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W3 その7

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 治美は緊張しながら金子の机の上に置いてあったメガネケースを開いた。

 メガネケースの中にはちゃんと金子のコミックグラスが残っていた。

(あった!)

 治美はホッと安堵の溜息をついた。

「藤木氏!金子さんに何があったかわからないけど、あなたは作品を引き継いで欲しいと頼まれたのでしょ。だったらあなたが漫画を描きなさい!あなたが新しい藤子不二雄になるのよ!」

「ぼ、僕が藤子不二雄を名乗るのですか!?」

「読者は作品さえ面白ければ作者がどんな人間かなんて気にしないわよ。金子さんから何か引き継いでいないの。漫画のネームとか下書きとか…?」

「あ、あります!ありますが……まだ…心の整理がついていなくて…」

 治美は掌でパーンと音を立てて机を叩いた。

「 四の五の言わずに描きなさい!あなたも漫画家の端くれなら例え親が死んでも漫画を描くのよ!」

 治美の激しい剣幕に藤木と横山は息を止めてまじまじと治美の顔を見た。

「は、はい!」

 藤木は慌てて金子の席に座った。

 そして少し躊躇した後、メガネケースを開いてコミックグラスを自分の顔に掛けた。

 やはり藤木は既にコミックグラスの認証を済ませていた。

 金子が未来から来た人間だったという話は聞かされていたのだ。

 藤木は描きかけの原稿用紙に直接ペン入れをし始めた。

 藤木はコミックグラスを使って漫画をトレースしているのだ。

「あれ、藤木君。君はメガネなんか描けていたかな?」

 わざととぼけて横山が藤木に尋ねた。

「え、えーと、最近、目が悪くなりまして……」

 治美と横山は互いに顔を見合わせてうなずいた。

 金子は治美と横山も未来人だということは秘密にしてくれたのだ。

 藤木が原稿を描く様子をしばらく見ていた治美が言った。

「他のアシスタントも呼び出しなさい。人手が足りなければわたしのアシスタントも貸してあげるわ。それと原稿を落としたのはみんなS学館の連載よね。これからS学館に行って編集長に謝ってあげるわ」

「て、手塚先生にそこまでしてもらうわけにはいきません!」

 恐縮して藤木が立ち上がった。

「いいから!いいから!原稿落として謝るのはわたし慣れてるから!」

 治美はわざと明るく笑いながら仕事場を後にした。



 治美と横山はタクシーでS学館のビルに向かった。

 タクシーの後部座席で治美は落ち着かない様子で 横山に話しかけた。

「金子さん、どうなったのかしら?わたしたちに何もいわずに失踪するとは思えないわ」

「彼は実家に行ってこの時代の自分と会うとか言っていましたね。自分のドッペルゲンガーと出会うとどうなるのかなあ?」

「過去の自分と出会ったらどうかなるの?」

 横山は治美の目の前で掌をパーと広げて見せた。

「存在が消滅してしまったのかも…」

「そんなわけないわ!」

 突然治美が大声で叫んだため、タクシーの運転手が驚いて飛び上がった。

 治美はワッと泣き崩れ横山の肩にしがみついた。

 横山は困惑して子供をあやすように治美の頭に手を置いて慰めた。

「すみません!昔、そんなSFを読んだことがあったのでつい言ってしまいました」

「きっと金子さんは元の時代に戻っていったのよ!この世界での役目を終えたから。わたしはそう信じます」

「そうだといいですねぇ」

「――横山さんは漫画家を辞めないでね」

 治美はグシュグシュと泣きながら横山に言った。

「僕はまだまだ辞めませんよ。鉄人のアニメ化も決まったし、子供もできたことだし…」

「えっ!?今、何て言いました!?」

「鉄人28号のアニメがTBSで10月から放映決定ですよ。まあ治美さんと違って僕はアニメにはノータッチですがね」

「いえいえ!そっちじゃなくて、章子さんおめでたなんですか?」

「はい。おかげさまで。僕と章子でこの世界に本来存在しなかった新しい生命を生み出したようなんです」

「そ、それはおめでとうございます!でもタイムスリップしてきた人間が子供なんか作っちゃっても大丈夫なんですか?」

「そんなの僕に聞かれてもわかりませんよ。でも昔言ったでしょ。未来人同士なら結婚してもそれほど歴史に干渉しないから大丈夫じゃないですか」

 治美は驚いてすっかり涙も引っ込んでしまった。

「横山さんも意外と大胆と言うか、いい加減ですね」

「はははは!」

 笑いながらヘビースモーカーの横山が煙草を取り出して火をつけようとした。

 治美はその煙草を取り上げて言った。

「駄目ですよ。章子さんの前では煙草は控えて下さいね。いっそ禁煙したらどうですか?」

「いやー、それはなかなか難しいですねぇ」

 結局金子俊夫の消息は不明のまま、藤子不二雄の漫画は一度だけ「作者急病のため休載」し、次の号からは以前と変わらず連載が再開された。

 突然現れたのだから、突然消えてもおかしくない。

 治美は自分を含めた未来人がいつか突然消滅してしまうのではないかという考えに心が支配されていった。
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