龍虎の契り

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孤独な花

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狭山はハンドルを握りながら、事も無げな様子で、まるでただの世間話でもするように話し始めた。

「僕は少し病弱に生まれついてね、父も母も僕に掛かりっきりだったもんだから、兄に酷く焼き餅を焼かれてね。まだ下の毛もはえそろってない僕に兄は快楽と言うものを教え込んだんだ。僕はそれが欲しくて兄の言う事なら何でも聞いたもんだよ」

予想はしていた。狭山が自分と同じ匂いがすると言った時から。
棗の頭の中には似たような光景が浮かび上がった。

お父さんと呼んで叩かれた。
お父様と呼ばなければお仕置きが待っていた。
お漏らしするとまた殴られた。
性器を縛られて自分の好きに排泄する事もままならなかった。
反抗すると、かび臭い真っ暗な部屋に閉じ込められて、二日もほったらかしにされた。
ごめんなさい。ごめんなさい。何度言わされたか分からない。
でも父の言いつけ通りにできた時だけは、父は棗を抱きしめたっぷりと甘えさせてくれた。それが欲しくてどんな理不尽な事でも言いつけに従った。

少し思い出しただけで震えが走る。車の助手席で棗は自分を抱きしめる事で耐えていた。
狭山がそんな棗の様子を何も言わずにそっと、見守った。

車は目的地の湖畔に着いた。
車のドアを開けると、さっきまでの淀んで重苦しい空気はすぐに消えた。

天気が良くて、湖面が太陽を反射してキラキラと煌めいていた。
スワンボートが本物の白鳥と並んで浮かんでいる。李仁とこんな風景を見たいと思った。
棗と狭山はのんびりと湖畔の周りを歩き出した。
湖畔は20分程度で一周できるほどのこじんまりした場所だった。

「なんでこんな所に来たんですか?」

「何でって、気持ち良いだろうなって思ったから」

狭山の意図は分かりかねたが、気持ちが良いことだけは確かだった。
何か聞かれる事も無く、ただ湖畔のベンチに座って、二人で作ったサンドイッチを頬張った。
美味しかった。

「狭山さんは変な人ですね。もっとお医者さん臭い人かと思ってました。今日だってカウンセリングっぽい事なんて何もなかったし」

「あれれ、やめてよ。これはデートのつもりだったのに」

「デートって、好きな人とじゃ無いと楽しくありませんよ」

「楽しくなかった?」

「それは…」

狭山に軟禁されてから一週間。久しぶりのお出掛けは、いくら相手が狭山であっても、棗は不覚にも楽しいと感じて口篭っていた。

高速道路を一路狭山のマンションへと走る車内、すっかり日は傾き、空はピンク色に染まっていく。今頃、李仁はどうしているだろうか。本当なら、この時間、仕事から帰ってくる李仁の為に、夕食を作っている時間だ。
李仁に会いたい。
棗は自然と涙が溢れていた。

「寂しい?彼に会いたい?」

棗は無言で俯いた。
立ち寄ったパーキングエリアで暖かいミルクティーを狭山は棗に渡した。バックシートにあったブランケットを棗の肩へと優しく掛けた。
温もりを感じた。
この日少しだけ棗は狭山に心を開いていた。




この所連日のように、李仁は風夏の店に通っていた。
仕事の時はまだ良かった。没頭していれば時間はあっという間に過ぎていく。
だが、仕事が終わり、あの誰も待っていない部屋に帰るかと思うと足が鈍った。
棗を知る前は一人の部屋など何も感じなかったのに、今は信じられないほど孤独に苛まれてしまう。
何処を見ても何処に触れても見えない棗の息遣いを感じる。
少なくとも、風夏の店にいる時だけは、そんな孤独感からは解放される。正体不明に酔っ払って帰っても、横になったベッドですら、棗の残り香が李仁を苦しめた。
そして同じ分だけ、棗にも苦しんでいて欲しかった。
スマホを握りしめると、何処かで棗と繋がっているような気がして李仁はぼんやりとネットの海を泳いでいた。
何処か知らない掲示板にぶち当たる。
そこには自分のウサを晴らすように、誰に当てた訳でもない言葉が書き連ねられていた。
失恋の痛みをぶつける人。仕事の恨みを綴る人。幸せを噛みしめる人。不幸を叫ぶ人。
自然と李仁の指が動き、誰に見られる事も無いその場所に心に浮かぶ言葉を綴っていた。

『この胸に花は咲く。
毟っても千切っても花は咲く。
忘れたくても忘れられない君が咲く。  龍』

ハンドルネームは適当に書いた。
誰の名前でも無い名前を。
誰に読まれなくても、誰にも届かなくても、書かずにはいられなかった。

こうしてまた、二人離れ離れの朝は来るのだ。

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