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三つ目がとおる その5

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 舞台上のスクリーンには、病床で治美が描いた鉛筆書きのマンガが映し出された。

 まず最初に、パジャマ姿の17歳の手塚治美がベッドごと落下していくシーンが映った。

 海面に落下した治美は気絶し、偶然通りがかったタグボードに救出される。

 そして、「昭和29年4月24日土曜日。早朝の神戸港」の文字が映った。

 舞台袖からスクリーンを見ていた玲奈が小声で雅人に尋ねた。

「あれが治美さんの遺作ですか?」

「そうだよ。あの娘が失踪する前にわしが預かった物だ。あの娘自身の半生を振り返った自伝マンガだよ」

 雅人と玲奈は舞台袖で粗末な折り畳み椅子に座って、静かに舞台中央に立てられたスクリーンを見ていた。

 スクリーンには初めて治美が自分自身の手で描いたマンガが一コマずつ映し出されていた。

 線はよれよれでかすれ、途切れ途切れになっている。

 トレースしていないからデッサンも狂い、まったくの素人のような絵であった。

 会場の一番前の席を陣取っていた雅人の息子の雅之は、その変わり果てた絵を見て涙ぐんでいた。

「手塚先生、おいたわしい!ご病気で苦しかっただろうに、こんなにボロボロになりながらも最後までマンガを描いておられたのか!」

 と、スクリーンには異人館の風見鳥の絵が映った。

 そして、ショートカットの美少女が畳の上に寝転がり、煎餅せんべいを食べながら雑誌を読んでいる場面に変わった。

 少女はちゃぶ台で勉強中の少年にすり寄り、自分が読んでいた雑誌を指さした。

 少女のフキダシには「なあなあ、雅人マサト。この字、何て読むん?」のセリフ。

 少年のフキダシには「うん………?ああ、コウモウヘキガン」のセリフ。

「コウモウ……なに?」

紅毛碧眼コウモウヘキガン!赤い髪、青い目の西洋人のことだ。エリザ、お前のことだよ」

「ダンケ!美少女ってことやね」

「誰が美少女って言った!」
 
 雅之はあんぐりと口を開けながらスクリーンを見ていた。

「異人館通り。エリザ。雅人。どうしてうちの両親の名前が手塚先生のマンガに出てくるんだ!?」




 舞台上では治美の遺作の上映が続いていたが、玲奈がどうしても内密の話があると言うので、雅人はスタッフの控室を借りて二人っきりになった。

 玲奈は長机の上に小型のジュラルミンケースを置くと鍵を挿して蓋を開けた。

 ジュラルミンケースの中にはメガネケースとコンタクトケースが入っていた。

「こ、これはコミックグラスですか!?」

 玲奈は無言で頷いた。

「これは手塚治虫先生の。これは横山光輝先生の。これは藤子不二雄先生の…」

 玲奈はメガネケースに入ったコミックグラスをひとつずつ雅人に手渡していった。

「そしてこれは赤塚不二夫先生の…」

 玲奈は小さなコンタクトケースを雅人に手渡した。

「最後に石ノ森章太郎先生のもお渡しします」

 そういって玲奈は自分が掛けていた黒縁のメガネを外すと、メガネケースにしまって雅人に手渡した。

 雅人は両手に一杯のメガネーケースを抱えたまま呆気に取られていた。

「―――本当にみなさん、もういらないのかね?」

「最初に引退を口にしたのは岡田悦子さんでした。彼女はここ数年、新作を発表していません。もう自分の役目は終わったと感じて私に相談してきたのです。それで私はコミックグラスの継承者たちを一人一人に訪ね、今後も漫画家を続けるのか意思を確認して回りました。みなさん、私が来るのを待っていたみたいに喜んでコミックグラスを私に託してくれましたよ」

「みなさん、漫画家を辞めたがっていましたか」

 玲奈は寂しげに微笑んだ。

「もうみんな年ですからね。私も疲れました。私たちは所詮まがい物の漫画家です。本物の巨匠のような熱意も力量も持ち合わせていません………」

「そうですか………。みなさんには無理をさせてしまったのかもしれない」

「いえ、今にして思えばどれも楽しい思い出です………」

 雅人はひとつひとつコミックグラスを丁寧にジュラルミンケースに戻していった。

「玲奈さんはこれから、どうなさるおつもりですか……?」

 雅人はそう言いながら顔を上げた。

 玲奈の姿はどこにもなかった。

「れ、玲奈さん!?」

 雅人は驚愕し、部屋中を捜してみたが玲奈の痕跡は何も残っていなかった。

 最後の未来人も役目を終えて消滅してしまったのだ。

「みなさん、長い間お疲れ様でした……………」

 雅人は誰もいない空間に向かって深々と頭を下げ続けた。



 雅之はスクリーンに映し出される手塚治虫の最後のマンガにすっかり釘付けであった。

 なんとマンガの主人公手塚治美は、未来世界からタイムスリップしてきた女子高生であった。

 その女子高生がたまたま持っていた未来世界のメガネを使って手塚治虫のマンガを描いて行くというSFであった。

「さすがは手塚先生だ!ただの自伝マンガではなくSFにしているなんて!こんな素晴らしいマンガを死の間際まで描いていたなんて!あなたこそマンガの神様です!!」

 治美の描いた下手くそな乱れた絵を見ていて、雅之は涙が止まらなかった。

 自分の両親にそっくりの登場人物が現れたこともすっかり忘れてマンガに没頭していた。

 スクリーン上には病気になった手塚治美が自宅のベッドに横たわり、「鉄腕アトム」の最終回のテレビを観ている場面が映った。

 マンガはそこで終わっていた。

 突然スクリーンが切り替わり、8ミリ映写機がモノクロの実写映像を投射した。

 雅之はギョッとした。

 ベッドに横たわったパジャマ姿の手塚治美本人の姿が映し出されたのだ。

 治美の頬はこけ目も落ちくぼんでいたが、化粧を施していたため顔色はよく見えた。

 この映像は雅人が新婚旅行の帰りに見舞いに行った時に、治美に頼まれて撮影したものだった。
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