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君のいた風景
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中央道を西に進むと次第に都会の喧騒から遠ざかる。中央競馬場を横目に眺めているうちに青い空にぽっかりと白い富士山が見えてくる。これが気楽な観光であったならどんなにいいだろう。
久我は自らの車を運転しながら、そんな事をぼんやり考えていた。
久我は一路、教えられた撫川の実家へと向かっていた。
中央道を降りて脇道に逸れると
周りは桃の畑や葡萄棚ばかりが続いている。だが今は初冬だ。草木の賑わいも無くうら寂しい風景だった。
久我はナビを使っても迷いながら、ようやく撫川の実家にたどり着いた。そこは二階建てのこじんまりとしたトタン屋根の家だった。玄関には「撫川」の表札が埃に塗れて掲げられてはいたが、人気《ひとけ》が感じられない。
取り敢えず呼び鈴を押してみたが、やはり返事はない。
何度か押してみたが誰も出てくる気配はなく、しばらく所在なく玄関先に佇んでいると腰の曲がったお婆さんが声を掛けてきた。
「その家は今は誰も住んでませんよ」
「あ、ああすいません。私はここの家にいた息子さんの友達で、近くまで来たのでどうしているかと…」
咄嗟に出た嘘はありきたりなものだったが、お婆さんは考え込むように小首を傾げた。
「はて、息子さんなんていたかねえ?…ああ、そうそう。そうだった。そうだった。その子ならここの貰いっ子のことかいね」
「貰いっ子?」
「はぁ、ここの夫婦には子供がいなかったもんでねえ、どっかの施設から引き取った息子が一人おったはずですわ。それがきっとそのお友達の事だと思いますよ?」
「あ、ああきっとそうですね。確か彼にそんな話を聞いた事があったような……」
久我はすっとぼけた。
「あ、あのっ、ご両親はどうされたんですか?もうここには?」
「二人とも高齢だったもんでねえ、じいさんの方は心臓発作で亡くなって、ばあさんの方は二年前に亡くなってからここはもう空き家なんですわ。息子さんはお元気?」
「えっ?…あー…。私も彼には最近会っていなくて…ですね…どうしているかと気になって…」
話の辻褄合わせでキリキリ胃が痛む。掌に変な汗が滲んでいるが不審がられる事も無く、おばあさんは話を続けている。
「あら、そうなの。息子さんって人はそんなに長くここに住んでた訳じゃ無いし、私も良く覚えていないんだけど、何しろいつの間にか姿が見えなくなったもんだからねぇ、そうですか、息子さんのお友達の」
愛想良く頷くおばあさんは、一頻り世間話に花を咲かせ終わると、ごめんくださいね、と言いながら自然に久我の前からフェードアウトして行った。
撫川は養子だった。
何となくそれが久我の腑に落ちた。いつも彼に纏わりつくような孤独の影や、憂いのある眼差しや、自分に対しての投げやりな様子。その理由がここにあるのだろうか。
いや、本当にそれだけか?
それにしても近所の人にあまり記憶に残らないほど、撫川はここには暮らしていなかった?
