痣の娘

綾里 ハスミ

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 アレクサンダーは、弟とユリアーノと実家の書斎で顔を突き合わせていた。
「それで、おまえはどういうつもりで、あんな事をしたんだ」
 ユリアーノが、紅茶を一口飲んでにんまりと笑顔になる。
「もちろん、兄さんとパトリシアの事を思ってやったまでだよ」
 彼は足を組む。
「だって兄さんの事だから、きっかけが無ければあの秘密を永遠にパトリシアに話すつもりは無かったんだろう」
「あたりまえだ、だからおまえの行動に怒っている」
「ふふっ、でも話して良かっただろう」
 確かに、想像以上にパトリシアはアリーがアレクサンダーだった事実をあっさりと受け入れ喜んでくれた。
「しかし、それとこれとは別だ」
「なんでさ」
「彼女が俺を突き放す可能性だってあった」
「無いよ」
「なぜ言い切れる」
 ユリアーノはクッキーを一枚摘んで食べる。
「彼女は僕と同じような感性を持っている。兄さんを突き放すような人じゃないさ」
 するとアレクサンダーは憮然とした顔をしてしまった。自分の中に嫉妬心が湧くのを感じた。
「それより兄さんは、足元まで迫っていた危機に気づくべきだったんだ」
「危機だと?」
 アレクサンダーは首をかしげる。
「兄さんとパトリシアの危機だよ」
「なんだそれは。俺と彼女に、危機など無い」
 するとユリアーノが吹き出した。
「兄さんは想像力が足りないなぁ。それとも、恋に盲目になっているのかな……」 
 ユリアーノが紅茶カップ片手に立ち上がる。 
「兄さんは、パトリシアの事を愛していた。なにしろ、子供の時から恋い焦がれていた少女だったからね。だから、会った時から全身全霊の愛をそそいだ」
「あぁ、そうだ。それの何が悪い」
「しかし、その愛は兄さんの一方的な愛情だった。互いに育んだものではない」
 ユリアーノは劇役者のように大業に振る舞う。
「そうして彼女は悩む事になった。彼の愛をいずれ失うのでは……? と」
「なっ」
 アレクサンダーは立ち上がる。
「根拠の無い大き過ぎる愛情は、時に疑惑を生むと言うわけさ……その証拠に、彼女は不安を持っていた」
 アレクサンダーはユリアーノをにらむ。弟は、どこ吹く風と紅茶を飲んでいる。
「けど僕がヒントを与えた事で、パトリシアはアリーが誰なのかに気づき、兄さんの愛情の根拠を知ったわけだ」
 カップを持ったまま、パチパチと軽く拍手をする。
「……してやられたな。家族の人生の台本まで書くんじゃない」
「ふふっ、素晴らしい結末だったよ」
 ユリアーノは、カップをテーブルに置く。
「それじゃ、そろそろお暇するよ。パトリシアによろしく! あと、これ僕の新作の本だよ。兄さんもぜひ読んでね」
 分厚い本を押し付けて、ユリアーノが部屋を出て行った。
「はぁ」
 どっと力が抜けて、アレクサンダーは椅子に座る。しばらく何も考える気になれず天井をぼんやり見上げていた。そしておもむろに、手渡された本を開いた。パラパラと、読む。そして読む内に眉間に皺が寄った。その新作の本は、スカートを来た男の子が、女の子と仲良くなる話から冒頭が始まっていたのだ。
「ユリアーノ!!!」
 思わず叫んだが、既に弟は馬車で逃げた後だった。作家の弟にもうしばらく振り回されそうな、アレクサンダーだった。


