神獣の花嫁

綾里 ハスミ

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 立ち寄った町で、神雷は村の記録が貯蔵された書庫を尋ねていた。埃っぽい書庫の中で、書物を次々手に取って目を通す。パラパラとめくって目を通せば、すぐに書物の内容は把握出来た。

「ここにお出ででしたか、神雷様」

 書庫に入って来たのは、神官長の礼英だった。

「神殿巡りだけでなく、各地の歴史にも興味を持たれるなど、素晴らしい事だと思います」

 神雷は話を聞きながら次の本を手に取る。

「これまで国の半分の土地の神殿を巡り、各地にある神域を三つも来訪しました。これで、神雷様のお力は十分に満ちました。子を作られるのも、いい機会かと」

 礼英の提案に神雷は眉を寄せる。

「それが言いたくて来たのか」
「はい、こういった事には、神獣宮全体の準備が必要なので。もしも、子を作るおつもりがあるのなら、前もって教えていただきたいのです」

 礼英の言う事は、もっともだった。けれど、神雷は首を横に振る。

「子は、まだ作らぬ」
「そうなのですか?」
「彼も婚礼と各地の旅行で疲れているはずだ……そう続けざまに行う必要は無い」
「……それもそうでございますね。では、その時になったら、お声かけの方をよろしくおねがいします……」

 礼栄が礼をして、部屋を出て行く。その背中を見送った後、神雷は床に膝をついた。

「っ……」

 目眩がする。最近、こういう事が多かった。神官達に悟られるようにしているが、目眩は日に日に酷くなった。

(神気が……強すぎるんだ……)

 自分の未熟な身が嫌になる。欠陥品だと言われて来たが、こうして神獣になる為の儀式を行う中で、よもや本当に欠陥だと思い知る事になるとは思わなかった。
 強い吐き気がして、口を押さえる。

「うっ……っ……」

 民達の信仰を得て、更に神域での修行で神雷の身に宿る神気の量は増えた。けれど、それは明らかに神雷の器に収まる量から溢れ始めていた。神雷が神獣として未熟だからこそ、起きてしまった現象である。

(……わかっている。私は急ぎ過ぎている……神気の器は、時間をかければ徐々に大きくなって行くものなのだ……それを私は無理やり詰め込んでいる……)

 全ては水天の為である。

 各地の神殿を訪れるのに、もう半年もかけてしまった。水天がこの世界に来て、もうすぐ三年経とうとしている。異邦人の書物を読むと、もっとも多い滞在期間が三年だった。

(嫌な予感がする……、儀式を早急に行わなければ)

 神雷はぐっと力を入れて立ち上がり、書庫を出た。





 灯国の半分の土地を旅行して、みんなは神獣宮に戻って来た。大人数での、半年間の旅暮らしはなかなかしんどかった。

(いや、俺はかなり楽させて貰ったんだけどさ……)

「ふあー」

 久しぶりの自分の部屋で足を伸ばす。一方の神雷は、すぐにどこかに行ってしまって、部屋にはいなかった。

(あ~あ、久しぶりに神獣宮に帰って来たんだから、ゆっくりすれば良いのに)

 きっと、仕事部屋にいるのだろう。神雷は書物が大好きなので、常に本を読んで過ごしているいる姿が見られた。旅の間も、彼は大量の本を部屋に持ち込んで常に読んでいた。
 突然、遠くからパタパタと音がする。

「水天!」

 扉を開けて入って来たのは、神雷だった。

「し、神雷どうしたんだ」

 常に物音をたてずに動く彼にしては珍しかった。

「すぐに、祭壇に来てくれ!」
「あ!?」

 手を引っ張られて、連れて行かれる。

「ど、どうしたんだ神雷!」
「急がないと! もうすぐ、時間になってしまう!」

 日は落ちて、今は夜である。いったい、なんの時間なのだろうか。

 祭壇のある部屋に入ると、何かの儀式をするように松明が左右にずらりと置かれている。奥の祭壇の上には、しめ縄を張った結界が作られている。二人でその中に入る。

「な、なぁ、何するんだ」
「言葉には力がある」

 神雷が唐突に言う。

「だから今まで私はこの事を、君に言えななかった。もしもの話しをすれば、神獣の発する言葉に引きずられて君が行ってしまうかもしれないと思ったんだ」

 意味がわからず水天は首を傾げる。

「し、神雷、わかるように説明してくれよ」 

 水天の両手を強く握った神雷が、落ち着くように息を吐いて整える。

「……私は、いずれ君が帰ってしまう可能性を危惧していたんだ」
「俺が……帰る?」
「君は知らないと思うが、異邦人はいずれ帰るものなんだ。歴史を紐解いても、この世界に永遠にとどまった者は一人もいない。この世界の理が、そう出来ているのだろう」

