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開かれ行く扉
心ままに
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密林の岩山から見上げた空は満点の星空だった。
焚き火の火の粉が空に吸われたようなキラキラとしたな小さな星が紺青の空に瞬いている。
タオは一人、しばし青い密林の湿った空気に包まれながら心穏やかなひと時に身を置いていた。
今ここには革命の闘争も学院長の重圧も、両親への呵責も、心がヒリヒリするような事は何も無い。
思えば極東学院に入ると決めた頃は、少なからず自分だって考古学に興味があった筈だ。極東学院はアジアにおける遺跡や考古学研究の中心でもあった。だからこそ入学を決めたのに、いつの間にか他のことに囚われて、考古学から気持ちが遠のいていた。
今回、ヴィクトー達と遺跡探索に同行した事で、自分の一番純粋だった頃の気持ちが蘇ってくるのを感じる。
このままずっと、ヴィクトー達と遺跡を追いかけていたい。
それがタオの今の正直な気持ちだった。
「……眠れないのですか?」
不意に背後から声がした。物思いに耽っていたタオの意識がその声の主に注がれた。
焚き火の炎に金色に照らされた人の影がタオに近づいて来る。
シュアンだった。
「どうしたんですか?タオさん、眠れないんですか?」
気遣わしげにシュアンはタオの隣へと腰を下ろした。
「いや、僕は…勿体無いほどの静寂を貪りにね。君こそ、眠れないの?」
そうタオが尋ねると、シュアンははにかむような、それでいて酷く寂しそうな眼差しでヴィクトーとエリックの眠るテントへと視線を馳せた。
その憂を含んだ眼差しの意味を、タオは知っている。
「残酷な話だよね。ヴィクトーもエリックも、勿論君も誰一人悪くないのに」
そういうと、しばらくシュアンは黙って夜空を眺めていた。
「私たちに纏《まつ》わるこの謎をちゃんと解き明かしたいですね…そしたらきっと…」
きっとどうなるんだろう。
シュアンは言葉を途切らせた。
誰にとっても大切なことが、誰にとっても幸せな結末になるとは限らない。
それでも、其々の終わりに向かって歩くしかないのだ。
「大丈夫だよ、きっと全て上手くいく」
「そうですね」と、シュアンは笑って頷いた。
でもこれは気休めなのだ。
二人とも良く分かっていながら分からないふりをしている。
「タオさんは優しいですね。兄とは大違い。きっと兄なら下らん、の一言で終わりです」
久しぶりに彼の口から兄という言葉を聞いた気がした。あの緑の煙突に一人残してきた彼の兄、ライの事をタオは懐かしく思い出していた。
「ライはどうしてるかなあ。大人しく隠れていろと言ったってどうせじっとなんかしてる人じゃ無いだろう」
「そうですね、便りがないのが無事な証拠と言うような人ですから、いつかひょっこり顔を出しに来ると思います。無茶して捕まったりしなければですが…」
そう言って二人で笑っていた時だった。
タオは岩山の下の尾根沿いに松明の瞬きが見えた気がして咄嗟に口を噤んだ。
急に黙り込んだタオにシュアンは不思議そうな顔をした。
「どうしたんですか?」
いいや、何でもないよとタオは首を横に張り、手を差し出してシュアンが立つのを促した。
「さあ、そろそろテントに戻った方が良いね。皆んなが起きて来ちゃいそうだ」
シュアンは立ち上がると、お休みなさいと言って自分のテントへと戻っていった。
だがタオは自分のテントには戻らなかった。
崖の下に見えた灯りがどうしても気になったのだ。
ランタンとナイフだけを手に一人、灯りの正体を目指して山を降りていた。
「おい、松明の灯りを抑えた方が良いんじゃないか?あそこから見下ろされたら丸見えだ」
「大丈夫だって、こんな真夜中にあいつら起きてるもんか」
テントもなく、焚き火も炊かず、一つの松明だけを頼りに二人の男達がちょっとした岩の隙間に挟まるように身を隠していた。
それはあの極東学院から派遣された二人の学生達だった。
ここまで険しい密林を、良くこの軽装備で来られたものだが、こう言うのを運がいいというのだろうか。
タオと連絡をつけるため、ヴィクトー達の隊を必死に追ってここまで来た二人だった。
がさっ!
