か心を打つものを感じたのか、老人はヴィクトーの手を引いて自分の寝ぐらへと誘っている様だった。
終始涙目のヴィクトーは老人に連れられるまま黙って丘を下っていく。皆もそれに着いて行くしか無い。
こんなに憔悴したヴィクトーをエリックは見たことがない。
大の男がまるで少年に戻ってしまった様に弱々しく物言わない老人に手を引かれて行く。
その光景はやはり二人が親子だと言うことを確信させられた。
連れてこられたのはモンゴルのパオに似た造りのテント小屋だった。ふかふかの絨毯はあの部族が纏っていた着物と同じ物だった。低いテーブルや少ない食器類。簡素で質素なその佇まいは老人は一人で暮らしていることが伺えた。
皆がテントの中へと入ると、老人は「オウム…オウム…」と言って座る様に促して来る。
恐らく彼が言語として覚えているのは「フランス人の嫌いな十番目のオウム」と言う言葉だけなのかもしれない。
彼はここの部族の囀りを使わない。いや使えないのかもしれない。だとしたら、この場所で随分と孤独な時間を過ごしてきたに違いない。
ヴィクトーはそう思うだけで堪らない気持ちになり、また涙で目頭が熱くなった。
皆が勧められるまま座ろうとした時、突然テントが捲られた。
皆一瞬身構えたが、中に入って来たのは小柄なこの部族の女性だった。
こっちは驚いたが女性は部族の男達にヴィクトー達の事を聞いていたのか驚きもせずに無表情のまま中へと入って来ると、籠に入れられた食べ物をドサリとテーブルの上へと置いた。
この女性とルネはどんな関係なんだろうか。
少なくとも、衣食住はこの部族の親切に預かっているのだと言うことだけは分かった。
食料品を置き終えると女性は黙ってテントを出て行こうとしていた。
「あの、ーー有難う」
そうヴィクトーが声をかけた。
彼女に何か言ったところで通じないと思われたが、人の気持ちと言うものは心を込めれば伝わるものだ。
女性は口元を微かに微かに綻ばせながらテントの外へと出ていった。
「彼らと片言でも話が出来たら良いのに…」
エリックの零した一言はそのまま皆の気持ちだった。
ルネがどうやって助けられたのか、どうやって生きてきたのか。
「父さん、なあ…父さん…何か他に覚えている事は無いか?オウム以外のなんでも良いんだ…」
そう言うヴィクトーにルネは何を言われているか分からない様子で、まるで子供の様な目をして首を横に振るのだった。
女性が持って来た食事がルネから皆に振る舞われた。
テーブルを囲んで皆車座になり、少し塩気のある固いパンと恐らくは水牛もどきの乳と思しきものを、何かの干し肉と共に夕食として頂いた。
静かな夕食だったが、不思議と気まずさのようなものはなかった。タオもシュアンもそして他の現地スタッフも今は心穏やかだった。
食後何も示し合わせた訳でもないのにヴィクトーとエリックはテントの外へと空気を吸いに出て来ていた。
「参ったよ、こんな事になるなんて…。しかも遺跡の事どころかオレの事も忘れてしまっているなんてね」
「ヴィクトー…。お父様が生きていたのが分かっただけでも良かったと僕は思います」
柵の上に力無く背を丸めて腰かけるヴィクトーの膝に
エリックが両手を置いて慰めた。
「そうだな、明日からはまた遺跡を探さないとな。なんだか衝撃的すぎて本来の目的を見失いそうだ」
「崖の下の人たちはどうしているでしょうね。僕たちを心配しているでしょうか」
「早く遺跡なり石碑なり見つけて戻らないとな。グリンダもエルネストも待ってる」
「エルネストさんはお父様の事、驚くでしょうね」
「そうだな、エルネストならきっと凄く喜ぶだろう。例え自分のことも忘れ去られていたとしても…」
「…お父さんは連れて帰るの?」
「…分からない。今となってはどちらに居るのが彼にとっての幸せなのか…どうすれば良いのか、今はまだ何も…」
隣に腰を下ろしたエリックが、項垂れるヴィクトーの肩に頭を預けた。
