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7.君がいることがあたりまえになって

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「鈴音?」

 鈴音がいなくなった。週末には一緒にごはんを作ろうと約束していたのに。僕に何も言わず、いなくなるなんて。髪飾りを手に、慌てて部屋を飛び出した。いつからいなかったのだろう。遠くに行っていないといいけれど。見つけたらすぐに謝ろう。好きなだけうちにいればいいって言ってやろう。

 鈴音と出会った路地やふたりで歩いたことのある道を辿る。けれど、鈴音の姿は見当たらなかった。結局、僕は鈴音のことをよく知らない。どこにいるかなんて、わからない。走り回って喉はカラカラだった。汗も滲んでいる。涼しさを求めるように、水音に誘われ、河原に辿り着いた。

 そこに、鈴音はいた。長い髪が風にさらわれてそよぐ。ひとりで座り込んで、星空を見上げていた。

「鈴音!」

 鈴音はゆっくりとこちらを振り返った。金色の瞳が闇夜に煌めく。そして、こちらの姿を認めた瞬間、顔を綻ばせて駆け寄ってくる。

「タクミ! べんきょうはもういいのか?」
「もう、今日の分は終わりだ」

 鈴音は走ってきた勢いのまま抱き着いてくる。いつもならやんわりと引きはがすのだけれど、背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。鈴音は驚いたように顔を覗き込んでくる。

「タクミ、どうかしたのか?」
「急にいなくなったから心配した」
「ちょっと散歩に出たくなって。一応声かけたんだ。でも、集中してたみたいだったから」
髪飾りこれも置いて行っちゃうし、もう帰ってこないのかと思った」

 絞り出した声がやけに湿っぽくて、誤魔化すように鈴音の顔を胸に押し付けた。鈴音は僕の背中を優しく撫でさする。

「落としたら嫌だから置いていっただけなんだ。タクミ、心配かけて悪かった」
「夜にひとりで出歩くのは危ないからやめて。散歩したいなら僕も一緒に行く」
「わかった。次からはそうする」
「それと、さっきはごめん」

 勇気を振り絞って謝ったのに、鈴音は首を傾げている。気にしていないのなら、別にいいんだ。

「タクミがぎゅうってしてくれたから、それでいい。ほら、早く帰ろう」

 鈴音はまた僕の喋り方を真似しながら、僕の手を引いて歩き始めた。スキップしているみたいに、ぴょんぴょんと跳ねながら。僕が思っていた以上に、鈴音の存在は大きかったみたいだ。こんなにも動揺するなんて、思ってもみなかった。
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