貰われて来たのなら、幼少期の撫川は何処に居たのだろう。
施設って何処かの児童擁護施設なのだろうか。
のっけから一筋縄では行きそうもなかった。
久我はその夜は近隣のビジネスホテルに泊まった。
ボーリング場と併設されているそこは、昭和チックな作りだった。
こじんまりとした部屋に入ると、湿った埃の匂いがした。
一つだけ置いてある皮張りの椅子は、何かの補修のためかガムテープが剥き出しで貼り付けられている。赤いベロアのカーテンに簡素で華奢なベッド。今は使えないブラウン管のテレビ。ベニアかと思うほど薄い壁。
久我は疲れてクッションの悪いベッドに仰向けで寝転がった。
天井のシミが地図のように広がり、まるで何かの生き物のように見えて来る。
まるでこの町の雰囲気そのままのような薄暗く閉塞感に満ちた部屋だった。
だがここには撫川が見ていた風景がある。撫川が吸った空気を感じ、孤独を持て余している幼い撫川を想像した。
あれから撫川はどうしているだろうか。あんな事があった朝にも彼はきちんと花の仕入れに行ったのだろう。
仕事に対しての生真面目な一面を久我は知っている。
暗い過去がありそうな事も分かった。その上でそんな奴を自分が丸裸にするのかと思うと胸が痛んだ。
だが、疑惑から撫川を救う為にも、彼の全てを知らねばならない。
自分はこんなに撫川の事で頭をいっぱいにしているのに、きっと彼は久我のことなど思い出してもいないだろう。
それでも良いとさえ思う。
恋は一目惚れした方が負けなのだ。
明日は片っ端から児童養護施設を回ってみよう。必要なら警察手帳をフルに使ってでも。
いつしか久我は泥のように眠りについていた。
[ごめんなさい]
暗い部屋の中で撫川はぼんやりと手元の携帯に「ごめんなさい」の文字を入れては消してを繰り返していた。
あの夜、久我に悪態をついたまま謝ることができない事がずっと撫川の心に引っかかっていた。
文字は入れても送り先が無い。携帯の番号を聞いていないことが悔やまれた。
簡素な自室の簡素なベッドに寝転がって深いため息をつく。
純粋に撫川を心配してくれていた久我。そんな感覚は久しぶりだった。
「ゆうやだって、くがゆうや。……ははっ…兄さんと同じ名前だね。縁があるのかな、ゆうやって名前に。それとも僕を心配してくれてる暗示なの?…ねえ、悠さん」
そう言って撫川はベットサイドテーブルに立ててある写真盾に視線を馳せた。
そこには穏やかそうに微笑む男と、まだ幼さの残る少年の撫川が仲良さそうに寄り添う写真が飾られている。
撫川は指先を伸ばして、その男の輪郭を愛おしそうになぞった。
みるみる辛そうに歪む顔と膨れる涙がその頬を濡らす。
「寂しいよ、寂しくて苦しいよ。もう僕もそっちに行って良い?ねえ、悠さん」
問いかけても返事などは返らない。撫川はその写真を胸に抱いて身体を丸め、寒々とした一人寝のベッドの上で咽び泣いていた。
久我は自らの車を運転しながら、そんな事をぼんやり考えていた。
久我は一路、教えられた撫川の実家へと向かっていた。
中央道を降りて脇道に逸れると
周りは桃の畑や葡萄棚ばかりが続いている。だが今は初冬だ。草木の賑わいも無くうら寂しい風景だった。
久我はナビを使っても迷いながら、ようやく撫川の実家にたどり着いた。そこは二階建てのこじんまりとしたトタン屋根の家だった。玄関には「撫川」の表札が埃に塗れて掲げられてはいたが、人気《ひとけ》が感じられない。
取り敢えず呼び鈴を押してみたが、やはり返事はない。
何度か押してみたが誰も出てくる気配はなく、しばらく所在なく玄関先に佇んでいると腰の曲がったお婆さんが声を掛けてきた。
「その家は今は誰も住んでませんよ」
「あ、ああすいません。私はここの家にいた息子さんの友達で、近くまで来たのでどうしているかと…」
咄嗟に出た嘘はありきたりなものだったが、お婆さんは考え込むように小首を傾げた。
「はて、息子さんなんていたかねえ?…ああ、そうそう。そうだった。そうだった。その子ならここの貰いっ子のことかいね」
「貰いっ子?」
「はぁ、ここの夫婦には子供がいなかったもんでねえ、どっかの施設から引き取った息子が一人おったはずですわ。それがきっとそのお友達の事だと思いますよ?」
「あ、ああきっとそうですね。確か彼にそんな話を聞いた事があったような……」
久我はすっとぼけた。
「あ、あのっ、ご両親はどうされたんですか?もうここには?」
「二人とも高齢だったもんでねえ、じいさんの方は心臓発作で亡くなって、ばあさんの方は二年前に亡くなってからここはもう空き家なんですわ。息子さんはお元気?」
「えっ?…あー…。私も彼には最近会っていなくて…ですね…どうしているかと気になって…」
話の辻褄合わせでキリキリ胃が痛む。掌に変な汗が滲んでいるが不審がられる事も無く、おばあさんは話を続けている。
「あら、そうなの。息子さんって人はそんなに長くここに住んでた訳じゃ無いし、私も良く覚えていないんだけど、何しろいつの間にか姿が見えなくなったもんだからねぇ、そうですか、息子さんのお友達の」
愛想良く頷くおばあさんは、一頻り世間話に花を咲かせ終わると、ごめんくださいね、と言いながら自然に久我の前からフェードアウトして行った。
撫川は養子だった。
何となくそれが久我の腑に落ちた。いつも彼に纏わりつくような孤独の影や、憂いのある眼差しや、自分に対しての投げやりな様子。その理由がここにあるのだろうか。
いや、本当にそれだけか?