二人は互いに寄り添いながら心を支え合っているように見えた。
ルネはもう自分の知っている父親ではない。
思い出の中だけに生きている人なんだと、ヴィクトーは繰り返し自分に言い聞かせていた。
そんな二人の様子をテントから外に出てこようとしていたシュアンが見つめていた。
自分もヴィクトーを慰めたかったが、それは自分の役目ではない気がして、少し寂しそうな顔をしてシュアンはテントの中へと引っ込んだ。
その夜は何処からともなく現れた部族の男達があっという間にいくつかテントを建ててくれた。
恐らく、ルネと同じ世界から来ている事が分かってヴィクトー達にも気を許してくれたのだ。
あの「十番目のオウム」と言う合言葉で通されたと思っていたが、それは合言葉などではなく、ルネが話している唯一の言葉だったから。
裏を返せば誰でも村に入れると言うわけでは無いと言う事なのだ。
この村でルネ以外、ヴィクトー達はここにいる事を唯一許された異邦人なのだ。
この世界の外側には戦争や貧困や人間の果てしなく醜い欲望や飽食が渦巻いている。
そんなものから完全に決別する事を選んだ彼らは、このささやかで揺るぎない平和な世界を営々と守り抜くことを選択した。
勿論、これはヴィクトー達の憶測なのかもしれないが、この牧歌的で穏やかな空気に触れた時、ここが地上で最後のユートピアだと感じる事が出来るのだ。
だがそんな美しい世界に今ドス黒いものが流れ込もうとしていた。
その日密林に大きな爆発音が轟いた。
一斉に鳥達は飛び立ち、密林の生き物達は逃げ惑った。
その轟音はこの隔絶された村にも鳴り響いた。
この途方もない展開の前にヴィクトーは途方に暮れながら日中ずっとこの丘で過ごした。
老人に何か思い出してもらおうとあれこれと話しかけてはみたが、それは徒労に終わり、なす術のないヴィクトーはそれでもこの場を去り難かった。
やがて鈴の音を鳴らしながら水牛もどきが自分で勝手に家路へと戻って行こうとしていた。
それに合わせる様に、記憶を無くしたルネと思しき老人は徐に立ち上がり、必死に自分に何かを語りかけて来るヴィクトーに何か心を打つものを感じたのか、老人はヴィクトーの手を引いて自分の寝ぐらへと誘っている様だった。
終始涙目のヴィクトーは老人に連れられるまま黙って丘を下っていく。皆もそれに着いて行くしか無い。
こんなに憔悴したヴィクトーをエリックは見たことがない。
大の男がまるで少年に戻ってしまった様に弱々しく物言わない老人に手を引かれて行く。
その光景はやはり二人が親子だと言うことを確信させられた。
連れてこられたのはモンゴルのパオに似た造りのテント小屋だった。ふかふかの絨毯はあの部族が纏っていた着物と同じ物だった。低いテーブルや少ない食器類。簡素で質素なその佇まいは老人は一人で暮らしていることが伺えた。
皆がテントの中へと入ると、老人は「オウム…オウム…」と言って座る様に促して来る。
恐らく彼が言語として覚えているのは「フランス人の嫌いな十番目のオウム」と言う言葉だけなのかもしれない。
彼はここの部族の囀りを使わない。いや使えないのかもしれない。だとしたら、この場所で随分と孤独な時間を過ごしてきたに違いない。
ヴィクトーはそう思うだけで堪らない気持ちになり、また涙で目頭が熱くなった。
皆が勧められるまま座ろうとした時、突然テントが捲られた。
皆一瞬身構えたが、中に入って来たのは小柄なこの部族の女性だった。
こっちは驚いたが女性は部族の男達にヴィクトー達の事を聞いていたのか驚きもせずに無表情のまま中へと入って来ると、籠に入れられた食べ物をドサリとテーブルの上へと置いた。
この女性とルネはどんな関係なんだろうか。
少なくとも、衣食住はこの部族の親切に預かっているのだと言うことだけは分かった。
食料品を置き終えると女性は黙ってテントを出て行こうとしていた。
「あの、ーー有難う」
