化け物の棺

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朧げな黒雲

雨季の終わりに

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多くの古代文字がそうであるように、この緑の煙突から持ち帰った文字がエジプトの古代文字、或いはメソポタミアに起源があると仮定して比較研究は進められたが、それよりもっと古い紀元前五千年のシュメール文字に類似点が多いことが朧げながら分かって来た。
文字と言うのは派生していく過程において、複雑なものから単純化されていくと言うのが常であるのに対して、まるでこの緑の煙突から持ち帰った文字がシュメール文字より先にあるかのような印象を受けるのだ。
もしかしたら、この文字が最古の文字になるのかもしれない。
そんな事を二人は同じように考えていた。

女、男、太陽、川など、分かりやすいものはその文字の形と幾つかの共通点から割り出せた。
それに伴って良く使われる一塊の単語や類似する文章が存在することも朧げながらわかって来た。
文字一つで意味をなすものとアルファベットのように記号として文字が使われているものが混在している事も分かってきた。
全部で文字は4000種類もあり、うち単語と思われるものが300程確認された。それらを駆使して書かれている事がわかったが、相変わらず意味がさっぱりだった。
せめてロゼッタストーンのように、神官文字であるヒエログリフ、その簡易文字であるデモティック、そして既存のギリシャ文字の三種類で書かれていたなら、解読もずっと楽だったに違いない。
ロゼッタストーンの場合は決定的だったのはギリシャ文字だ。
そのおかげでヒエログリフもデモティックも解読できたのだ。

「もっとこいつの文字サンプルがたくさんあればねえ。
ヴィクトー、アンタ他にも同じようなものがあると言ったねえ?」
「ええ、雨季が終われば案内してくれると知人が言ってましたから」
「あぁあー!全く!忌々しい雨だ!」

そう嘆く魔女の背後では今日も土砂降りの雨が窓に叩きつけていた。ヴィクトーはため息混じりに手元の文字に視線を落とす。

「男、女、このもう一つの文字は何でしょうね。何回も出てくる文字なんですが…大事な意味があるように思えるんですがねえ…」

こんな不毛な会話ばかり、かれこれ三ヶ月も続いていたが、雨季が始まってからはや五ヶ月。十一月に入ればそろそろ乾季が巡ってくる季節になっていた。




◆◆◆


「ふふっ、もう間もなくヴィクトーに会えますね」

指先に絡んでくる二匹の蝶に、シュアンは嬉しそうに話しかけていた。
そうなれば、何日間も寺院を留守にする事になる。
道女長様には何と言ったらいいだろう。
そう思うよりも、今はヴィクトーに会えることの方がシュアンには嬉しかった。
きっと行くとなれば、道女長様がいくら止めても自分は行くだろうとシュアンは思っていた。
そんな時だ。待ちに待ったヴィクトーからの手紙が届いたのだ。
手紙は二通認められていた。一通は勿論シュアンに。そしてもう一通は道女長宛になっていた。
それはフランス本国政府からの正式なオファーと言う形の手紙だった。
文化遺産に関する調査を、レンドン師の検知も交えて検証してみたいと言う、多少苦しくて多少不可解な形の要請だった。
けれども本国フランスの要請を無視することもできず、三聖母教会の道女長はこの申し出を断りきれなかったのだ。
この手紙に関しては、当然フランス政府に太いパイプ
を持つエルネストの尽力だったのは言うまでも無い。
一方、シュアンの手紙には、今から十日後、支度が整い次第迎えに行くと書いてあった。
当然ヴィクトーも本腰を入れて遺跡調査をするのだから、例え少人数だとしても調査隊を組み、現地の人を雇い、それなりの装備を整えて臨むのだと思われた。




「人数は今回は十人。俺とエリック。エルネストは仕事があって今回は無理だそうだから、後はシュアンと現地スタッフ七人でいく事にしたよ」

そう言うヴィクトー、にタオは自分も連れて行って欲しいと頼んでいた。
行きたく無いが、行かなくてはならない。
学院長が調査の結果を手ぐすね引いて待ち構えているのだ。逐一報告をしなければ両親が危ういのだ。
それを思うとタオは心も足も重かった。

「人数が多いのは有難い。君は極東学院の学生だし、考古学と無縁では無い筈だ。人手があるのは有難い」

何も知らないヴィクトーは心から彼の調査隊への参加を喜んでいた。
もう一人、心が浮かなかったのはエリックだった。
調査隊に加わることは嫌では無いし、むしろヴィクトーといつも一緒なのは嬉しかったが、それはシュアンも同じことだ。
分かってはいても、また二人が見つめ合うシーンを見なければならないのかと思うとタオとは違う意味で心が塞いだ。

「ねえ、ヴィクトー。あの双子のペンダントがあるから僕も一緒に行くんですよね。遺跡でまたこの前みたいに光るかもしれないから…?」

遺跡調査に行く支度を整えているヴィクトーの傍でエリックは不安そうな顔をしていた。

「それもあるが…、それもあるけど君と一緒にいたいからだよ。ここのところずっとグリンダの所に行ったきりだったし、これ以上離れていたく無いだろう?俺も、君も…」

ヴィクトーも分かっていたのだ。エリックに寂しい思いをさせていた事がずっと心に引っかかっていたのだ。

「僕のこと、忘れちゃったかと思ってた。それでも貴方には謎を解いて欲しかったから…本当に心からそう思ってたから僕は…、僕は…」

エリックはそれまで我慢していた涙が一気に溢れ出していた。
それはそれだけエリックが寂しかった事への裏返しでもある。
いつも何処か遠慮がちなエリック。
手を差し伸べなければ我慢してしまうエリック。
こんな風に泣かれると、ヴィクトーの中の庇護欲と愛しさが直ぐに心に蘇ってくる。

「ごめんな、いつも我慢させてばかりで。お袋が親父に愛想つかして出て行ったのが分かるようになったよ。俺も親父と同じことをしてるんだな」
「違うよ、そんなんじゃ無いよ、僕が決めたんだもの。学者の恋人になるって決めたんだもの。だからヴィクトーは悪くないんだ…っ」

図らずも涙をポロポロ零しながら訴えるエリックへとヴィクトーが愛おしそうに両腕を差し出した。

「おいで、エリック。君の体温が恋しいよ」

エリックは広げられた広い胸へと飛び込んでいた。

ーー君の体温が恋しい。

その言葉だけでエリックは全てが癒されていくようだった。
長く熱い口付けは眩暈すら覚えた。ベッドの中で久し振りに抱き合うと、互いの肌の匂いに身体中が熱くなり、夢中で相手の全てを貪った。

「僕の身体にいっぱいヴィクトーの痕を残して下さいっ」

強請られるまでもなく、ヴィクトーはエリックの白い肌に幾つもの己の紅い所有印を散らして行った。

「君が好きだよ、可愛い俺のエリック、俺だけのエリック」

貴方も僕だけのヴィクトーでいて欲しい。
そう心から願いながら、エリックはヴィクトーの熱いものをその身体で幾度となく享受した。
今ここには遺跡も学院長もドイツ人や魔女の影も何も無い。
あるのは熱い吐息と律動と愛という名の情動だけだった。
今この時だけは、先の事など微塵も考えたくなかった。

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