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村上葵は、仕事の帰り夜道を歩いていた。今日は、待ちに待った同人誌が届くのだ。足取りも自然と軽くなる。同人誌とは、ファンが好きな作品を元に妄想を繰り広げた物を本にまとめた愛の固まりである。葵のエネルギー源だ。
「エスキベルガンナーは強いぞ~♪」
大好きなロボットアニメ『エスキベルガンナー』のOPを唄いながら帰る。田舎の夜道ではあるが、最近は外灯も多くあるのであまり恐ろしくは無い。しばらく歩くと人家が途切れ、大きな工場の横を通り過ぎる。さすがに、工場に明かりは点いていなかった。
「ん?」
葵は立ち止まり、懐中電灯で前方を照らす。前方の道路に黒いモヤのような物が見える。 見間違いかと思ったが、やはり何かいる。
「こわっ!」
本能的に恐怖を感じる。後ろに下がって、ダッシュで逃げる。
「南無阿弥陀仏! 南妙法蓮華経! 臨兵闘者皆陣列在前!」
とにかく思い出す念仏を口にする。残念ながら知識元が、九〇%漫画やアニメなので効き目と正確性の方はわからない。しばらく走れば人家のある場所に行ける、そこで助けを求めよう。葵は右手にスマホを出し、走りながら通報しようと思った。しかし、『黒い影に追いかけられています』と言って、警察は来てくれるのだろうか。若干不安を感じつつ、一一〇番を押して耳にスマホを当てて後ろを振り向く。葵は目を見開いた。遠くに居た黒いモヤが、葵のすぐ後ろまでやって来ていたのだ。
「はやー!」
ガチャッと耳元で、通話音がする。しかし、声を上げる前に葵の身体は黒いモヤに飲み込まれていた。その瞬間、葵の頭の中には人生の走馬灯では無く、見られなかった『エスキベルガンナー』の同人誌に対する後悔が流れて行った。
***
頬に水滴が当たるのを感じて、目を開ける。葵は曇り空を見上げていた。
「なんで空が見えるのさ」
起き上がり、辺りを見る。そこは、見覚えの無い草原だった。葵は立ち上がり、スマホを見る。しかし、表示は圏外になっている。
「圏外かー。これ、あれでしょ異世界トリップみたいな」
言って葵は自分で笑った。
「まぁ、そんな事は無いんでしょうけど」
周囲を見渡す。遠くに山は見えるが、建物は見えない。しかも、曇ってはいるが明るい。
「てか、昼間じゃん。えー、めちゃくちゃ私寝てたの? 外で? 図太いなぁ」
葵は腕を組む。
「黒い……モヤに飲み込まれたのは覚えてるな。黒いモヤの先がココだったの?」
状況が理解できず首をひねる。一応、自分の体に変なところが無いか確認してみる。
「特に服に乱れは無いし。体に痛みも無いか。攫われてレイプされて、放置されたってわけじゃないのね?」
鞄は無いので、どこかに落として来たらしい。あるいは盗られたのかもしれない。
「まぁ、いいや。考えてもわかんないし、歩こう!」
草原で立っていても、助けは来そうに無い。葵は、とぼとぼ草原の道を歩き始める。
「あーあー本当なら、今頃エスキベルガンナーの同人誌を読んでるはずだったのになぁ」
せっかく、神の描かれた本を予約開始と共にすぐに注文できたと言うのに、ついていない。石ころを蹴りつつ歩く。長い間歩いていると、道のような物を見つける。コンクリートで舗装はされていないが、土が踏み固められていた。葵はその道を更にとぼとぼと歩く。
「町はまだかー!!」
一体、どれだけ歩けば町にたどり着けるのだろうか。オタク女子の軟弱な体は既に悲鳴をあげ始めている。その時、後ろから地響きの音が響く。葵は驚いて、後ろを見る。土煙を巻き上げて、後ろから不気味な馬車が走って来た。