***


 庭の道具を片付けている庭師の後ろに立つ。
「急な事ですまなかったな」
 庭師のオルガは、振り返ってアレクサンダーを見る。
「いえいえ、貴族のわがままには慣れたモノですよ」
 男は、両肩をくいっと上げた。
「……そうか」
 男は小屋にたてかけたスコップを台車に入れている。
「なぁ、あんた。パトリシアと結婚したんなら、必ずあいつを幸せにしてくれよ」
「もちろんだ。そのために俺は彼女を探し出したんだから」
 背を向けていた男が振り向き、口角だけ上げて笑う。
「その根性は、正直称賛する。あんたが、パトリシアお嬢様を見つけてくれなかったら、お嬢様は修道院に入れられてたからな」
 男がアレクサンダーの方を完全に向く。
「なぁ、あんたここの使用人がお嬢様の事を悪く言っているのは知っているか」
「なっ!」
「お嬢様は、定期的に俺のとこに来て泣くんだ。使用人達の心無い言動によってな。前の屋敷でもそうだったが、俺はこっちではそれが無くなる事を期待してたんだがな」
 アレクサンダーは黙る。
「全く知らなかったって顔だな、だろうな。お嬢様は、告口を嫌がっていたからな」
「なぜだ、言ってくれればすぐに首にしたと言うのに」
「それが嫌だったんだろうさ。言えば、使用人が仕事を無くしてしまう。だからお嬢様は耐えたんだ」
「……くっ」
 オルガはポケットから、手帳を取り出しそこから折り曲げた紙を取り出しアレクサンダーに差し出す。
「ここに、お嬢様をイジメた使用人達の名を書いている。どうするかはおまえ次第だ」
 アレクサンダーはその紙を受け取る。
「ありがとう……」
「俺がいなくなったら、お嬢様はもう泣く場所がねぇ。だから、お嬢様を護るって言うんなら、まずは屋敷を安全な場所にしてやるんだな」
 アレクサンダーはうなずく。
「んじゃ、行くわ。お嬢様によろしく言っておいてくれ」
「あぁ」
 オルガは台車を押して、去って行った。
 自分の嫉妬心から、彼女の大事な友人を奪った事に胸が痛んだ。アレクサンダーは、地面をにらみそして顔を上げた。
「待ってくれ!」
 オルガが振り向く。
「どうしたんですかい、まだ言い残した事でも?」
「あぁ、言い残した事がある。ここに残って欲しい」
 オルガは不意を突かれた顔をした。
「どんな心境の変化で? 追い出そうとした男を、引き止めるなんて」
「……すまない。自分の矮小さに腹が立つよ」
 アレクサンダーは彼に近寄る。
「彼女のためにここに残ってくれ。友を奪う権利は、俺には無い」
 男は笑う。
「へっ。たく、我ままな貴族様だなぁ」
 彼は悪態をつきながらも、ややうれしそうに台車を小屋の側に戻す。
「そんじゃ、まぁ今後ともよろしくですね。旦那様」
 彼は、被ったキャスケット帽を軽く上げた。アレクサンダーは手を差し出す。するとオルガは、少し戸惑った顔をした後にぐっとアレクサンダーの手を握る。
「よろしく」
 アレクサンダーは彼の目を真っすぐに見て言った。力のこもった握手だった。


 その後、オルガの報告を聞きながら使用人達の素行チェックを行った。信頼している執事に話を聞き、パトリシアに反感のある使用人を聞き出した。そして、それぞれと面接した。
「おまえは我が妻を、侮辱していたと報告があった。それは本当か?」
「そ、そのような事はありません!!」
 年のいったメイドがうろたえる。
「だが、複数人からおまえの名が上がっている」
「いえ、これは陰謀です! 私を陥れるための陰謀なのです!」
「では、妻の事を悪くは言っていないと?」
「はい、もちろんです! 私は敬意を持って奥さまにお仕えしております」
 アレクサンダーは鈴を鳴らす。すると、執事が入って来る。
「報告を頼む」
「はい、この者はみなの集まる食堂で頻繁に奥さまの事を侮辱する発言を繰り返していました。アレは悪魔だ、アレの食事はネズミの肉で良い……などです。この者の発言に同調する者もおり、風紀が乱れております」
 アレクサンダーは眉間に皺を寄せる。
「という事だ。これでもおまえは見に覚えが無いと言うのか」
「わ、私はそのような事を言った覚えはありません!」
「では、おまえか彼が嘘をついている事になるな」
 アレクサンダーはメイドをにらむ。
「私は嘘をついているのはおまえだと判断する」
「な、なぜですか!」
「ここの使用人達は新しく集めた者が多いが、執事の彼はもともと私の実家にいた人物だ。彼がこんな他人を陥れるような嘘をつくはずがない」
「!」
 メイドは目を見開く。
「旦那様! やはりあなたは悪魔に取り憑かれているんだ!! だから正常な判断ができず、あんな女を妻に貰ってしまった」
「それ以上の妻への侮辱は止めて貰おうか。君は首だ。さぁ、部屋から出て行け」
 メイドは悔しそうにアレクサンダーをにらみ、部屋を出て行った。
「次だ」
 執事が、別の使用人を呼んで来る。そしてアレクサンダーは面接を行った。罪を認めない者ばかりだったが中には、きちんと反省する者もいた。改善の余地があると思った時は、辞めさせずに残した。そして、面接したウチの三分の二は首を切り、残りは屋敷に残した。もちろん、今後も執事に監視を頼んでいる。
「申し訳ありません旦那様。私の監督が行き届かずに……折を見て何度も注意はして居たのですが」
「おまえのせいじゃないさ、道徳心の無い使用人が多すぎただけだ。次に入れる使用人は俺が直接面接しよう」
「はい、旦那様……」
 そうして抜けた分の使用人の補充がなされた。
 この屋敷を彼女にとって安心できる場所にするには、それだけの注意をはらう必要があったのだ。


つづく
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