それにしても近所の人にあまり記憶に残らないほど、撫川はここには暮らしていなかった?
貰われて来たのなら、幼少期の撫川は何処に居たのだろう。
施設って何処かの児童擁護施設なのだろうか。
のっけから一筋縄では行きそうもなかった。
久我はその夜は近隣のビジネスホテルに泊まった。
ボーリング場と併設されているそこは、昭和チックな作りだった。
こじんまりとした部屋に入ると、湿った埃の匂いがした。
一つだけ置いてある皮張りの椅子は、何かの補修のためかガムテープが剥き出しで貼り付けられている。赤いベロアのカーテンに簡素で華奢なベッド。今は使えないブラウン管のテレビ。ベニアかと思うほど薄い壁。
久我は疲れてクッションの悪いベッドに仰向けで寝転がった。
天井のシミが地図のように広がり、まるで何かの生き物のように見えて来る。
まるでこの町の雰囲気そのままのような薄暗く閉塞感に満ちた部屋だった。
だがここには撫川が見ていた風景がある。撫川が吸った空気を感じ、孤独を持て余している幼い撫川を想像した。
あれから撫川はどうしているだろうか。あんな事があった朝にも彼はきちんと花の仕入れに行ったのだろう。
仕事に対しての生真面目な一面を久我は知っている。
暗い過去がありそうな事も分かった。その上でそんな奴を自分が丸裸にするのかと思うと胸が痛んだ。
だが、疑惑から撫川を救う為にも、彼の全てを知らねばならない。
自分はこんなに撫川の事で頭をいっぱいにしているのに、きっと彼は久我のことなど思い出してもいないだろう。
それでも良いとさえ思う。
恋は一目惚れした方が負けなのだ。
明日は片っ端から児童養護施設を回ってみよう。必要なら警察手帳をフルに使ってでも。
いつしか久我は泥のように眠りについていた。
[ごめんなさい]
暗い部屋の中で撫川はぼんやりと手元の携帯に「ごめんなさい」の文字を入れては消してを繰り返していた。
あの夜、久我に悪態をついたまま謝ることができない事がずっと撫川の心に引っかかっていた。
文字は入れても送り先が無い。携帯の番号を聞いていないことが悔やまれた。
簡素な自室の簡素なベッドに寝転がって深いため息をつく。
純粋に撫川を心配してくれていた久我。そんな感覚は久しぶりだった。
「ゆうやだって、くがゆうや。……ははっ…兄さんと同じ名前だね。縁があるのかな、ゆうやって名前に。それとも僕を心配してくれてる暗示なの?…ねえ、悠さん」
そう言って撫川はベットサイドテーブルに立ててある写真盾に視線を馳せた。
そこには穏やかそうに微笑む男と、まだ幼さの残る少年の撫川が仲良さそうに寄り添う写真が飾られている。
撫川は指先を伸ばして、その男の輪郭を愛おしそうになぞった。
みるみる辛そうに歪む顔と膨れる涙がその頬を濡らす。
「寂しいよ、寂しくて苦しいよ。もう僕もそっちに行って良い?ねえ、悠さん」
問いかけても返事などは返らない。撫川はその写真を胸に抱いて身体を丸め、寒々とした一人寝のベッドの上で咽び泣いていた。
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