「え、なにあれ」
黒い馬車を引く馬達に頭は無い。
「ひっ、こわっ!」
その馬車が葵の隣を凄い速さで走り去って行き、そして遠くで止まる。土煙が凄い。しばらくすると、黒い馬車の扉が開いて小さな小人のような者が飛び出して来る。
「もっときしょいのが出て来た!」
本能的に逃げる。しかし、葵はそいつらに突然腕や足を掴まれる。
「ぎょえっ!」
気づけば、地面に押し倒されてロープで縛られていた。
「待って! なんで縛るの!!」
葵を捕まえたのは、ゴブリンのような小人で大した知性は無さそうだった。キーキーと鳴いて、葵を馬車に乗せる。
「うぅ……」
後ろ手で縛られ、馬車に転がされた葵は薄暗い馬車の中を見る。そこには、同じように手足を縛られた者たちの姿があった。しかし、彼らは人では無い。二足歩行する獣や、一つ目の子ども、全身が毛に覆われた何かだったりした。しかし、皆暗い顔をしているので望んでここにいるわけでは無さそうだ。小さなゴブリンが、馬車の奥にいるオークのような魔物に声をかけている。どうやら報告をしているらしいが、その言葉は葵には理解できなかった。
(どう言う事……)
頭は混乱するばかりだった。
(え、ていうかココ日本じゃないの? マジで異世界?)
馬車の中には葵の見た事の無い種族ばかりが乗っている。
(い、異世界転移しちゃった……どうしよう……)
小学生くらいに『異世界』に行きたい! などと思った時もあるが、大人になってから実際連れて来られると、ただただ『帰りたい』と言う気持ちしか湧いて来ない事がわかった。
(帰りてぇ!!!)
そんな葵の内心の悲痛な叫びとは他所に、馬車は進むのだった。ロープで縛られたまま、葵達はどこかに運ばれる。半日程経った頃に、馬車は停まり葵達は馬車から下ろされる。外はもう暗くなっている。どこかの町の裏路地らしき場所で、下ろされた葵達は建物の中に誘導される。ゴブリンに小突かれながら、歩く。一人、一人小さな鉄のゲージの中に入れられた。中で立てないぐらい小さな物だった。
(ま、マジであの中に入るのか……獣じゃないんだから……)
隙を見て逃げようかと思い始めていた葵の眼の前で、小さな角の生えた子が列から飛び出して逃げる。彼の後をゴブリン達が凄い速さで追い、手に持った棒を押し当てた。瞬間、バチッと音がしてその子は動かなくなった。
「ちょっと! なにしてるのよ!」
葵は叫ぶ。するとゴブリン達が葵の方を見て、棒を押し当てる。
「うぐっ……!」
葵は痺れて体が動かなくなり、そのままゲージに放り込まれる。ロープは解かれて、代わりに鉄の手枷を着けられる。
しばらくすると、水と粗末なパンとスープが運ばれて来る。葵はこわばった体を動かして、乾いたパンを一口齧ってその硬さに驚く。スープも薄く、味はほとんどしない。水は、少し濁っていた。
(か、完全な奴隷飯……)
こんなの食べたら、すぐにお腹を壊すだろう。食事に手をつけず、葵は地面につっぷした。
(これからどうしよう)
突然草原で目を覚まし、全く知らない種族ばかりいる世界に居た。おまけに、彼らに捕まり奴隷のような扱いを受けている。遠くの牢屋で、すすり泣く声がする。その声に胸が痛む。
食事が下げられ、牢から一人一人奴隷が出される。しばらくすると戻って来る者もいれば、戻って来ない者も居た。七番目に葵の番が来る。牢屋から出され、ゴブリンに鎖を引っ張られて、部屋を出て廊下を歩く。犬のような扱いに辟易する。廊下の先の部屋へ入ると、そこは少しはまともな調度品の部屋だった。部屋の奥のソファには、オークが座っていて葵をじっとり見ている。オークが何か言う。どうやら葵に話しかけているらしい。しかし、葵には言葉がわからない。ゴブリンとオークが顔を見合わせる。オークが自分の耳を触る。耳に、何か飾りを付けているのが見えた。