 水天は目を見開く。

「だから、君を永遠に留める為に、君の真名を貰いたい」
「俺の、真名……?」
「言葉には力がある。そして、人に付けられた名前には特に大きな力が宿る。君には、本当の名前があるだろう」

 川上 一樹。それが、水天の本当の名前である。

「その名前を私に渡して欲しい。渡せば、いずれ全ての人間が君の名を忘れる。そして、君自身もその名を忘れるだろう」
「そ、そうなのか……」
「しかし、君が元の世界での名を失えば……君をこの世界に永遠に留める事が出来る……」

 水天はつばをごくりと飲み込む。

「私が酷い事を言っているのはわかっている……だが、どうか……名を渡して欲しい……」

 神雷は辛そうな顔をする。

「いいよ」

 水天は、すぐにそう言った。すると神雷は面食らった顔をした。

「そんなに簡単に言って良いのか。私の説明を理解出来たか? 君は本当の名前を失うんだぞ。この世界に来る前の君を失うも当然だ」
「いいよ。だって、俺さ。水天って名前、気に入ってるんだ」

 水天は、笑みを浮かべる。

「神雷には言ってなかったけど、俺、元の世界であんまり良い扱い受けてなくてさ……正直、こっちの世界の方が気に入ってる! みんな優しいし、神雷もいるし!」

 神雷は目を見開く。

「だから、名前……貰ってくれ。神雷が貰ってくれるんなら、嬉しい」

 神雷が水天の腕を引いて抱きしめて来る。

「私が君の事を必ず幸せにする、だからどうか許して欲しい」
「許すって、俺もおまえと一緒にいたいんだから」

 神雷が強く抱いていた腕の力を緩める。

「――、――――、――」

 神雷が何かを呟いているのが聞こえるが、水天にはそれを言葉として聞き取る事が出来なかった。声を聞いていると、身体が熱くなって来る。

(なんだろうコレ……)

 まるで風邪を引いた時のようだった。そして、自分の身体がほんのり光っているような気がした。
 神雷が身体を離して、水天の胸に手をあてる。

(あ……)

 胸からするすると、青白く光る小さな紙が引き出される。紙には、『川上 一樹』と水天の本来の名前が書かれていた。

「受け取った……」

 神雷がその紙を大事そうに、懐に入れる。
 紙を引き抜かれたと同時に、水天の身体から力が抜ける。崩れ落ちそうになる水天を、神雷が支えてくれた。

「君は真名を失った。魂の一部を失ったようなものだ、しばらく霊力が弱くなる……しかし時間が経てば、いずれ『水天』の名が君の本当に名なる」
「そう……か……」

 説明を聞きながら、水天は目を閉じた。かくりと気を失ってしまった。





 難しい事はよくわからないのだが、真名を失った水天は、とにかく精神的にも肉体的にも弱い存在になってしまったらしい。おまけに、『霊力』?と言うのも低下しているので、ちょっとした気に影響されて具合が悪くなる事もあらしい。

 そういうわけもあって、水天は自分の部屋に完全軟禁状態にあった。扉も窓も閉じられて、暗い部屋の中には、香りの良い香がずっと焚かれている。話では、外もしめ縄で囲われて、この部屋全体が穢れが入らないようにしてあるらしい。

「ごほっ、ごほっ……」

 名前を抜かれて一週間経つが、熱っぽい状態から治らない。

(うーん、身体が丈夫なのが、唯一の取り柄だったのにな……)

