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幕間1.魔女と満月

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 その晩、青年は本当に迎えに来てくれた。抱きかかえられて連れてこられたのは、彼の家だった。誰の目も気にしなくていい、雨風の心配もしなくていいその部屋は居心地がよかった。何より、青年と一緒にいられることが嬉しくて堪らなかった。彼がつけてくれた名前も、自分のために選んでくれた首輪も、大切な宝物になった。

 ある夜、鼻先に触れる柔らかく温かいものを感じた。キスされたんだ。そう理解したとき、どくん、と熱い血が身体中を巡ったような気がした。あの日の魔女の言葉が蘇る。愛しい人のキス。この気持ちが恋だとか愛だとか、気にしたことなんかなかったけれど、青年の存在が自分にとってかけがえのないものになっていたのは間違いなかった。

 もしも、人間の姿になれたなら。彼が喜ぶことをたくさんしてあげたい。自分がされて嬉しかったことを考える。おいしいごはんを食べさせてあげるとか、抱きしめて頭を撫でてやるとか。そういうのは今の猫の姿ではできないだろう。そう思ったら、人間になりたいという気持ちが膨らんでいった。どのみち後は満月の光を浴びさえすれば、期間限定とはいえ人間になることができるのだ。

 でも、もしそのまま彼に必要としてもらえなかったら。

――失敗したら、人間としてはもちろん、猫として生きることもできなくなる。お前の存在は、なかったことになるんだ。

 その覚悟はあるだろうか。猫の姿でいいのであれば、ずっと青年のそばにいられるかもしれない。でも、このままではただ守られるだけの存在で、彼に何かを返すことはできない。自分の中で結論が出せないままでいた。

 けれど、その日は唐突にやってきた。どくん、と熱い血が身体中を巡る感覚が再びあった。燃えるように身体が熱くなって、苦しさから助けを求めるように青年にしがみついた。一度意識を失い、再び目を覚ましたとき、人間の姿になっていた。戸惑いはあったけれど、嬉しさのほうが勝った。不安も不思議と薄れていた。きっと、彼は自分のことを愛してくれる。そんな気がしていた。
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