「わっ!」
カサカサ…
「…っ!」
密林のあらゆる物音に怯え、どこに潜んでいるかわからない虎やその他の密林の獣達にあまりにも無防備な二人だった。
「なあ、今夜中にあそこまで登っちまおう。こんな所にいるより安全じゃないか?それに夜の方がタオ一人に接触するには都合がいいし」
「でもなあ、オレ達ここまでろくに休んでいないんだぜ?昼間はまた移動するんだろう?そしたら寝る暇なんて無くなるぜ?」
「どうせなら引き返して見るって言うのは?」
突然彼らの頭上から人の声がして二人は慄き、首を縮こませながら上を伺った。
折り重なる緑の葉影から、男の顔がぬっと現れた時には悲鳴に近い声を上げて二人の男は抱き合っていた。
「ひぃぃ!た、助けてっ!食っても美味くないからっ!」
怯えまくっている男達は現れたタオの事を何だと思っているのだろう。
「そんなに怯えるなよ。君たち僕を探しに来た極東学院の生徒なんだろ?」
タオは木の上から降って来ると怯える二人の前に立ちはだかった。
「た、タオ…っ、あんたがタオか?!」
「そうだよ。情報を取りに来たの?」
「そ、そうだ。学院長が分かった事を…」
「報告しろって?…それで君たち、学費を免除してくれるって言われたんだね、僕のように」
「そ、そうだ、」
「でも、それを持ち帰ったら本当にそれだけで終わると思うかい?」
そう言われて学生達は顔を見合わせた。
その事は今まで彼らとて考えなかったわけではない。
薄らと疑問だった事に初めて正面から向き合った。そんな顔だった。
「いいかい?この後の僕の話を聞いても、まだ学院長について行きたいか、じっくりと考えてみて欲しい」
きっとこれは学院長への裏切り行為なんだろう。
それでこの先、自分の身の上がどうなって行くかは分からないが、タオにはもう答えが出ていた。
心の思うまま。
己に嘘の無いように生きよう。
焚き火の火の粉が空に吸われたようなキラキラとしたな小さな星が紺青の空に瞬いている。
タオは一人、しばし青い密林の湿った空気に包まれながら心穏やかなひと時に身を置いていた。
今ここには革命の闘争も学院長の重圧も、両親への呵責も、心がヒリヒリするような事は何も無い。
思えば極東学院に入ると決めた頃は、少なからず自分だって考古学に興味があった筈だ。極東学院はアジアにおける遺跡や考古学研究の中心でもあった。だからこそ入学を決めたのに、いつの間にか他のことに囚われて、考古学から気持ちが遠のいていた。
今回、ヴィクトー達と遺跡探索に同行した事で、自分の一番純粋だった頃の気持ちが蘇ってくるのを感じる。
このままずっと、ヴィクトー達と遺跡を追いかけていたい。
それがタオの今の正直な気持ちだった。
「……眠れないのですか?」
不意に背後から声がした。物思いに耽っていたタオの意識がその声の主に注がれた。
焚き火の炎に金色に照らされた人の影がタオに近づいて来る。
シュアンだった。
「どうしたんですか?タオさん、眠れないんですか?」
気遣わしげにシュアンはタオの隣へと腰を下ろした。
「いや、僕は…勿体無いほどの静寂を貪りにね。君こそ、眠れないの?」
そうタオが尋ねると、シュアンははにかむような、それでいて酷く寂しそうな眼差しでヴィクトーとエリックの眠るテントへと視線を馳せた。
その憂を含んだ眼差しの意味を、タオは知っている。
「残酷な話だよね。ヴィクトーもエリックも、勿論君も誰一人悪くないのに」
そういうと、しばらくシュアンは黙って夜空を眺めていた。
「私たちに纏《まつ》わるこの謎をちゃんと解き明かしたいですね…そしたらきっと…」
きっとどうなるんだろう。
シュアンは言葉を途切らせた。
誰にとっても大切なことが、誰にとっても幸せな結末になるとは限らない。
それでも、其々の終わりに向かって歩くしかないのだ。
「大丈夫だよ、きっと全て上手くいく」
「そうですね」と、シュアンは笑って頷いた。
でもこれは気休めなのだ。