 水天は眉を寄せる。
 部屋に誰かが入って来る。

「お具合はどうですか」

 華明が、盆にお粥をのせている。

「良いって言いたいところなんですけど、あんまり変わりません……」
「おかわいそうに……」

 華明が寝台横の椅子に座って、お粥を手に取る。

「さぁ、昼餉ですよ」

 水天は口を開けて、お粥を食べる。

「っ、ごほっ、ごほっ!」

 しかし、咳をして粥を吐き出してしまった。

「あぁ、水天様……おいたわしや……」

 華明に背中をさすられながら、どうにか五口程粥を食べる事が出来た。しかし、それ以上は無理だった。


***


「神雷様、あれでは水天様がおかわいそうです! どう言ったご事情があったのか知りませんが、何か害になる儀式を行ったのでしょう!」

 華明は、神雷に詰め寄る。神雷は、書物をめくる。

「対策なら既に打っている。少し、到着が遅れているだけだ」
「え?」 
「華明様、外からお客様が」
「は、はい。すぐに行くわ」
「華明、客人の旅の労を労ったら水天の部屋に連れて行ってくれ」
「え、えぇ?」

 華明は疑問符を浮かべつつ、頷いた。


***


 体力が落ち、気力も無く、食事も食べれず、宙がぐるぐる回っていた。

(やばい……俺……死ぬのかな……)

 かすかに扉が開く音がする。

(華明さんかな……申し訳ないな……)
「水天」

 しかし、耳に届いたのは懐かしいしわがれ声だった。

「ば、ばあちゃん……」

 視線の先には、夕星が立っていた。

「酷か風邪ばひいたんやったね。かわいそうに、うちが来たけんもう安心ばい」

 夕星が手をそっと撫でてくれる。すると、自然と涙が滲んで来る。

「辛かったね水天。うまかお粥ば作っちゃるけんね
「うん……」

 皺の多い手で、額を撫でられると鼻の奥がツンとした。
 夕星が一度出て、しばらくするとお粥を手に戻って来る。

「卵粥に、生姜がたっぷり入っとーばい。これば食べれば、身体が温まって風邪なんか、すぐに治ってしまうたい」

 夕星に身体を起こされて、粥を食べさせれて貰う。一口食べる事に、身体が温まって来るのを感じた。また涙がポロポロ落ちて来る。

「美味しかね?」
「おいひい……」

 みっともなく、ぐすぐす泣きながら粥を全て食べた。全く食事出来なかったのが、嘘のようだった。

「水天、汗ばかいて気持ち悪かやろう。身体ば拭いてやろうね」

 食事の後は、湯で濡らした手ぬぐいで身体を拭って貰った。

「ありがとう……ばあちゃん」

 夕星は丁寧に身体を拭って、新しい衣に着替えさせてくれた。夕星に名前を呼ばれる度に、なんだか身体が軽くなっていくのを感じた。

「さぁ、これで良かばい。今夜はゆっくりおやすみ」

 水天を布団に寝かせて、夕星が手を繋いでくれる。

「ばあちゃん、こんな遠くまで来てくれてありがとう」
「大事な息子が病で苦しんどって聞いたら、母親はどこだって行くっちゃん」

 水天はその言葉にくすぐったさと、嬉しさを感じた。

「ばあちゃん、あのさ……一度だけお母さんって……呼んで良い……?」
「よかよ、呼んでごらん」
「……お母さん……」
「なんね、水天」

 夕星が目を細めて優しく笑う。水天が何度も夢に見た母親の笑みだった。

「ありがとう……」

 夕星は、水天が眠るまで何度も優しく頭を撫でてくれた。


***


 水天は、夕星の看病を受けて急速に回復した。毎日食事をとり、立って歩けるようになり、一週間程で結界の張っていない部屋の外にも出られるようになった。

「水天」

 久しぶりに、神雷に会えて水天は嬉しくなった。神雷は神気が強すぎて、弱った水天には害になるので、ずっと会えなかったのだ。

「神雷!」

 彼の身体をぎゅっと抱きしめる。

「まだ、本調子では無いのだから、無理はするなよ」
「わかってるって。けど、夕星ばあちゃんを呼んでくれたのは、神雷なんだろう?」
「あぁ、彼女は君の名付け親だからな。彼女に名前を呼ばれるのが、『水天』の名を君の本当の名にするのに、適していると思ったんだ」
「そっか、じゃあ本当に夕星ばあちゃんは俺のお母さんなんだな」

 水天は自分の胸を撫でる。真名を抜かれた時、胸に大きな穴がぽっかりと開いたような気がした。それが今は、温かなモノで満たされている。

 神雷が笑みを浮かべる。

「では、君の母君に改めて挨拶に行かなければな」
「あぁ! 夕星ばあちゃん、きっと喜ぶぞ!」

 水天は神雷と二人で母の夕星に礼を言いに向かった。






つづく
 



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