神獣の花嫁

綾里 ハスミ

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 春が来ても白蛇はやって来ない。森の中に青々と茂る山菜達を、水天は一本一本抜いてカゴに入れた。

(白蛇に会いたいな……)

 冬の間から、何度もそう思っている。白蛇はしばらく会えないと言ったが、彼がいつ会いに来れるかは言ってくれなかった。
 いつかは必ず会いに来てくれる、けれどそれがいつかはわからない。

(生殺しの気分だ……)

 憂鬱過ぎて、重くため息をつく。

(もしかして、俺が爺さんになってから会いに来たりして……)

 神様と言うのは永遠に生きる印象があった。そうなると、長命な彼らにしたら五十年など大した時間の経過では無いのかもしれない。

(あぁ……)

 瞳が滲んで涙が落ちる。

(また、泣いてしまう……)

 泣いたところで彼は来てくれない。けれど、もしかしたらもう、生きている内には会えないかもしれないと思うと、涙は次から次から出て来た。

「はぁ……」

 まだ、二ヶ月程度しか経っていない。それなのにこんなに寂しい。

(あとどれくらいだろう……それまで耐えられるかな……)

 ゼンマイをちぎって、カゴに入れた。

「あの……」

 その時、後ろから声をかけられる。
 水天は驚いて後ろを向く。こんな何も無い山奥で、誰かと会う事は滅多に無かった。
 振り返ると、笠を被りメガネをかけた男が立っていた。質の良い着物を着ている。水天はその青い着物に見覚えがあった。

「大丈夫ですか、お具合でも悪いんですか?」

 男はそっと近づいて来る。泣いているところを見られた水天は、顔が熱くなって来るのを感じる。

「顔が熱いですね。日差しにやられましたか?」

 男が水天の顔に触れる。

「あ、あの、大丈夫です……」

 水天は恥ずかしくて、男の手から離れる。

「……この辺りに私の家があるので、よければ休みに来ませんか」

 そう言われて、水天は少し驚いた。

(この山奥に家だって?)

 水天はもう随分この山の中を歩き回ったが、夕星以外の家を見た事はない。夕星も、この山には自分しか住んでいないと言っていた。

「と、言っても私も久しぶりに帰るんですが……」

 男は少し困った表情で微笑んだ。

(もしかして……)

「夕星さんの……息子さんですか……?」

 すると男は、驚いた顔をする。

「おや、私の母をご存知でしたか」

 やはり、彼は夕星の息子さんのようだった。言われて見れば、澄んだ薄茶の目の色は夕星とそっくりである。

「あの、俺…………夕星さんの家でお世話になってるんです……」

 男が水天の顔を見る。

「そうだったんですか……」

 男は水天をじっと見つめた後に、微笑んだ。

「では、私達の家に帰りましょう」

 優しく笑った男と共に水天は家に帰った。

「私の名前は青嵐(せいらん)と申します」
「お、俺は水天です」
「よろしく水天。カゴは私が持ちましょう」

 青嵐は山菜の入ったカゴをとって、肩に背負う。

「あ、そんな。俺が持って行きますよ」
「いえ、貴方は顔色が優れない。無理はするべきではありません」

 そう言われて、水天は彼の後に静かについて行くしかなかった。

(さすが夕星ばあちゃんの息子さん……ものすごく人が出来てる……)

 この世界には善人しかいないのかと錯覚する程、水天は続けざまにいい人ばかりに会っていた。以前の世界での自分の境遇が嘘のようだ。

 家について、青嵐は戸を開ける。

「母上、ただいま戻りました」

 朗らかに、はずんだ声で言う青嵐に水天は自然と笑みが浮かぶ。家の中で夕星が小さな目を見開く。

「青嵐! 戻って来たのかい!」

 畳んでいた洗濯物を放り出して、夕星が駆けて来る。

「お久しぶりです、母上」

 青嵐が小さな母を抱きしめる。

「おぉ、青嵐。元気にしとったごたーなあ、こげん背が伸びて」
「はい、おかげさまで。母上が丈夫に産んでくださったおかげで、都でも倒れる事なく働く事が出来ました」

(けっこう、長く家を離れていたんだな……。この山奥から、都に出て行って働いていたのかな……?) 

 二人の会話の断片から情報を拾い集める。

「そうだ、来る途中で水天と会いましたよ」

 夕星は水天の存在に気づいて、涙を拭う。

「水天、こん子はうちん一人息子の青嵐ばい。都ん方に働きに行っとったったい」

 夕星が青嵐を見る。

「青嵐、こん子はうちが森で見つけて保護した子や。一緒に暮らして一年になるかね。よう働いて、気い利く良か子ばい」

 再び青嵐と水天の視線が合う。

「母が一人でここに住んでいる事を、私は不安に思っていたんです。貴方のような方が一緒に居てくださったと知って安心しました」

(ど、どうして、この人はこんなに俺を信じてくれるんだろうか……)

 以前の世界で、水天は疑われる事の方が多かった。悪いことをしていなくても、やったと決めつけられた。それなのに、青嵐は、会った瞬間から水天の味方をしてくれる。

(年老いた母親と、身元不明の怪しい男がいたら、警戒してもおかしくないのに……)

 とはいえ、追い出されなかった事にほっとする。

「……俺は夕星さんには、命を助けて貰いました。だから、出来る限りの恩返しをしたいと思っています」
「水天、そげん風に気にせんで良かとよ」

 夕星が困ったように笑う。

「思った通り、やはり貴方は信頼出来る方ですね」

 その称賛の言葉に水天は頬が熱くなるのを感じた。



 その後、青嵐は家に入って茶を飲んで。ここに来た理由を話した。

 青嵐はなんと、国の役人らしい。言われてみれば、見覚えのある青い着物は、町に下りた時によく見かける物だった。都で文官になった彼は、その能力を認められ、この度この山の麓にある小桃町に、視察として派遣されたらしい。そのついでに、青嵐は実家に挨拶に来たのだった。
 小屋を出て、山を下りていく青嵐の背中を見送る。

「大きな人ですね」

 おそらく白蛇と同じくらいだろうか。

「うちん旦那が背ん高か人やったけんねぇ」

 夕星もその背を名残惜しげに見る。
 青嵐はしばらく町で仕事をするらしい。また来ますと言って帰って言った。

「次はいつ来るのかなぁ」

 この世界の優しげな文官に、水天は興味津津だった。

「仕事も忙しかやろうけんねぇ。ばってん、会いに来てくれたら嬉しかねぇ」

 しみじみと言う夕星に、水天は頷いた。息子に会って喜ぶ彼女を見るのは、嬉しかった。




つづく


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