二人とも良く分かっていながら分からないふりをしている。
「タオさんは優しいですね。兄とは大違い。きっと兄なら下らん、の一言で終わりです」
久しぶりに彼の口から兄という言葉を聞いた気がした。あの緑の煙突に一人残してきた彼の兄、ライの事をタオは懐かしく思い出していた。
「ライはどうしてるかなあ。大人しく隠れていろと言ったってどうせじっとなんかしてる人じゃ無いだろう」
「そうですね、便りがないのが無事な証拠と言うような人ですから、いつかひょっこり顔を出しに来ると思います。無茶して捕まったりしなければですが…」
そう言って二人で笑っていた時だった。
タオは岩山の下の尾根沿いに松明の瞬きが見えた気がして咄嗟に口を噤んだ。
急に黙り込んだタオにシュアンは不思議そうな顔をした。
「どうしたんですか?」
いいや、何でもないよとタオは首を横に張り、手を差し出してシュアンが立つのを促した。
「さあ、そろそろテントに戻った方が良いね。皆んなが起きて来ちゃいそうだ」
シュアンは立ち上がると、お休みなさいと言って自分のテントへと戻っていった。
だがタオは自分のテントには戻らなかった。
崖の下に見えた灯りがどうしても気になったのだ。
ランタンとナイフだけを手に一人、灯りの正体を目指して山を降りていた。
「おい、松明の灯りを抑えた方が良いんじゃないか?あそこから見下ろされたら丸見えだ」
「大丈夫だって、こんな真夜中にあいつら起きてるもんか」
テントもなく、焚き火も炊かず、一つの松明だけを頼りに二人の男達がちょっとした岩の隙間に挟まるように身を隠していた。
それはあの極東学院から派遣された二人の学生達だった。
ここまで険しい密林を、良くこの軽装備で来られたものだが、こう言うのを運がいいというのだろうか。
タオと連絡をつけるため、ヴィクトー達の隊を必死に追ってここまで来た二人だった。
がさっ!
「わっ!」
カサカサ…
「…っ!」
密林のあらゆる物音に怯え、どこに潜んでいるかわからない虎やその他の密林の獣達にあまりにも無防備な二人だった。
「なあ、今夜中にあそこまで登っちまおう。こんな所にいるより安全じゃないか?それに夜の方がタオ一人に接触するには都合がいいし」
「でもなあ、オレ達ここまでろくに休んでいないんだぜ?昼間はまた移動するんだろう?そしたら寝る暇なんて無くなるぜ?」
「どうせなら引き返して見るって言うのは?」
突然彼らの頭上から人の声がして二人は慄き、首を縮こませながら上を伺った。
折り重なる緑の葉影から、男の顔がぬっと現れた時には悲鳴に近い声を上げて二人の男は抱き合っていた。
「ひぃぃ!た、助けてっ!食っても美味くないからっ!」
怯えまくっている男達は現れたタオの事を何だと思っているのだろう。
「そんなに怯えるなよ。君たち僕を探しに来た極東学院の生徒なんだろ?」
タオは木の上から降って来ると怯える二人の前に立ちはだかった。
「た、タオ…っ、あんたがタオか?!」
「そうだよ。情報を取りに来たの?」
「そ、そうだ。学院長が分かった事を…」
「報告しろって?…それで君たち、学費を免除してくれるって言われたんだね、僕のように」
「そ、そうだ、」
「でも、それを持ち帰ったら本当にそれだけで終わると思うかい?」
そう言われて学生達は顔を見合わせた。
その事は今まで彼らとて考えなかったわけではない。
薄らと疑問だった事に初めて正面から向き合った。そんな顔だった。
「いいかい?この後の僕の話を聞いても、まだ学院長について行きたいか、じっくりと考えてみて欲しい」
きっとこれは学院長への裏切り行為なんだろう。
それでこの先、自分の身の上がどうなって行くかは分からないが、タオにはもう答えが出ていた。
心の思うまま。
己に嘘の無いように生きよう。
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