「おまえは、どこの種族の者だ」
今度は、言葉がわかる。
「わ、私は日本人です! 人間です!」
「ニホン? ニンゲン? 聞いた事の無い種族だな」
「旦那様! こいつ、随分良い服を着てますよ!」
ゴブリンが葵をひざまづかせて、服を見る。普通のブラウスに、スカートである。
「見たことの無い布地だな」
「貴方達が誰か知りませんが、鎖を解いてください! 私は、奴隷じゃないです!!」
「自分の立場がわかっていないのか? おまえは、奴隷商人に攫われたんだよ。ははっ」
オークは笑う。
「まぁ、良い。体は健康そうだ、これで魔力量が高ければ、良い値がつくぞ」
ゴブリンが、葵の指先をナイフで切って血を小皿にとる。
「いたっ」
指の先が痛む。
ゴブリンは小皿を、天秤の上に乗せる。
「ん?」
数滴の血が載った小皿は重さが無いので、上の方にあがっている。
「旦那様、おかしいですぜ。この娘、ちっとも魔力が無い」
「なに?」
オークが天秤を見る。
「そんなはずは無い。もう少し、血をとって入れてみるんだ」
傷が増やされて更に葵の手から、血がとられる。
「ちょっと、ざくざく乙女の指を切らないでよ……!」
葵は痛みで、眉をしかめる。
「やっぱりダメです。こいつ魔力ゼロですよ」
天秤は全く、傾かない。
「こんな事があるのか……」
オークは腕を組む。
「健康な体を持っていても、魔力がゼロでは価値はねぇですね……」
「いや、これだけ特殊な体なら魔王様にご献上すれば喜ばれるかもしれない」
(魔王様!?)
この世界には魔王がいるらしい。
「なるほど、さすがです旦那様」
「早速、献上の手続きをするぞ。運が良ければ、ゴールド一枚くらいには化けるだろう」
「ま、待って。魔王なんかに売られたら、私どうなるの!?」
オークが葵を見る。
「普通に売られた奴隷ならば、ただコキ使われるだけ済むが、その特殊な体質で魔王に売られたとあってはな……魔王直属の魔術師に体の隅々まで解剖されるだろうなぁ」
葵は、血の気が引くのを感じる。
「それって、死ぬって事」
「すぐに死ねれば良いが、稀有な被験体として一生瓶の中で生かされるかもしれないな」
「嫌だよそんなの!! やめてーーー!!」
「俺たちに捕まった、己の不運を呪うんだな。不用心に一人旅してたのが悪いんだぜ」
オークは葵にはわからない言葉で部下のゴブリンと話し始めて、葵はすっかり蚊帳の外になってしまう。
―うおーマジどうしよう……!
奴隷になり、おまけに魔王に売り飛ばされるなんて考えもしなかった。鎖から手は抜けそうにない。しかし、素直に魔王に売られる気も無い。ゴブリンと、オークの話は済んだのかゴブリンが再び葵の鎖を引いて廊下に出る。少し歩いた後に、葵はその鎖を引っ張りゴブリンの背を蹴ってから鎖を奪う。
「!」
鎖を手に、廊下の向こうのドアまで走る。あの扉は、外へ繋がっているのだ。とにかく外に出なければ。葵は、全力で走る。
(もう少し!)
その時、背中に強烈な痛みを感じる。何が起きたのかわからない。葵は前に倒れふして、体が痺れて動けなくなった。たぶん、例の棒を押し当てられたのだろう。体が痺れて動けない。
「はっ、くっ」
葵の側にゴブリンが近づいて来る。葵は目まいを覚えて意識を失った。
つづく
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