そうヴィクトーが声をかけた。
彼女に何か言ったところで通じないと思われたが、人の気持ちと言うものは心を込めれば伝わるものだ。
女性は口元を微かに微かに綻ばせながらテントの外へと出ていった。
「彼らと片言でも話が出来たら良いのに…」
エリックの零した一言はそのまま皆の気持ちだった。
ルネがどうやって助けられたのか、どうやって生きてきたのか。
「父さん、なあ…父さん…何か他に覚えている事は無いか?オウム以外のなんでも良いんだ…」
そう言うヴィクトーにルネは何を言われているか分からない様子で、まるで子供の様な目をして首を横に振るのだった。
女性が持って来た食事がルネから皆に振る舞われた。
テーブルを囲んで皆車座になり、少し塩気のある固いパンと恐らくは水牛もどきの乳と思しきものを、何かの干し肉と共に夕食として頂いた。
静かな夕食だったが、不思議と気まずさのようなものはなかった。タオもシュアンもそして他の現地スタッフも今は心穏やかだった。
食後何も示し合わせた訳でもないのにヴィクトーとエリックはテントの外へと空気を吸いに出て来ていた。
「参ったよ、こんな事になるなんて…。しかも遺跡の事どころかオレの事も忘れてしまっているなんてね」
「ヴィクトー…。お父様が生きていたのが分かっただけでも良かったと僕は思います」
柵の上に力無く背を丸めて腰かけるヴィクトーの膝に
エリックが両手を置いて慰めた。
「そうだな、明日からはまた遺跡を探さないとな。なんだか衝撃的すぎて本来の目的を見失いそうだ」
「崖の下の人たちはどうしているでしょうね。僕たちを心配しているでしょうか」
「早く遺跡なり石碑なり見つけて戻らないとな。グリンダもエルネストも待ってる」
「エルネストさんはお父様の事、驚くでしょうね」
「そうだな、エルネストならきっと凄く喜ぶだろう。例え自分のことも忘れ去られていたとしても…」
「…お父さんは連れて帰るの?」
「…分からない。今となってはどちらに居るのが彼にとっての幸せなのか…どうすれば良いのか、今はまだ何も…」
隣に腰を下ろしたエリックが、項垂れるヴィクトーの肩に頭を預けた。
二人は互いに寄り添いながら心を支え合っているように見えた。
ルネはもう自分の知っている父親ではない。
思い出の中だけに生きている人なんだと、ヴィクトーは繰り返し自分に言い聞かせていた。
そんな二人の様子をテントから外に出てこようとしていたシュアンが見つめていた。
自分もヴィクトーを慰めたかったが、それは自分の役目ではない気がして、少し寂しそうな顔をしてシュアンはテントの中へと引っ込んだ。
その夜は何処からともなく現れた部族の男達があっという間にいくつかテントを建ててくれた。
恐らく、ルネと同じ世界から来ている事が分かってヴィクトー達にも気を許してくれたのだ。
あの「十番目のオウム」と言う合言葉で通されたと思っていたが、それは合言葉などではなく、ルネが話している唯一の言葉だったから。
裏を返せば誰でも村に入れると言うわけでは無いと言う事なのだ。
この村でルネ以外、ヴィクトー達はここにいる事を唯一許された異邦人なのだ。
この世界の外側には戦争や貧困や人間の果てしなく醜い欲望や飽食が渦巻いている。
そんなものから完全に決別する事を選んだ彼らは、このささやかで揺るぎない平和な世界を営々と守り抜くことを選択した。
勿論、これはヴィクトー達の憶測なのかもしれないが、この牧歌的で穏やかな空気に触れた時、ここが地上で最後のユートピアだと感じる事が出来るのだ。
だがそんな美しい世界に今ドス黒いものが流れ込もうとしていた。
その日密林に大きな爆発音が轟いた。
一斉に鳥達は飛び立ち、密林の生き物達は逃げ惑った。
その轟音はこの隔絶された村にも鳴り響いた。
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